偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅱ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして――
[やぶちゃん字注:以下の去来宛二通は底本ではともに全体が一字下げ。]
飛脚便に申遣候。老師一昨々夜より少し惡寒氣御座候處、起居不穩侯。之道不勝手に候
故、御不自由と存、取計候而、御堂前南久太郎町花屋仁左衞門裏座敷、奇麗閑栖に候之條借受、之道請判に而、先寓居と定候處、今朝者別而御氣分無心元御樣體に候。醫者呼申筈に候得共、早く木節に御樣體御見せ被成度との御事被仰候條、即木節に別紙遣候。此狀著次第、貴雅にも早々御下り相待候。木節御同伴候樣に存候。隨分御急可被下候。不一。
十月二日 惟然
支考
去 來 樣
猶々別紙急々木節に御屆賴存候。以上。
今朝之狀、相達候哉と存候。老師御事、昨夜より泄痢之氣味に而俄に一變、夜中二十餘度之通氣、是は頃夜園女亭に而の、菌之御過食故と相考候。一夜之中に掌を返すが如に、今朝より猶亦通痢度數三十餘度、我等始、之道手を握り候迄に候。此狀著次第、木簡同伴に而急々御下り相待候。南久太郎町花屋仁左衞門と御尋、早々御入可取成候。急々。以上。
十月二日夜子ノ時 惟然
去 來 樣
猶々、大津之衆、其外何方へも、手寄手寄御申遣可被成候。木節は急に被參候樣御賴申候。伊賀への常飛脚は無之、幸羅漢寺之弟子伊勢へ越候に、今朝狀賴遣候迄に候。若其方角より幸便も候はば、被仰遣可被下候。
三日 廿七日。但晝夜也。天氣曇る。夜半過去來きたる。二日朝之狀、三日之朝屆く。其座より直に打立、伏見に出しは巳の時なりし。夫より船に打乘、八軒屋に著しは亥の時なりしと。直に御病床に參りたりしに、師も嬉しさ胸にせまり、しばしはものものたまはざりしが、諸國に因し人々は我を親のごとく思ひ給ふに、我老ぼれて、やさしき事もなければ、子のごとくおもふこともなく、殊更汝は骨肉を分しおもひあれば、三ン日見されば千日のおもひせり。しかるに今度かゝる遠境にて難治の菜薪の憂に罹り、再會あるまじくおもひ居たりしに、逢見る事の嬉しさよとて、袂をしぼりたまへば、去來もしばしは於咽せしが、暫くして云、僕世務にいとまなければ、させる實意もつくさゞるに、かゝる御懇意の御言を蒙る事、生をへだつとも忘却不仕と、數行の泪にむせぶ。何樣賣藥の效驗心もとなしとて、去來又消息をしたゝめて、飛脚便に木節につかはす。(支考記)
同三日夜子の時追、つゞいて木節來る。二日出の兩人の消息其夜著せし故、大津を丑の時に立、一番舟に乘しかど、短日ゆゑ遲著。諸子に會釋もそこそこにして、直に御樣體を伺ひ、御脈を胗す。主方逆逸湯を調合す。(支考記)
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