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2015/01/01

澄江堂遺珠 神代種亮 跋 図版目次 奥附 / 「澄江堂遺珠」ブログ電子化公開完了

 

 卷尾に

 

 芥川さんから親しく枚正を託された最後のものは「三つの寶」であつた。その中に讀み落した活字が一つあった。「魔術」の中に「骨牌」とか「金貨」とかいふ語があつて、その次に「札」といふ字が出て來るのでルビが「さつ」となつてゐたのを看落したのである。佐藤春夫さんが「誤植を一つ發見して直して置いた」と序文に書いてゐるのは之を指してゐる。今その佐藤さんから遺篇の枚正を託されて感慨の切なるものを覺える。

 校正刷を讀みながら心づいた文字二三を左に摘記して置く。

 「はしがき」中に「本誌」とあるのは「古東多万」のことで、第一號から第三號に亙つて連載されたものに新に補正を加へたものである。

 二十三頁一行の「夾竹桃」は原本には「杏竹桃」とあつたものを編者が訂正したのである。

 三十三頁四行、四十頁二行、同四行、同七行、四十四頁七行、六十七頁一行、六十七頁一行、同五行、七十七頁四行、七十八頁三行の「ゆうべ」は明かに「ゆふべ」の書損であると推測する。芥川さんは他の述作に於て決して「夕」の場合に「昨夜」の假名遣を用ゐてゐない。

 四十八頁四行の「眠ぬ」は「寢ぬ」の意に用ゐたものである。書損と看られぬこともない。

 五十二頁五行「露路」は「露地」と書く意志であつたものと判ぜられる。但し「地」の字では「路」の感じが出ないと芥川さんが考へてゐたかも知れないが、最初に「お時宜」と書いたものを後に私が注意したので「お時儀」と改めたことから推考すると、恐らくは「露地」と書いただらうと思はれる。

 五十二頁七行の「雁皮」は事實から看て明かに「眼皮」の誤書である。雁皮は製紙の原料とする灌木で、鉢植ゑとして花を賞することは殆ど罕な植物である。眼皮は多年生草本で、達磨大師が九年面壁の際に睡魔の侵すことを憂へて自ら上下の目葢を剪つて地に棄てたのが花に化したのだと傳へられてゐる。花瓣は肉赤色で細長い。

 六十頁七行の「仄けき」は「かそけき」と讀むのであらう。「丸善の二階」と題する短歌には「幽けみ」と「幽」の字が用ゐてある。「仄」の字を「かすか」と用ゐた例は芥川さんの他の作には無い所である。

 旁點の箇所は前後の文字の異同に對して讀者の注意を喚ばんが爲に編者の加へたものである。

 扉の「澄江堂遺珠」の五文字は朝鮮古銅活字より採取したもの。見返し及び箱貼りは原本の部分を複寫して應用したものである。

     昭和七年十月三十一日

          神代 種亮

[やぶちゃん注:筆者「神代種亮」(明治十六(一八八三)年~昭和十(一九三五)年)は「こうじろたねすけ」と読まれることが多いが、名は正しくは「たねあき」が正しい。龍之介より九歳上。書誌研究者・校正家。海軍図書館等に勤務したが、校正技術に秀いで、雑誌『校正往来』を発刊、「校正の神様」と称せられた。芥川は作品集の刊行時には彼に依頼している。明治文学の研究にも従事し、明治文化研究会会員でもあった。彼をよく知らない方から見ると、幾ら親しかったとは言え、芥川龍之介のような大家の遺稿集の跋文を何故、校正担当者が書いているのかと不審に思われることであろう。またこの「卷尾に」の内容も、文字通り校正を終えた「卷尾に」という内容で一般的な遺稿集の追悼の意を含んだ跋文とは趣きを異にしている。正直、変な跋であると私は感ずる。そもそもが『校正の神様』という呼称が胡散臭い。森洋介氏のサイト「書庫 或いは、集藏體 archive」の中の「校正癖 あるいはコレクトマニア綺譚」の記載が彼の実体を良く伝えてくれる。例えばその引用では、『なぜ、校正の神様なのか? 頼まれないのに、大作家の著書をつぶさに点検し、誤字や誤植を見つけては、その作家に送りつけた。大作家を始め数多くの作家を知己に持ってゐたのはこの為めであった。作家たちは、神代の力量を認めて、次の著作には彼の校正を求め、自然と校正に関する権威といふ風に扱はれ出し、何時か神様の尊称を呈上された』(廣瀬千香「私の荷風記」)とあり、『神代種亮には逍遥や荷風と格別に昵懇なのだと、装う癖が度を過ぎて強かったのではないか』と推察され、神代はまさに『校正家、とでも言うより仕方のない畸人伝中の人。校正の名人と自称して知名の文士や学者などに擦り寄り、ひとかど文人として振舞う、この世界に何時の時代にもよくある型タイプである』(谷沢永一「文豪たちの大喧嘩――鷗外・逍遥・樗牛」)と酷評されてある。但し、筆者の森氏はこれらの批判に対し、『なるほど、多分それが一半ではあったらう。特に後年、人たる身で神樣呼ばはりされるやうになってはつけ上がらずにゐる方が難しからう(それゆゑ後には荷風からも疎んじられたりする)。けれど、取り卷き連の知友氣取りはよくあることでも名士に近づくに校正を以てすることは誰でも能く爲す所ではないし、はじめ頼まれもせぬうちから正誤を送りつけた初心までを賣名心のみと取るのは酷である。それは作家に取り入る魂膽もあったかしれないが、他面で校正者の性分として、思惑拔きに、間違ひを見つけると默ってをられないといふことがある。それが愛讀する書であれば、なほさら。むしろ普通は著者に誤謬を細かく指摘すれば嫌はれかねぬものを、歡迎されぬと知りながら訂さずにおかない、已むに已まれぬこの氣性。それが、校正癖といふものではないか。必也正名乎(かならずやなをたださんか)(『論語』子路第十三)』と綴られ、神代を『讀書人の業と言ふべき』『コレクトマニア correctomania――即ち校正癖』の持ち主であったのだと位置づけておられる。一つの中立的な評価というべきであろう。但し、冥界の芥川龍之介が、神代が「澄江堂遺珠」の跋を書いた事実をどう思っているかを考えるとやや気持ちとしては複雑である。確かに芥川の諸作品集の校正や彼の「近代日本文芸読本」の影に彼の姿が親しげに見え隠れすることは事実である。しかし例えば、大正一三(一九二四)年八月十九日附小穴一游亭(隆一)宛(旧全集書簡番号一二三六)には、神代が校正した前日公刊された自身の短編作品集「黄雀風」(新潮社刊)に対して、『黄雀風一讀。神代の校正に少々憤慨してゐる』と記している。作者自身が『憤慨してゐる』というのは明らかに神代が原文を弄ったり、とんでもない思い込みのルビを附してあったものとしか思われず、そのような越権行為を無断で平気で確信犯でやってしまう校正者は、これは「神様」どころか「校正職不適格者」であることは最早、言を俟たない。

「三つの寶」没後の昭和三(一九二七)年六月二十日改造社刊。遺作ながら、芥川龍之介唯一の童話集となった。佐藤春夫の序文(後に全文を掲げる)や装幀挿画を担当した小穴隆一の跋を読むと、この作品集の企画が芥川龍之介生前に行われていたことが明記されており、二人ともに龍之介自身もこの本の出るのを樂しみにしていたことを記している。小穴跋には『芥川さんと私がいまから三年前に計畫したものであ』ると企画期日も明記されているが、現在の諸研究ではこの作品集の企画時期は特定されていない。なお、小穴の跋は子どもに向けて書いており、『著者の、芥川龍之介は、この本が出來あがらないうちに病氣のために死にました』と記しているのが、哀感をそそる。収録作品は「白」「蜘蛛の糸」「魔術」「杜子春」「アグニの神」「三つの宝」の六篇である。小穴の挿画が出色。

『その中に讀み落した活字が一つあった。「魔術」の中に「骨牌」とか「金貨」とかいふ語があつて、その次に「札」といふ字が出て來るのでルビが「さつ」となつてゐたのを看落したのである』これは「魔術」(リンク先は私の電子テクスト)の後半部で主人公が「骨牌(かるた)」(トランプ)をするシークエンスに出る三ヶ所の「札(ふだ)」(カード・手札(てふだ))の語を指す(この三箇所総てか一箇所かは不明。因みに調べてみると「魔術」には「骨牌机(かるたづくゑ)」という文字列があるが、ここに記された内容とは異なるし、「机」を「札」とやらかしたものを見落としていたら、幾らなんでも「校正の神様」も堕天するからあり得ない)。あまり知られている事実は思われないが、文学作品の初出ルビというのは、実は泉鏡花のように作者自身が総ルビの原稿を書くことは極めて稀れであり、作者自身が特に難読若しくは誤読防止のために特に明記した場合を除き、殆んどは校正者が附していたのである。

『佐藤春夫さんが「誤植を一つ發見して直して置いた」と序文に書いてゐるのは之を指してゐる』以下、佐藤春夫の序(独立頁大標題は「序に代えて」で見出し題が「他界へのハガキ」である)全文を示す。底本は「名著復刻 日本児童文学館」(昭和四七(一九七二)年ほるぷ社刊)の復刻版「三つの寶」を用いた。但し、底本は総ルビであるが、誤読の虞れは殆んどないと判断し、二箇所を除き略してある)。

   *

 序に代へて

他界へのハガキ

  芥川君

  君の立派な書物が出來上る。君はこの本の出るのを樂しみにしてゐたといふではないか。君はなぜ、せめては、この本の出るまで待つてはゐなかつたのだ。さうして又なぜ、ここへ君自身のぺンで序文を書かなかつたのだ。君が自分で書かないばかりに、僕にこんな氣の利かないことを書かれて了ふぢやないか。だが、僕だつて困るのだよ。君の遺族や小穴君などがそれを求めるけれど、君の本を飾れるやうなことが僕に書けるものか。でも僕はこの本のためにたつた一つだけは手柄をしたよ。それはね、これの投了の校正刷を讀んでゐて誤植を一つ發見して直して置いた事だ。尤もその手柄と、こんなことを卷頭に書いて君の美しい本ときたなくする罪とでは、差引にならないかも知れない。口惜(くや)しかつたら出て來て不足を云ひたまへ。それともこの文章を僕は今夜枕もとへ置いて置くから、これで惡かつたら、どう書いたがいいか、來(き)て一つそれを僕に教へてくれたまへ。ヸリアム・ブレイクの兄弟がヸリヤムに對してしたやうに。君はもう我々には用はないかも知れないけれど、僕は一ぺん君に逢ひたいと思つてゐる。逢つて話したい。でも、僕の方からはさう手輕るには――君がやつたやうに思ひ切つては君のところへ出かけられない。だから君から一度來てもらひ度いと思ふ――夢にでも現にでも。君の嫌だつた犬は寢室には入れないで置くから。犬と言へば君は、犬好きの坊ちやんの名前に僕の名を使つたね。それを君が書きながら一瞬間、君が僕のことを思つてくれた記録があるやうで、僕にはそれがへんにうれしい。ハガキだからけふはこれだけ。そのうち君に宛ててもつと長く書かうよ。

 下界では昭和二年十月十日の夜   佐 藤 春 夫

   *

この「他界へのハガキ」に二ヶ所だけ注しておく。

・「ヸリアム・ブレイクの兄弟がヸリヤムに對してしたやうに」サイト「Digital English and American Poetry Archive」の「ブレイクの生涯」に、ウィリアムは実弟ロバートに彫版術などを教えたが、『まもなく病死する。ロバートが亡くなってから、ブレイクはロバートの霊が天井を抜けて昇天するのを見たと言っている』とある。この辺のことを指すか。

・「犬好きの坊ちやんの名前に僕の名を使つたね」本作品集冒頭にも載る「白」(リンク先は私の「□旧全集版及び■作品集『三つの寶』版」電子テクスト)の主人公は「春夫」である。

『最初に「お時宜」と書いたものを後に私が注意したので「お時儀」と改めたことから推考すると、恐らくは「露地」と書いただらうと思はれる』これは恐ろしく傲慢な発言である。こんな跋文は私なら御免蒙りたい。

『五十二頁七行の「雁皮」は事實から看て明かに「眼皮」の誤書である。雁皮は製紙の原料とする灌木で、鉢植ゑとして花を賞することは殆ど罕な植物である。眼皮は多年生草本で、達磨大師が九年面壁の際に睡魔の侵すことを憂へて自ら上下の目葢を剪つて地に棄てたのが花に化したのだと傳へられてゐる。花瓣は肉赤色で細長い』ともかくも厭な感じの跋ではあるが、これだけは目から鱗であった。詳しくは前掲の、

   汝と住むべくは下町の

   晝は寂しき露路の奥

   古簾垂れたる窓の上に

   鉢の雁皮も花さかむ

             戲れに⑵

に附した私の注(これに続く佐藤の評言の後に附してある)を参照されたい。

『「丸善の二階」と題する短歌には「幽けみ」と「幽」の字が用ゐてある』この一首は、大正十一(一九二二)年三月発行の『中央公論』の「現代芸術家餘技集」の大見出しのもと、「芥川龍之介」の署名で掲載された「我鬼抄」の短歌パート(他に俳句三十句と画賛二)に載る、

  丸善の二階

しぐれふる町を幽(かそ)けみここにして海彼(かいひ)の本をめでにけるかも

である。これは葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」には、

  丸善の二階

しぐれ降る町を靜けみ此處ここにして海彼(かいひ)の本を愛でにけるかも

の形で載る。「靜けみ」は「静かなので」の意(但し、これは「しづけみ」と読むのが普通で「かそけみ」とは読まないであろう)。「み」は接尾語で形容詞語幹に付いて原因理由を表す。葛巻末尾に『(大正八年頃-大正十二年頃 未発表)』と創作推定年が示されているから、後者が先行作か改案かは不明である。以上については私の「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集」を参照されたい。

「朝鮮古銅活字」古活字版の銅活字のこと。但し、金属業者間では表面の劣化がない非情に品質の良い銅材を上銅・上故銅と呼ぶが、「故」は縁起がよくないとして「古銅」と表記するらしい。さすれば、これは「古い」意味以外に「上質の」の意も含まれているようでり、銅活字自体が非常に高価なものであったろうから、朝鮮古銅活字自体はそうした稀少価値のブランド・ステイタスも持っているものなのであろう。] 

 

       圖版目次

     一 白衣像   小穴隆一筆

     一 南支漫遊中驢背の著者

     一 漫畫筆蹟

     一 詩稿筆蹟

 

 (下島製本)

昭和八年三月十五日印刷    定價金貮圓拾錢

昭和八年三月二十日發行

          著者   芥川龍之介

          編者   佐藤春夫

               東京市神田區一ツ橋通町三番地

  (佐藤印)   發行者  岩波茂雄

               東京市神田區錦町三丁目十七番地

          印刷者  白井赫太郎

               東京市神田區一ツ橋通町三番地

          發行所  岩波書店

[やぶちゃん注:奥附。底本では「(下島製本)」を除く全体が黒枠で囲われている。佐藤の印は岩波の社票「種蒔く人」の印刷物の上に捺印されてある。以下、岩波書店刊行の芥川龍之介の「西方の人」「大導寺信輔の半生」「文藝的な、餘りに文藝的な」(以上は単行本)「偸盗」「侏儒の言葉」(以上二冊は岩波文庫版)の広告が各解説附きで一頁宛に続くが、略す。]

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