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« 芭蕉逝去まで後6日 | トップページ | 偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅱ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして―― »

2014/11/23

偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅰ) 電子化開始――芭蕉の末期の病床にシンクロして――

芭蕉臨終記 花屋日記

 

[やぶちゃん注:真宗僧で俳人の文暁(ぶんぎょう 享保二〇(一七三五)年~文化一三(一八一六)年:俗姓は藁井(わらい)。肥後八代の真宗仏光寺派正教(しょうきょう)寺(熊本県八代市本町に現存)住職。蕉風俳諧の復興に尽力した僧蝶夢らと親交があり、小林一茶は彼を慕って寛政四(一七九二)年暮から三ヶ月に渡って同寺に滞在したという。)の著になる「芭蕉翁終焉記 花屋日記」(文化八(一八一一)年刊)は上下二巻。上巻には芭蕉の発病から終焉・葬送に至る模様を伝える門人たちの手記を、下巻には門弟・縁者の書簡を収めるが、多量の先行資料を組み合わせて文暁が創作した偽書である。「翁反古」(おきなほご)「芭蕉翁反古文」(ばしょうおうほごぶみ)とも呼ぶ(なお、「翁反古」(おきなほご)という松岡大蟻(たいぎ)編になる天明三(一七八三)年刊の同名の芭蕉書簡集があるが、これとは別物である。因みに、この大蟻のそれも偽書である)。

 正岡子規は本作を読んで落涙、「其角の書ける終焉記はこの日記などに據りて作る」「世界の一大奇書」「十數年間人の筐底にありて能く保存せられたるは我等の幸福にして芭蕉の名譽なり」(「芭蕉雜談」)と絶賛(彼は真作と思っていた)、芥川龍之介が「枯野抄」を書くに当って本作を主素材としたことでも知られる(芥川は本作が偽作であることを薄々感づいていたとも、知っていて確信犯で素材に用いたとも言われる)。

 今回、芭蕉の臨終の床にシンクロして関連作品を電子化注釈してきたが、ここに至って(芭蕉の余命は残り五日ほど)、現在、電子化が成されていないと思われる本作の電子テキスト・データ化に取り掛かることと決した。但し、普段のように注を附け出すと、偽作なだけに膨大な時間が掛かってしまう。芭蕉の死は厳然として直近にある。されば、ベタのテキスト・データとすることとし、禁欲的に字注のみ附した。

 底本は小宮豊隆校訂「芭蕉臨終記 花屋日記」(昭和一〇(一九三五)年岩波文庫刊)を用いた。ポイント落ちの頭書(一行四字)は当該箇所の前後(流れを按配して何れかに【 】書きの同ポイントで配した)に入れ、ポイント落ちの割注は〔 〕の同ポイントで当該箇所本文に挿入した(割注については私の判断で読み易くするために字空けを施したり、逆に詰めたりした箇所が多くある)。判読不能字は推定字数分を□で挿入した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。編者による当該実作についての脚注は編集権を侵害するため、省略、本文中の「腦」など誤字の右のママ注記も無視した。疑義のある箇所については国立国会図書館蔵の牧野望東・星野麦人校訂「芭蕉翁花屋日記」(明治三五(一九〇二)年晩鐘会刊)をデジタル化コレクションで視認、参照校合した。字注では「国会図書館版」と略した。]

 

 

芭蕉談花屋實記序

 

 今は一むかし、此花舍某が後廰は、芭煮翁終焉の地なり。時うつりぬれば、木はたちのびて空を支ふ。星うつりぬれば、石は沈みて人しらずなり行ぬ。元亨釋書曰、人去堺留境者也と。誠なるかな此言。湊川の史錄に楠正成が戰死を聞て、齒を喰しばり涙を墮さゞる族は、忠義をしらぬ人なり。花屋の後廰、芭蕉翁の終焉の實記を見て、涕すゝ泪を拭はざる輩は、世に月花をしらぬ人なり。かゝる舊跡有て、此舊記のあきらかに傳りあること、げに風雅の冥合といはむ。是ひとへに去來先生の篤實にして、翁生涯の事實を書記しおかれしゆゑなりとぞ。かく舊き事はしたはしうこそはべれ。浪速潟みじかき蘆の草枕、松島・蚶潟・須磨・明石、身は風雲の行方さだめず、漂泊二十年の曉の夢、こゝにてをはり給ひし面影のたちさらでのみ、千歳の後といへども朽ざらまし。今風花雪月にあそびて翁を慕ふともがらは、此不可思議なる三生値遇の因と緣とを感仰すべし。

   文化七秋八月五日   東肥乞隱文曉識

 

 

翁反故 上 花屋日記

 

         肥後八代 僧 文 曉 著

         浪  速 花屋菴奇淵校

 

 

【松風の軒をめぐりて秋くれぬ    はせを】

九月廿一日 泥足が案内にて、淸水浮瀨の茶店に勝遊し給ふ。茶店の主が需に短尺抔書て打興じたまふ。泥足こゝろに願ふことあるによりて、發句を乞ひければ

    所思

   此道やゆく人なしに秋のくれ   翁

    峽の畠の木にかゝる蔦    泥足

    歌仙一折有略

【毎年九月廿一日浮瀨四郎右衞門亭にて松風の會式あり。花屋菴より執行ふ。此一折の俳譜芭蕉袖草紙にあり。】

連衆十人なり。短日ゆゑ歌仙一折にて止む。今度はしのびて西國へと思ひたち給ひしかど、何となくものわびしく、世のはかなき事おもひつゞけたまひけるにや。此句につきて、ひそかに惟然に物がたりしたまひけり。

     旅懷

  此秋は何でとしよる雲に鳥     翁

 幽玄きはまりなし。奇にして神なるといはん。人間世の作にあらず。其夜より思念ふかく、自失せし人の如し。雲に鳥の五文字、古今未曾有なり。(惟然記)

 

 二十六日 園女亭也。山海の珍味をもて饗應す。婦人ながら禮をただし、敬屈の法を守る、貞潔閑雅の婦人なり。實は伊勢松坂の人とぞ。風雅は何某に學びたりといふ事をしらず。岡西惟中が備前より浪華にのぼりし時、惟中が妻となる。其時より風雅の名ますます高し。惟中が死後、江戸にくだりて、其角が門人となる。

    白菊の目にたてゝ見る塵もなし 翁

     紅葉に水を流す朝月    園女

連衆九人、歌仙あり。別記。(惟然記)

【歌仙一卷袖草子にあり。】

 

 廿九日 芝柏亭に一集すべき約諾なりしが、數日打續て重食し給しゆゑか、勞りありて、出席なし。發句おくらる。

 此夜より翁腹痛の氣味にて、泄瀉四五行なり。尋常の瀉ならんとおもひて、藥店の胃苓湯を服したまひけれど、驗なく、晦日・朔日・二日と押移りしが、次第に度數重りて、終にかゝる愁とはなりにけり。惟然・支考内議して、いかなる良醫なりとも招き候はんと申ければ、師曰、我本元虛弱なり。心得ぬ醫にみせ侍りて、藥方いかゞあらん。我性は木節ならでしるものなし。願くは木節を急に呼て見せ侍らん。去來も一同に呼よせ、談ずべきこともあんなれば、早く消息をおくるべしと也。夫より兩人消息をしたゝめ、京・大津へぞつかはしける。しかるに之道が亭は狹くして、外に間所もなく、多人數入こみて保養介抱もなるまじくとて、其所此所(ソココヽ)たちまはり、われしる人ありて、御堂前南久太郎町花屋仁左衞門と云者の、裏座敷を借り受けり。間所も數ありて、亭主が物數奇に奇麗なり。諸事勝手よろし。其夜すぐに御介抱まうして、花屋に移りたまひけり。此時十月三日也。(次助兵衞記)

 

四日 車庸・畦止・諷竹・舍羅・何中等は、師の病氣をしらず、之道亭にいたりしに、勞りたまふ事を之道より聞侍りて、花屋にまゐる。

病氣不□□□につき、間尋の人たりとも、慢りに座敷にとほる間敷と、張紙を出す。且、仁左衞門に斷り置事。(次郎兵衞記)

【鼠の尿に腐りて見えず。以下度々あり。】

[やぶちゃん字注:「国会図書館版」では不明字は二字。「間尋」の右に「カンジン」とルビする。]

 

   扣帳〔座敷人用品調取覺竝座敷付之道具品々覺〕   次郎兵衞

       戊十月四日

[やぶちゃん字注:以下、底本では二段組みであるが、上段→下段→(次行同)の形で示した。また底本では本文同ポイントであっても疑義のある箇所は国会図書館版で視認、割注に変えたものが多くある。]

一 机一脚

一 硯一面   〔墨 一挺 水入 小刀〕

一 煙草盆二口 〔火入 灰吹 きせる〕

一 帚    二本

一 夜具五流  〔壹具 絹 四具 木綿〕

一 枕    五ツ

一 膳十人前  〔椀猪口皿添〕

一 竈    三口

一 釜鍋    〔一口 三口〕

一 火箸   三

一 茶瓶掛  二口

一 火鉢   二口〔火箸添 眞鍮〕

一 茶碗   十

一 茶碗鉢  三口

一 薄刄庖丁 三本

一 藥鑵   一口

一 藥溜   二ツ

一 研木   一本

一 摺鉢   一口

一 炭斗   一ツ

一 水嚢   一ツ

一 油德利  一ツ

一 盥    二口

一 手水盥  二口

一 行燈   二張

一 懸行燈  二張

一 挑灯   二張

  右

〔同四日〕

一 白米   一斗

〔同〕

一 味噌  〔三升 赤白〕

〔同〕

一 醬油   一升

〔同〕

一 薪    拾束

〔同〕

一 炭    一俵

〔同〕

一 油    一升

〔同〕

一 紙    一束

〔同〕

一 雜紙   一束

〔同〕

一 鹽    一升

  右

〔一ケ月〕

一 座敷料   三歩二朱  相渡

  右 仁左衞門より受取書置






これ――何が凄いって、最後の次郎
兵衛の控え帳だ!

一見、退屈に見える些細な記録に見えるが、ところがどっこい! これっがこの偽書に大いなる命を与えているのだ。

文曉という監督は黒澤明みたようなもんだ。

映像で開けることも療養所の薬戸棚には総て漢方薬がちゃんと入ってる――

カメラに6段しか映らない神社の階段もスタッフやキャストが演じる際に上に続いているという意識がなくてはならぬと20段も作らせてしまう――

それと同んなじだ。ここに記された細々とした小道具が実際、実際に登場して作品の中で生きてくるのは僅かなのだが、それは読者一人ひとり個人の映像の中で、それぞれの読者の忘れ難い記憶の物品として強烈なリアリズムの輝きを放って使われるからである。

子規が涕泣し、龍之介が使わずんばならずと決したのも肯ける。

――いや! 文曉! 侮れぬ!


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