日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 呉服商三井越後屋
図―519[やぶちゃん注:上の図。]
図―520[やぶちゃん注:下の図。]
三井の有名な絹店は、それが市内最大の呉服屋で、そして素晴しい商(あきない)をやっているのだから、見に行く価値は充分ある。勘定台も席もない大きな店を見ると、奇妙である。番頭や売子は例の通り藁の畳の上に坐る。お客様も同様である。道路から入ると、 お客様は履物をぬいで、一段高まった床に上り、履物はあとへ残しておく。そこで一杯のお茶を盆に乗せて、誰にでも出す。買物をしてもしなくても、同様である。図519によってこの店の外観が、朧気(おぼろげ)ながら判るだろう。右手は道路、左手にいる番頭達は、必要に応じて、品物を取り出す巨大な防火建築に、出入出来る。店員はすべて純日本風の頭をしている。恐らく販売方と出納方との間に金の取次をするらしい小さな子供達は、その辺を走り廻り、時々奇妙な、長く引張った叫声をあげた。店員が彼等のすべての動作に示す、極度ののろさと真面目さと丁重さとは、我国の同様な場所に於る混雑と活動とに対して、不思議な対照をなした。店の向うの端には、銅製の風雅な装置があった。これは湯沸(ゆわか)し、換言すれば茶を熱する物である。一人の男が絶えずそれにつき添って茶をつくり、それを小さな茶碗に注ぎ込み、少年たちはお盆を持って、お茶を観客にくばる為にそこへ来た(図520)。炭火を入れた火鉢は、男女の喫煙家のために――もっともお客は概して女である――都合よく配置されてある。ここは実に興味のある場所だった。頭上の太い梁や、その他の木部は、すべて自然その儘の木材で出来ていた。色あざやかな絹、錦襴、縮緬、並に美しい着物を着た婦人連や、花簪をさした子供達が、この場面の美を大きに増していた。私のこの店の写生図には、もっともっと多くの人がいなくてはならぬのだが、こみ入った絵をかいている時間がなかった。
[やぶちゃん注:「三井の有名な絹店」現在の三越の前身である三井越後屋呉服店。当時の日本橋駿河町(現在の中央区日本橋室町)にあった。]
図―521
殆んど第一に人の目を引く物は、天井から下った、並々ならず大きく、そして美しい、神道の社の形につくつた祠である。どの家にも、どの店にも、このようにして露出した、何等かの祠があり、住んでいる人は朝その前で祈禱をする。夜になると一個、あるいは数個の燈明を、祠の内に置く。ある大きな店にこの聖殿がぶら下っており、そして店主や店員がすべて、お客がいるといないとにかかわらず、朝その前で祈禱しているのを見た時は、不思議に感じた。私は我国の大きな宗教的の祠があり、そして店主達が日本と同じようにそれを信心するというようなことは、想像だに出来ぬ。
[やぶちゃん注:珍しく本文中に図521の神棚を具体に指示する箇所がない。]
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