橋本多佳子句集「海彦」 冬 枯山中
枯山中
笹枯るる明さ山中猫さまよひ
冬夜の霧馴れし道ゆく馴れし水音
冬日の髪茶色母われが伝へし
冬の石乗れば動きぬ乗りて遊ぶ
めざむよりおのが白息纏ひつゝ
対丈(つゐたけ)の着馴れし冬着に手足出し
[やぶちゃん注:「対丈」長着や長襦袢・男物などの仕立てで、身丈と同じ寸法に仕立てた丈。身の丈と同じに布を裁って仕立てた着物。対丈の着物はお端折り(おはしょり:着物を着た際に帯の下に出て折り返してある部分のことを指し、通常はこれによって着物の長さを調節する。一般にその長さは指の長さ程度が程よいとされる。江戸後期には女性の着物は対丈でお端折りがなかったが、次第に丈が長くなり、屋内では裾を引き、外出するときに腰でたくし上げて短くして着用していた。明治中頃になると、屋内でもお端折りをして着るようになったが、男性の着物はお端折りをしないのが普通で、腰の部分で余分な長さを内側に縫い込む「内揚げ」(うちあげ:着物の内側で帯の下になる位置に予め施しておく縫い込み。これを設けておくと裾が擦り切れた時などにも裾を切っても本来の身丈を確保出来、また仕立て直しの際に丈の調節が可能という融通性が出る。)が施される。裾が汚れたりすり切れたりした場合は、洗い張りの後、裾を切ってここを用いて仕立て直す。)を作らないで着付け、これを「対丈で着る」と称する。お端折りがない分、上半身の微調節が利かず、着づらいと感ずる人もいるが、逆に襟元の固定が簡単なために着崩れがなくすっきりと着られるともいう。但し、腰紐を結ぶ位置や後ろ裾が下がらないようにするなどの工夫が必要(以上は「きもの用語大全」を参照した)。]
はしばしより凍て髪を解きほぐしゆく
四方枯野たるを燈ともして忘る
天の青さ広さ凍蝶おのれ忘れ
月明し凍蝶翅を立て直す
厚き氷の下にて泥の尾鰭もつ
心臓に突然変調を覚ゆ 五句
絶対安静雪片の軽々しさ
絶対安静降りくる雪に息あはず
生(いく)るはよし静かなる雪いそぐ雪
枕上み枯れし崖立つ枯れはてし
雪まぶしひとと記憶のかさならず
[やぶちゃん注:既に注したが、年譜によれば、この昭和二七(一九五二)年(満五十三歳)の四月に多佳子は心臓の変調を訴え、俳友で医師の平畑静塔に来診を乞い、心臓ノイローゼの診断を下されている。『心臓発作の起こった当日は、NHKの「番茶クラブ」』(当時のNHKテレビの第二放送でこの年から開始された番組で、火曜日の二十時三十分から二十一時の間に放映されていた座談会形式の番組)『開催の日で、多佳子は毎回出席を楽しみにしていただけ落胆する。メンバーは、上司海雲(東大寺)』(第二〇六世東大寺別当)、『須田剋太』(洋画家)、『竹中郁、入江泰吉、川村与志栄』(染物家か? 京都市日向市公式サイト内の「寄贈美術品の紹介」の「渡邊武コレクション」の中に、同姓同名の方の「つなぎ椿文手拭」なるものを見出せる)『等の大阪周辺の有名文化人』であったとある。]
暮れてゆくひとつの独楽を打ちにうつ
きしきしと帯を纏(ま)きをり枯るる中
かじかむや頭(づ)の血脈(けちみやく)の音とくとく
オリオンの盾新しき年に入る
撃ちもたらす鴛鴦(おし)どこよりか泥こぼす
鼓ケ浦誓子居に「俳句」座談会ありて
三鬼・静塔氏らと集る 一句
踵深き静塔のあと千鳥の跡
[やぶちゃん注:「鼓ヶ浦」既注。現在の三重県鈴鹿市寺家町鼓ヶ浦。]
雪嶺が遠き雪嶺よびつゞけ
鴨隠るときあり波に抗はず
(二十七年)
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