杉田久女句集 318 杉田久女句集未収録作品 ⅩⅩⅣ 昭和四年(全)
昭和四(一九二九)年
庭隅におちし柑子や冬籠り
一むらの寒菊の芽も根分かな
童顏の合屋校長紀元節
[やぶちゃん注:「合屋校長」合屋武城(ごうやぶじょう)は、宇内の上司である当時の小倉中学校(現在の県立小倉高等学校)の校長(専門は博物学)。坂本宮尾氏の「杉田久女」によれば、彼とは『家族ぐるみ親しかった。久女が没したときに宇内とともに病院で通夜をしたのはこの合屋校長であった』とある。]
薄氷や橋の袂の緋鮒賣
[やぶちゃん注:条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科コイ亜科フナ属ヒブナ Carassius auratus auratus 。ウィキの「ヒブナ」によれば、約一七〇〇年前、『中国で発見されたフナの突然変異で誕生した。その後、突然変異などでキンギョとなった。ただし、フナ属のどの種がキンギョの野生種であるかは特定されていなかったが』、二〇〇八年になってDNA分析の結果、フナ属ギベリオブナ
Carassius gibelio が『直接の先祖にあたる事が判明した』とある。]
探梅やお石茶屋にて行逢へり
[やぶちゃん注:「お石茶屋」福岡県太宰府市宰府太宰府天満宮本殿裏側の北神苑にある茶屋。福岡県観光連盟公社の観光情報サイト内の解説によれば、明治三二(一八九九)年生まれの先代女将江崎イシさんが始めた茶店で、『イシさんは美しい女性でおイシしゃんと親しみを込めて呼ばれ、当時の帝国大学の学生の人気の的であったという。やがて学生から社会人となり、政界、財界、文学界で活躍した彼らが全国におイシしゃんの噂を広めた。炭鉱王、麻生太吉は自宅から通いやすいようにとおイシしゃんのためにトンネルを掘ったと言われ、そのトンネルは今でも店の先にあり、現役で使われている』。おイシしゃんは昭和五一(一九七六)年に『亡くなるまで独身を貫き、現在はおイシしゃんの姪が跡を継いでいる。梅ヶ枝餅が食べられるほか、食事もできる。松花堂弁当のお石弁当は女性に人気。梅の香うどんは自家製の梅肉とうどんのだしがからまり、ファンが多い。山かけうどんは粘りが強い丹波の丸いもを使用。北神苑の奥にあるため静かで五月の新緑のころはことさら美しい』とある。昭和四年当時は久女三十九、「おイシしゃん」は三十。『亡くなるまで独身を貫』いたというおイシしゃんは久女をどう見ていたであろう。久女が固有名詞をかくも詠み込むのは極めて珍しいことである。久女はきっとこの茶屋と「おイシしゃん」が好きだったに違いない。]
まきかへす遲日の院の繪卷かな
[やぶちゃん注:前後の句からは「院」は太宰府天満宮内の宝物殿で、「繪卷」は福岡藩初代藩主黒田長政が元和五(一六一九)年に「北野天神縁起」を書写させて奉納した九州最古の天神縁起で「天神縁起絵巻元和本」(現在県指定文化財。以上は太宰府天満宮公式サイトのデータに拠る)か? 識者の御教授を乞う。]
探梅や手にぶらさげし削鷽
[やぶちゃん注:「削鷽」は「けずりうそ」と読み、大宰府天満宮の鷽替(うそが)え神事で知られる「木うそ」である。太宰府天満宮公式サイトの神事の解説によれば、神事自体は一月七日の午後六時から楼門横の天神広場の斎場で行われるとあり、『「替えましょ、替えましょ」の掛け声のもと、暗闇の中で手にした「木うそ」をお互いに交換し取り替え』る。『これは、知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神さまの誠心に替え、また、これまでの悪いことを嘘うそにして今年の吉に取り替えるという意味があり』、『神事の後に手にした「木うそ」はご自宅の神棚にお祀りし、一年間の幸福をお祈りします』とある。]
ふるさとの野に遊ぶ娘やすみれ草
秀枝なる一重山吹咲き初めし
[やぶちゃん注:「秀枝」は「ほつえ」と読む。秀つ枝・上つ枝(孰れも「ほつえ」と読む)とも書く。上代語で「つ」は位置を示す格助詞で、上の方の枝の意。反対語は「下枝」(ししづえ(しずえ)。]
一二辨そりかへりたる姫辛夷
[やぶちゃん注:「姫辛夷」は「ひめこぶし」と読むが、これは狭義にはモクレン目モクレン科モクレン属シデコブシ(幣辛夷・四手拳)Magnolia stellata の別名である。但し、本種は日本固有種で、愛知・岐阜・三重県の一部に分布する周伊勢湾要素(東海丘陵要素植物群)」の一種であるからどうもこれではなく(ここまではウィキの「シデコブシ」に拠る)、ここでは単にモクレン属コブシ Magnolia Kobus の樹体も花も小さなものを指しているようである。]
芽杉もてふけるところや花御堂
大蛇のすがりしまゝに風の藤
[やぶちゃん注:久女らしいいい句である。]
靑芝や樋割れにのせし石一つ
[やぶちゃん注:個人的に好きな視線である。]
老鶯やこもり馴れたる槐宿
草むしる芝生の所化も紺單衣
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「所化」は「しよけ(しょけ)」で修行僧。ここは若い必要があるように私は思う。]
梅雨雲のかくさうべしや霧が嶽
[やぶちゃん注:「霧が嶽」福岡県北九州市小倉北区にある標高五九七・八メートルの足立山の別名。]
釣蘭や深彫りしたる十字架(くるす)の名
一椀の味なき飯や梅雨ごもり
靑桐やいよいよしげき簷の雨
わかるゝや夾竹桃の影ふみて
斑猫の翅をひろげて舞ひ去れり
川上へのぼりつれけり星の笹
青瓢驟雨過ぎたる草むらに
育瓢曉雨凝りたる草むらに
新涼や莟尖りし白桔梗
夫をまつ料理も冷えぬちゝろ蟲
芋畑に沈める納屋の細灯
月光を遮る簷の廣葉かな
そこばくの稿料えたりホ句の秋
草の實をいつしかつけて憩ひけり
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