日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 辮髪風の子どもの髪型
図―544
子供の頭は図544のように、奇妙な形に剃る。支那人の影響を受けたらしく見られる。
[やぶちゃん注:これは後頭部の髪型を見ると、一見、辮髪を真似たようには見えるが、恐らくは江戸時代の子供の髪型である「芥子坊主」の型の一つが、たまたまモースには結って背後に垂らした辮髪に酷似して見えたのではあるまいか。ウィキの「芥子坊主」には(下線部やぶちゃん)、『江戸時代、長屋に住まう一般的な町人の子供達は、寺子屋に通ったり徒弟奉公に出されるまでの間は手入れの手間がかからないように一部の頭髪を残して丸坊主ということが多かった』。『「芥子坊主」の最も基本の型は脳天のみに筆の穂先のように髪を残して丸坊主(芥子坊主の形に似ている)だが、前髪のみ短く残して結ばないもの、頭の両側に残すもの、前髪と後頭部を残すものなど親の趣味によってさまざまな形があった。成長に連れて伸ばす部分の面積を増やし、或る程度伸ばしたものは角大師と呼ばれた』。『一部を残すのは、子供が川遊びをするなどして溺れたときに氏神が残した髪をつかんで引き上げてくれるからと言い習わされているが、短く前髪を残すものを含めていろいろな形があるのは親がわが子を見分ける目的のためと思われる』。女児の場合でも幼児期(六歳くらいまで)は前髪・脳天・両鬢・後頭部(髷を作るあたり)の五ヶ所のみ髪を残して『丸坊主にし、眉も剃る』とある。実はモースは既に最初に日本に上陸した際に、こうした子どもの髪型に注意を向けており、それが「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 12 人力車は乗り方にご用心! / 多彩な子供の髪型」に記載されている。但し、例えばそこに載る「唐子」が中国由来の髪型であること、長崎には当時、多くの中国人が流入していたと考えられるから、そうした辮髪(図ではっきりと後頭部に垂らした紙が結われている)を真似た髪型が、この当時、辮髪風「芥子坊主」の型の一つとして流行っていたと考えることも可能であるように思われる。]
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