生物學講話 丘淺次郎 第十二章 戀愛(4) 二 暴力(Ⅱ)
獸類の雄も多くは強制的に雌を服從せしめるもので、あるいは追ひまはしたり追ひつめてこれを咬んだり突いたり蹴つたり、隨分甚だしい殘酷な目に遇はせ、終に雌をして抵抗を斷念するの止むなきに至らしめる。これは恐らく無意味なことではなく、その種族の維持繼續にとつて何か有益な點があるのであろう。詳しいことはわからぬが、受精のよく行はれるためにはまづ雌雄の生殖器も神經系も、それに都合の好い狀態にならねばならぬが、雄が追ひ雌が追はれなどして居る間にこれらの器官が受精を行ふに適する狀態に達するのではなからうか。もしさうであるとすれば、他から見て殘酷に見える所行は實は受精のための準備である。雌雄の蝶が出遇うても、決して直には交尾せず、長い間相戯れて居るが、これも受精を行ふに適するまでに身體を準備して居るのであらう。動物園で獅子や虎が交尾する前には、必ず吼えたり咬み合うたりして、夫婦で大喧嘩をするのもこれと同樣で、蝶が平和に相戯れるのも御子が殘酷に咬み合うのも目的は同じである。特に獸類で受精が暴力によつて行はれる場合には、代々最も強い雄の種が殘るわけとなつて、種族の發展の上にも幾分か好い結果を生ずるであらう。
なほ動物の種類によつては、眞に暴力を用ゐるのでなく、たゞ形式だけ暴力を用ゐる眞似をするものがある。これはむろん一種の戲であるが、小鳥類などを見ると、往々雌が逃げ雄が追ひながら、こゝかしこと飛び廻つて居る。しかも遂げる者は決して眞に逃げる積りではなく、たゞ交尾までに若干の時間を愉快に費して、受精の準備をするだけである。かやうな場合には、雌は往々一時雄の見えぬところへ隱れることがあるが、雄が直に見付ければ更に他へ逃げ、もし雄が近處ばかりを搜して容易に見付け得ぬと、雌は一寸頭を出し、自分の居る處を雄に知らせて再び隱れて待つて居る。即ち子供らのする「隱れん坊」の遊戲と全く同じやうなことをして戲れて居るのであるが、形式だけは雄は追ひ雌は逃げ、終に追ひ詰められて相手の意に從ふやうな體裁になつて居る。これはたゞ一例にすぎぬが、鳥類や獸類には雌の竝んで居る前で、雄が戰爭の眞似をして見せるものの少くないことなどを考へると、眞に雄が暴力を用ゐるものから、さまざまの平和的の手段によつて雌をして喜んで雄の要求に應ずるに至らしめるものまでの間には無數の階段があり、しかもその目的はいづれの場合にも同一であつて、たゞ種族の維持のために受精を完全に行はしめるにあることが知られる。