日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 長崎到着
朝の八時、我々は長崎湾に投錨。私は急いで上陸し、正式に知事を訪問して、我々の派遣の目的を説明した。他ならず、港内並にその附近の海で曳網を行い、帝国大学の博物館のために、材料を蒐集するというのがそれである。我々の仕事を都合よくするには、実験室に使用するよき部屋を手に入れることが必要である。一時間と立たぬ内に、我々のために税関で、大きな部屋を一つ見つけてくれた【*】。我々は曳網、綱、鑵、瓶を取り出し、その他の荷を解き、なお充分時間があったので、私は当地の展覧会を見に行った。
* 私は日本の役人の手ばやく、そして事務家的なやり口を示すためにこの事を記述する。いたる所で私は同様の経験をしたからである。
[やぶちゃん注:明治一二(一八七九)年五月十二日。
「知事」当時の長崎県令であった内海忠勝(天保一四(一八四三)年~明治三八(一九〇五)年)。周防国吉敷郡吉敷村(現在の山口県山口市)生まれの元長州藩士。禁門の変に参加、維新後は新政府に登用されて岩倉使節団に大使随行員として参加、後、地方官として長崎・三重・兵庫・長野・神奈川・大阪・京都の各県令・知事を歴任、明治三四(一九〇一)年には第一次桂内閣で内務大臣に就任している(以上はウィキの「内海忠勝」に拠る)。当時三十四歳。因みに当時、モース満三十九歳であった(モースの生年月日は一八三八年六月十八日)。
「当地の展覧会」原文は“a local exhibition”。これは地場産業の展示会ではなかろうか?]
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