日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 印刷所にて Ⅱ
図―517
図―518
図517は日刊絵入新聞の切りぬきである。この絵は実に生気に充ちている。この新聞の購読料は一ケ月二十セントである。図518は何かの本のある頁の校正で、植字工は原稿に判らない漢字があると、漢字をひっくり返すから、それの底の方が印刷され、校正者は赤い筆で欄外に適当な漢字を書く。字は最初ベッタリ植字し、後から余白を入れる。日本語の原稿で、字を消し、後からそれを残しておいた方がいいと判ると、「生きている」ことを意味する「イキ」という字をカタカナで書く。印刷場で、我国に於ると同様に「生き」たり「死んだ」りしたという言葉を使用するのは、不思議である。
[やぶちゃん注:例によって図517の絵入新聞の記事も活字化を試みる。文を続けて示した。続きとその接続を示す△は省略した。「鐘」は底本では活字が潰れて判読不能であるが、原画画像を拡大して確認、同定した。
性寺(しやうじ)の味噌摺坊主(みそすりばうず)で善心(ぜんしん)(五十七)といふ刎(はね)ツ返(かへ)りを甘(うま)く欺(だま)して同類(どうるゐ)に引入(ひきい)れ這奴(こいつ)を提灯持(てうちんもち)に遣(つか)つて諸方(しよはう)で強盗(がうたう)をして居(ゐ)るうち去年(きよねん)の六月同縣下(けんか)なる新座郡(にひくらごほり)宮戸村(みやとむら)の或(ある)豪家(だいじん)で一仕事(ひとしごと)と例(れい)の二個(ふたり)が喋(しめ)し合(あは)せ押入(おしい)らふとする所を近邊(きんへん)の者(もの)に見認(みとめ)られソレ泥坊(どろばう)と云(い)ふより疾(はや)く岳螺(たけぼら)を吹きたてるやら早鐘(はやがね)を鳴(な)らしたので忽(たちまち)村中(むらぢう)が走集(はしりあつま)り打(うて)よ縛(しば)れと立騷(たちさわ)
記事の中の「味噌摺坊主」は寺で炊事などの雑用をする下級の僧。転じて、僧を罵っていう語でもある。「新座郡宮戸村」が現在の埼玉県朝霞市下内間木(しもうちまぎ)の内。この記事も何方か全文を発見して戴けると嬉しい。
非常に判読が厳しいのであるが、校正版も読んでみる(約物は正字に直し、右下付きは同ポイントとした。判読不能の字は■とし、校正部分は当該字の下に〔→ 〕で示した。□は植字工が分からない漢字としてあると判断したものを示す。自身のない字には後に?を示した)。これは生物学か医学の呼吸についての叙述部分のように思われる。
離スル酸■〔→素〕ニ由テ以テ其生活ヲヽスナリ葢働物ハ常ニ大氣中ノ酸素ヲ吸入シテ而體中ノ炭酸ヲ呼出ス此ニ由ニ〔→テ〕之ヲ見レハ酸素ハ動物ノ生活ヲ成スニ必要ナルヲ知ルヘシ此ニ個人之ヲ生氣ト名ツテ〔→ク〕此ノ如ク吸入スル酸素ノ動物體中ニテ生スル所ノ變□〔→化〕ハ酸素ヲ■ル■中ニ於テ木炭ヲ燃■■■■■■■〔→之?〕今試ハ玻璃□□〔→瓶中〕ニ酸素ヲ■テ木炭片ヲ燃シ然ル後透明ナル□□〔→石灰ト〕水ヲ■■■ハ直ニ白澱ヲ生ス寔レ木炭ノ燃ルニ當テ生スル炭酸ト□〔→化〕合シテ白堊ト名ツクル■體ヲ爲スニ由ルナリ今殊更ニ石□〔→灰〕水ヲ玻璃盃ニ盛テ玻璃管ヲ以テ人ノ肺ヨリ炭酸ヲ呼出スルヲ知ルヘシ體中ニテ此炭酸ノ生スル因緣ハ酸素を呼〔→吸〕入シ體中ノ諸部ヲ酸□〔→化〕スル物ニシテ□〔→且〕動物ノ成?分?ハ他ノ無機物ヨリ高々キモ亦此酸□〔→化〕ニ由ル者ナリ故ニ此ノ如キ酸□〔→科〕ノ作用止ムトキハ動物直?ニ死シ其體熱減下シテ他?ノ?有?機物ニ異ナラサルニ至レル凡ソ動物ハ炭
最終行にある「離」「類」「化」はどこに入るのか私には不明である。思うにこれはこの頁の左には別な頁があって、そこから外へ出た校正ではないかと推察する。
「我国に於ると同様に「生き」たり「死んだ」り」底本では直下に石川氏による『〔解版すべき組版を dead form といったりする〕』という割注が入る。]
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