――芭蕉最期の枕邊にて―― 見る影やまだ片なりも宵月夜 / 芭蕉逝去
見る影やまだ片なりも宵月夜
(みるかげやまだかたなりもよひづきよ)
――寛文年間(一六六一年~一六七三年)――芭蕉二十代の句と推定――
……そうして……そうして……やっぱり……つぼみの……少女……かさね……芭蕉さま……芭蕉さま?……芭蕉さま!…………
[やぶちゃん注:「源氏物語」の「玉蔓」の帖にある、
……姫君はきよらにおはしませど、まだ、片(かた)なりにて、生ひ先ぞ推し量られたまふ。
に基づく。「片なり」とは身体の未成熟性をいう。私には、どこか大人になることを拒否する気配――プエル・エテルヌスに通ずるような――少女性を匂わせる語である。「宵月夜」で新月に近い月の擬人化という点でも、「片なり」は相性のよい俳言である。
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以上、私のブログの「――芭蕉夜伽――」「――芭蕉枕邊――」等々に採った計四十八句は、現存する芭蕉の満二十九歳までの句と推定される総てである(諸家によって異同があるが、誰かが一人でもこれより後の三十以降の句としているものは原則、採用していない)。以上が確かな芭蕉二十代若き日の句群の総てと考えて戴いてよろしいと存ずる。なお、芭蕉の宗匠立机は江戸に下った寛文一二(一六七二)年二十八歳の頃と考えられている。]
――芭蕉は――この夕刻、午後四時頃――
…………息を引きとったのであった…………
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