偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅲ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして――
四日 朝、木節申さるゝにより、朝鮮人參半兩、道修町伏見尾より取、同く包香十五袋取。天氣よし。之道方より世話にて、洗濯老女をやとひ、師の御衣裝、其外連衆の衣裝をすゝぐ。園女より御菓子幷水仙を送る。支考・惟然介抱。次郎兵衞迚も手屆かね、之道とりはからひとて、舍羅・呑舟と云もの來る。按摩など承る。今日二十度餘におよぶ。度ごとに裏急後重あり。(次郎兵衞記)
五日 朝、丈草・乙州・正秀きたる。天氣曇る。寒冷甚し。時候のゆゑにや、師時々惡寒の氣あり。朝、次郎兵衞天滿に詣る。晝過歸る。夜著蒲團又々五流、米壹斗、醬油二升、鹽壹升、味噌三升、薪二十束、炭二十貫目、雜紙三束なり。今日師食したまはず。湯素麵二箸なり。夜中までに五十度におよぶ。(次郎兵衞記)
六日 天氣陰晴きはまらず。朝の貪食、入麪三箸。前夜終宵寢入たまはず。暫く睡眠したまふ御目さめより、去來をちかくめして、先の頃野明が方に殘し置侍りし、大井川に吟行せし句
大堰川波にちりなし夏の月 翁
地句あまり景色過たれど、大井川の夏げしき、いひかなへたりとおもひゐたりしが、淸瀧にて
淸瀧や波にちりこむ靑松葉 翁
と作りし。事柄は變りたれど、同巣なりと人のいはんもいかゞなれば、大ゐ川の句は捨はべらんと汝に申たり。しかるに頃日園女に招れて
白菊の目に立てゝ見る塵もなし 翁
と吟じたり。是又同案に似て、句の道筋おなじ。それ故前の二句を一向に捨はべりて、白菊の句を殘しおき侍らんとおもふ也。汝の意いかん。去來泪をうかべ、名匠のかく名を惜み、道を重じたまふ有がたさよ。絶句一章に、さまで千辛萬苦したまふ御病腦の中の御骨折、風雅の深情こそ尊とけれ。眼あるもの何者か、此句を同案・同集と見るべき。恐ながら此句を同案・同巣などと申ものは、無眼人と申ものなり。其ゆゑは、此句々景情別々備りて、句意を見る時は、三句ともに別なり。かるがゆゑに、我は句の意を目に見て、句の姿を見ず。青苔日ニ厚シテ自ラ無塵。これはこれ陰者の高儀をほめたる語、今は園女がいまだ若くして、陌上桑の調(ミサホ)あるをほめたまひたる吟なり。意も妙なり、語も妙なり。世人此句を見るもの、園が淸節をしらん。波に塵なしの語は、左太仲が必シモ非二絲ト與一ㇾ竹山水ニモ有二淸音一いへる絶唱もおもはれ、園が二夫にまみえざる貞潔と、大井・淸瀧の絶景と、二句の間相たゝかつて、感じてもあまりありと申せしかば、師も機嫌よくおはしけり。(去來記)
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