萩原朔太郎 短歌 全集補巻 「書簡より」 (Ⅴ)
僕はちょっと怒ってる――1989年の筑摩書房全集補巻の「短歌」補遺は明らかに校訂が杜撰であることが分かった。
どこが『まつたく同一字句のものは採らなかつた』だ! 全然同一じゃないぞ! 嘘つき!!
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[やぶちゃん注:以下の二十一首からなる「かゝる日」歌群は明治四二(一九〇九)年九月一日消印萩原栄次宛書簡より。投函地は前橋。朔太郎、満二十二歳。非常に長い書簡の末尾に記されある。後書によって同年二月から五月の詠草の中から『代表的思想ノ作ノミヲトル』とあり、五月以後、この八月までは『以後作ナシ』とわざわざ断っている。この七月に岡山の第六高等学校第一学年で落第、原級留置になっている(翌年夏に退学)。]
〇あゝえたえず、と思ふときは日記をくり。死なんと書きて心しづまる、
[やぶちゃん注:「たえず」はママ。この一首は、後の「ソライロノハナ」(昭和五二(一九七七)年に萩原家が発見入手したもので、それまで知られていなかった自筆本自選歌集。死後四十年、製作時に遡れば実に六十余年を経ての驚天動地の新発見であった。「自敍傳」のクレジットは『一九一三、四』で一九一三年は大正二年で同年四月時点で朔太郎は満二十七歳であった)の歌群「何處へ行く」の章にある、
あゝえたえず、と思ふときは日記(にき)をくり
死なんと書きて心しづまる
の表記違いの相同歌。]
〇二三人木枯らふける大道を。去來す胸の淋しさ思へ
〇くれないの軍服着たる友の來て今日も語りぬワグネルのこと、
[やぶちゃん注:「くれない」はママ。この一首は、「ソライロノハナ」の歌群「午後」の、
紅(くれない)の軍服着たる友の來て
今日も語りぬワグネルのこと
の表記違いの相同歌。]
〇學問のきらひの男今日もきて。戀の話をしてかへりけり
[やぶちゃん注:この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」の章にある、
學問のきらひの男今日もきて
戀の話をして歸りけり
の表記違いの相同歌。]
〇友の顏みるごと我は思ひいづ。かつて借したる金のわづかを
[やぶちゃん注:「借したる」はママ。底本の「短歌」補遺の本文では「貸したる」と訂するが従わない。古くは「貸」「借」の字は慣用上、相互に通用したからである。]
涙川ながれを早みのる舟の、棹さしかねついづち行くらん、
[やぶちゃん注:この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」の章にある、
涙川ながれを早みのる舟の
棹さしかねついづち行くらん
の表記違いの相同歌。]
〇ぶらじるの海の色にもよく似ると。君の愛(め)でこし靑玉(オツパース)かな
[やぶちゃん注:太字「ぶらじる」は底本では傍点「ヽ」。この一首は、「ソライロノハナ」の歌群「午後」の、
ぶらじるの海の色にもよく似ると
君の愛でこしオツパアスかな
相似歌であるが、「靑玉」の漢字表記及び「オツパース」という長音符使用が大きく異なる。これについては既に「ソライロノハナ」の当該歌の注で記したが、再掲しておく。ここに記された「靑玉」という漢語は「サファイア」のことを指す。しかし英語の文字列“Sapphire”や発音は、どう考えても「オツパアス」又は「オツパース」とは読めない。これに近いのは同じ宝石の「黄玉」、則ち、「トパーズ」、“topaz”しかない。ただこれを誤用と指弾出来るかと言うと、実はトパーズにはブルー・トパーズという青色のものがあるから、これ、一概にトンデモ誤用とは言えない気がするのである。取り敢えず注はしておくこととしたい。それよりも不審なのは、底本の全集補巻ではこれを「短歌」本文には採用していない点である。これは最早、相同歌ではない。解題を見ると『全く同一字句のものは採らなかった』とあるが、これは『全く同一字句』では断じて、ない。]
〇夕ざればそゞろありきす銃機屋の。まへに立ちてはピストルをみる、
[やぶちゃん注:「夕ざれば」「銃機屋」はママ。この一首は、翌年の『スバル』第二年第一号(明治四三(一九〇二)年一月発行)に「萩原咲二」名義で掲載された
夕さればそぞろありきす銃機屋のまへに立ちてはピストルをみる
の標記違いの相同歌。]
〇理想など高き聲にて言ひし故。あまたの人にうとまれしかな。
[やぶちゃん注:この一首は、「ソライロノハナ」の歌群「午後」の、
理想など高き聲にて言ひし故
あまたの人にうとまれしかな
の表記違いの相同歌。]
〇君とわれ同じますにて見たる夜の芝居の膜の美しきこと
[やぶちゃん注:太字「ます」は底本では傍点「ヽ」。]
〇目覺ましの自鳴機(オルゴル)の鳴る聲をきゝ。ところも知らぬ支那の街ゆく
[やぶちゃん注:この一首は、「ソライロノハナ」の歌群「午後」の、
目覺ましの自鳴機(オルゴル)の鳴る音をきゝ
ところも知らぬ、支那の街ゆく
の相似歌。「音」が「聲」となっており、相同ではない。底本の全集補巻では本一首を短歌の補遺に再録していないが、これは再録しなければならない類の有意な違いである。]
〇フリユートを習ふ三夜(さんや)いもいねす。これがためにか肺をいためし、
[やぶちゃん注:「いねす」はママ。校訂本文は「いねず」とする。]
〇自働車吾が住む家かきせるかみ。長外套をきて居るによき、
[やぶちゃん注:太字「きせる」は底本では傍点「ヽ」。]
〇八月は日輪花(ひぐるま)咲きぬ盛んなる、花は伏屋(ふせや)の軒をめぐりて、
[やぶちゃん注:この一首は、「ソライロノハナ」の歌群「午後」の、
八月や似日向葵(ひぐるま)さきぬさかんなる
花は伏屋(ふせや)の軒をめぐりて
の相似歌。]
〇その女何とか言ひて吾が肩をふたつたゝしことがうれしき
[やぶちゃん注:この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」の章にある、
その女何とか言ひてわが肩を
ふたつ叩きしことがうれしき
の表記違いの相同歌。]
〇ピストルを持ちて歩けば巡査よびとがめぬ、これは吾を擊つため
[やぶちゃん注:この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」の章にある、
ピストルを持ちて歩けば巡査よび
とがめぬ、これは我を擊つため
の表記違いの相同歌。]
〇同人數そうぞめかして練(ね)りくるときいてはせみるともらひなりき、
[やぶちゃん注:「そうぞ」はママ。太字「ともらひ」は底本では傍点「ヽ」。この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」の章にある、
同人數そうぞめかして練り來ると
きゝてはせ見るともらひなりき
の表記違いの相同歌。にも拘わらず、何故か底本の全集補巻の「短歌」補遺では本文採用している。「覺ましの自鳴機(オルゴル)の鳴る聲をきゝ。ところも知らぬ支那の街ゆく」を本文採用せず、これを採るというのは(恐らく「きいて」と「きゝて」の違いなのであろうが)、私には全く解せない。]
〇春ゆうべとある酒屋の店さきに
LIQUR(リキユー)の瓶をめてゝかへりぬ
[やぶちゃん注:「ゆうべ」「めてゝ」はママ。この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」の章にある、
春ゆふべとある酒屋の店さきに
LIQUR
の瓶を愛でゝかへりぬ
の相似歌。「LIQUR」の文字列にはルビがないから、これは相同歌ではない。これも「リキュール」とは読んでいないと断言出来ない以上、本来なら本文採用されるべき部類の一首である。]
〇かなた日はてるてる海の靑疊(だゝみ)八疊(じよう)しける室(へや)に晝寢(ひるい)す
[やぶちゃん注:「てるてる」の後半は底本では踊り字「〱」。「じよう」はママ。この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」の章にある、
かなた日はてるてる海の靑たゝみ
八疊ひける室(へや)に晝睡(ひるい)す
の表記違いの相同歌。]
〇春の夜の酒は泡だつシヤンパンシユ樂はたのしき戀の旋律(メロヂイ)
[やぶちゃん注:この一首は、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」の章にある、
春の夜の酒は泡だつ三鞭酒(シヤンパニユー)
樂はたのしき戀のメロデイ
の相似歌。底本は相同歌として本文採用していない。私はこの二首、逆立ちしても相同歌とは思わない。]
〇日毎われ堕落しゆけば歌さへも、俳諧歌とや人は見るらん、
[やぶちゃん注:この歌の後に、七字下げで、『△以上二十一首ハ本年ノ二月ヨリ五月ニ至ルマデノ詠艸