杉田久女句集 302 杉田久女句集未収録作品 Ⅷ 大正七年(3) 花の町こゝに尚ある我家かな
上野櫻木町にて
花の町こゝに尚ある我家かな
[やぶちゃん注:底本年譜の明治三九(一九〇六)年の条に、大蔵省官吏であった父赤堀廉蔵の内地転勤に伴い、一家で占領地であった台湾から引き揚げ(廉蔵の職務は台湾に税制を敷くための調査官)、当初は学習院大学官舎に住み、次いで上野桜木町に自宅を構えた、とある(東京転勤後の廉蔵は宮内省と学習院大学の会計官で、当時の学習院は宮内省が所轄する正式な官立学校であった)。当時久女十六歳、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属お茶水高等女学校の二年生であった。但し、一家は翌明治四十年(久女の同高等女学校卒業の年)に東京府下下北郡豊嶋郡高田字若葉(現在の目白)に転居している。本句はその十数年後、たまたまかつての赤堀家の近くを通っての感懐吟と思われる。]
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