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2014/12/25

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 弁財船と打瀬舟

M561

図―561

M562563

図―562[やぶちゃん注:上図。]

図―563[やぶちゃん注:下図。]

 

 昨日、我々の汽船が米を積み込んでいる間、日本の戎克が一艘横づけになっていたので、私はそれを写生する好い機会を得た。その内で大きな舵が動く、深い凹所を持つ奇妙な船尾、後にある四角な手摺、その他の細部がこの舟を一種独特なものにしている。図561は船尾の図、図562は船尾を内側から見た所で、如何に其の場所が利用されているかを示す。舵柄は取り除いてある。こまごました物の中には料理用の小さな木炭ストーヴ、即ちヒバチがあり、また辷る戸のついた小さな食器戸棚は、料理番の厨室(ギャラリー)を代表している。

[やぶちゃん注:既注の弁財船(べざいせん)である。]

 

 戎克のあるものは微細な彫刻で装飾してある。図563は舳(へさき)にある意匠で、木材に刻み込まれ、線は広くて深く、緑色に塗ってあるが、これを除いては船体のどこにも、ペンキもよごれも見当らぬ。木部はこの上もなく清浄で、いつでも乗組の誰かが水洗いしている。乗客戎克の多くには、幾何学模様の各種の寄木(よせぎ)で美しく装飾したものがある。古い戎克のある物は、その一風変った外観に慣れると、全く堂々として見える。それ等は非常に耐航性が無いといわれるが、竜骨が無いので風に向って航行することが出来ず、その結果常に海岸近く航海し、暴風雨が近づくと急いで避難港へ逃げ込む。

M564

図―564

 

 薩摩の漁船は非常に早く帆走するという話だが、高さの異る帆を舳から艫(とも)に並べた、変な格好の舟である。図564は極くざっと、それを描いたもの。舷には櫓や網や竿やその他がゴチャゴチャになっているので、我々の横を疾走して行く時、私は極めて朧気な印象を得た丈である。檣(マスト)は三本。真中のは何か神秘的な方法で、他の二本によって支持されている。原始的な、そして覚束なくさえある帆の張りようは、誠に珍しいものであるが、而も引下さねば決して下りて来ぬらしい。

[やぶちゃん注:この船は打瀬舟(うたせぶね)と呼ばれるものではなかろうか? これは大きく張り出した複数の帆(グーグル画像検索「を見ると、少なくとも現在のものは三~四枚の主帆以外に補助の帆もあるようである。モースの謂いから見ると、彼が見たものも実際にそうした補助の帆が張られていたのかも知れない)にかかる風圧を利用して、船を横流れさせて(これを「打たせる」と呼ぶ)ながら、海底の網を引き回して魚を獲る漁法を打瀬網漁と呼び、古く江戸中期には瀬戸内海に出現したとされている。検索をかけると現在でも有明海に現役や観光船としてあることが分かる。マストは二本が普通であるが、三本のものもあったらしい。モースが「真中のは何か神秘的な方法で、他の二本によって支持されている」とあるから、これは実際にはマストは二本で、そこから索繩と固定器具を用いて中央の一帆を上げ下げしていたものかも知れない。識者の御教授を願えると嬉しい。]

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