21歳の1978年11月9日夜に見た夢――埋葬夢その他
以下は僕の大学三年二十一歳当時の、1978年11月10日の日記、丁度、36年前のまさに今日の夜に見た夢の記述である。
この日の記載は、この日記の前に短く、
――芥川龍之介の「彼」と「彼第二」を再読、特に「彼」に強く心を打たれ、「彼 第二」については『展開が妙味』――
と記している。この前年末に大手出版社に勤めていた、父の旧友の手蔓で、当時は既に売り切れていた新(当時の)芥川龍之介全集を全巻新本で特別に信山社から売って貰った。6巻ずつをビニール紐で括り、神保町から中目黒の下宿までぶら下げて帰った。両掌ともに血管が膨れ上がって一週間も腫れが引かなかったことが忘れられない。僕が芥川龍之介の全貌と出逢うための、それはしたたかに痛い体験であったのである。
構造的には二話構成(「2」と「3」は続いていると自分で注している)らしい。
「註1」にある「金田さん」というのは当時、私が所属していた國學院大學弁論部の先輩で、彼は「水上勉さんという方が、汽車に乗って、進行方向に背を向けて」で始まる某氏の保守国家論(だったと思う)の冒頭フレーズが好きで、しょっちゅう、弁論部の発声練習の際に唱えていたことに由来する記述である。
「註6」の「杉本宥尚氏」は私が卒論にした尾崎放哉が、その最後を迎えた小豆島の南郷庵(みなんご)庵を有する西光寺の当時の住職で、氏の父君は玄々子を俳号とした「層雲」の俳人であり、放哉の小豆島での生活を支えた人物であった。私は大学一年の夏に卒論(大学入学時に卒論を「尾崎放哉論」とすることは早々に決めていた)のために訪れた際に、お寺にただで二泊もさせて戴き、奥様にも非常にお世話になった。当時まだ小学生だった和尚の長女幸(さき)さんや次女文(あや)さんともすっかり仲良くなった。そんな昔が懐かしく思い出される。
最後の余白部分は、当時の家計簿で、面白くも糞くもないので削除したが、この直前、青土社から刊行された原民喜全集の代金(それでも水道橋の下請けの印刷会社に勤めていた高校の同期生の元カノに頼んで、社内価格で相当に安くしてもらえたのを思い出す。12月9日、彼女から全巻を受け取った日の日記には出版見本が貼られ、「わが青春のレクイエム」なんどと麗々しく機関車の車輪とレールの下手な絵が添えられている。因みに民喜は鉄道自殺をしている)を捻出するために、非常な節約をしていることが細かな計算式から見てとれるものであった。
それにしても最初の夢(「1」)は今読めば、「夢十夜」の「第一夜」と「第三夜」の如何にもなインスパイアではないか。それについて全く言及していない僕は迂闊というより愚鈍極まりないとも言えそうなのであるが、これはどうも、それを記させようとしない何かの記載抑圧が当時の僕の意識に働いていたことが深く疑われるように思われる。そうしてそこにこそ、この夢を解く鍵があるとも言えるのかも知れない。そうした観点は同様に「3」の夢の冒頭の蛭についても言える。これも全く以って泉鏡花の「高野聖」のやはり剽窃だから。夢でも私はオリジナリティがないということを認めたくなかったのかも知れないね。
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