偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅺ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして――
巨細之御書翰恭拜誦、御揃益御安泰被成御暮候之由奉遙賀候。然者今度芭蕉事、於大坂致遷化、自病中木曾寺至葬埋候迄、不淺御苦勞被成候由、御文面と申、土芳・卓袋よりも微細に致承知候。惣御連中、別而兩雅丈之御厚情之程、御禮難申盡候。芭蕉事、一所不住之境界に候條、可斯有とは兼而思儲居候得共、今更殘念御推察可被下候。併病中始終御介抱之事、縱令親族之面々附添居候共、斯迄手は屆不申、亡弟身に取て、他方之聞え、親類中之美目、身に餘り奉存候。
一 自大坂兩度之御手簡の中、二日の御狀而已漸十二日之暮方に屆候。外之御狀者未相屆不申候。芭蕉病氣大切成義と爲御知候故、早速使者差出候。最早日限過候碍共、未病氣に而有之と許存候。使之者歸り候は、十六日の朝罷歸候而、其時遷化之事も、遺骸迄近江之樣に送方被成候義も致承知候。卓袋・土芳近江之樣被參候義も、今度承り候之故、追取返し一人差立候。今度は拙者馳參申筈に候碍共、亡弟爰許發足之跡に而、拙者瘧疾勞、而も初瘧と申、老人之事に候故、長々相痛、漸九月下旬致快氣候。瘧後今以服藥いたし、出勤も不仕、氣力も未得不申候。不能其義、諸風子之御聞前恥入申事に候。
一 芭蕉遺狀慥に致落手候。誠に一類中打寄開封、何も一字一涙愁傷御思察可被下候。
一 亡者遺物之儀に付被仰越候趣、御入念之御事に候。併亡弟入道以來者、俗緣之表向無之候。僧分之器材之事に候條、遺言之品者格別、其外は不俵何品、直に義仲寺に寺納共に而可有之哉。夫□□猶又御連中任思召候間、御存寄次第宜御取計可被下僕。
一 壽貞子次郎兵衞事、今度信切之骨折、始終之事感入候。存寄も有之候。勿論譜代之者に候故、其元諸事相仕廻申候はば、一日成共早罷歸候樣、乍慮外被仰入可被下候。
一 相殘居候と有て、古衣裝四品被贈下慥に致落手候。外に古衣裝之類花屋に預被置候由、右之品者必御貪著被下間敷、其儘に被召置可被下候。餘情拜顏申殘候。以上。
十月廿三日 松尾半左衞門
命淸判
晉 其角樣
向井去來樣
御連中 樣
追啓。御飛脚道違に而踏迷申され、殊に痛所有之由に候間、中一日手前にとゞめ申候。爲念申遣置候。以上。
別啓申遣候。芭蕉死去之事、拙者主各、同役共を以申達候處、主公甚殘念に被存趣、夫に付辭世共じゃ無之哉之事被尋候故、土芳・卓袋口述之通申達候得者、貴丈方之紙面直に可被披見との事、任其旨申候處、重而尋に、命終迄に發句は無之哉、若有之候はゞ直書見度と申事に候。若貴丈方、外々御所持之方も候はゞ、暫く拜借申度候。此段御賴申候。
一 自筆之山家集有之候はゞ、書入抔は無之哉。右條々宜御賴申候。爲其重而如是御座候。謹言。
十月廿三日 松尾半左衞門
其角樣
去來樣
奧書之頭陀之内之品之中、五寸に六寸之切之事、幷に松島蚶潟之繪之事、御望の由、其外何品によらず、隨分御勝手次第に可被成候。少も不苦候。以上。
以使札得芳意候。向寒之節に候得共、益御安泰、御寺務可被成恭賀候。拙者無別條罷在候。然者芭蕉居士被致遷化候砌、葬式之節者、段々御苦勞被成下、忝奉存候。早速罷越、御禮詞等申述候筈に御座候得共、乍存疎略打過、背本意候。此段御宥恕被成可被下候。隨而左之通□□納仕候間、宜御囘向被可被下候。拙者も長々の病後、今以引入居申候故、出勤任候得者、早速墓參可仕候。其節拜顏之上萬々可申上候。先右之御禮詞迄、如斯御座候。以上。
十一月二日 松尾半左衞門
義仲寺樣
覺
一 御布施 金二百疋
一 同御佛米御齋米料 同二百疋
一 同御茶湯料 同百疋
一 御布施 同百疋 〔松尾氏一類中〕
[やぶちゃん注:「松尾氏一類中」は底本は本文同ポイントであるが、国会図書館版により割注とした。]
右
以飛札御意申候。益御淸雅奉賀候。爰許無異に居申候。然者、師翁遷化之事承り、途方に暮候。いかに成行可申哉。只闇夜と相成。唯愁涙迄に候。取あへず一句案候。靈前に御敬手可被下候。以上。
十月廿三日 露沾
去來雅丈
告て來て死顏ゆかし冬の山 露沾
[やぶちゃん注:前に記した通り、次の一行のみ、行頭から記し、一行空けて続く去来の芭蕉の兄半左衛門宛往復書簡類は再び底本では三字下げとなって、そのまま下巻本文は終了する。]
此外、諸國之弔儀數百ヶ所、繁雜故に除之。
« 偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅹ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして―― | トップページ | 偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅻ) 全 完結 ――芭蕉の末期の病床にシンクロして―― »