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2014/12/29

『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」  大塔宮石塔

    ●大塔宮石塔

大塔宮土籠の東南なる山上にあり。建武二年。理智光寺住僧宮の屍を埋葬せし所なり。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が一字下げ。]

太平記曰。淵部伊賀守藥師堂谷へ馳歸て。大塔宮を刺殺(さしころ)し奉りけるに。御眼(おんめ)生たる人の如し。淵部是を見て。斯樣の首をは主にはみせぬ事ぞとて。側の藪野の中へぞ投捨てゝ歸りける理智光院の長老かゝる御事と承り及候とて。葬禮の御事取營給へりと。按するに淵部か宮の御首を投捨たりといふ藪は今尚鎌倉宮の後の畠中に殘り居れり。

[やぶちゃん注:「淵部伊賀守」「淵部」は「淵邊」の誤植と思われる。概ね土籠に既。参照されたい。以下の「太平記」の記載には省略がある。以下に「太平記卷第十三」の「兵部卿宮薨御事 付 干将莫邪事」の当該部を示す。岡見正雄校注角川文庫版を用いたが、恣意的に正字化し、漢文表記部分は訓読、送り仮名を添えて読点を増やした。読みは私の裁量で独自に(底本のそれは正規の歴史的仮名遣とは異なる)附した。また、漢字の一部を変更した箇所がある。

   *

左馬頭、既に山の内を打ち過給ぎける時、淵邊(ふちのべ)伊賀守を近付けて宣ひけるは、「御方(みかた)無勢に依つて、一旦、鎌倉を引き退(そりぞ)くと雖も、美濃、尾張、三河、遠江の勢を催して、頓(やが)て又、鎌倉へ寄せんずれば、相摸次郎時行を滅ぼさん事は、踵(くびす)を囘らすべからず。猶も只、當家の爲に、始終、讎(あた)と成らるべくは、兵部卿親王なり。此の御事、死刑に行ひ奉れ、と云ふ敕許はなけれ共(ども)、此の次でに只だ失ひ奉らばやと思ふ也。御邊(ごへん)は急ぎ藥師堂の谷へ馳せ歸りて、宮を刺し殺し進(まゐ)らせよ。」と下知せられければ、淵邊、畏つて、「承つて候」とて、山の内より主從七騎引き返して、宮の坐(ましま)しける籠(ろう)の御所へ參りたれば、宮はいつとなく闇の夜の如くなる土籠(つちろう)の中に、朝(あした)に成りぬるをも知らせ給はず、猶ほ燈(ともしび)を挑げて御經あそばして御坐(ござ)有りけるが、淵邊が御迎ひに參りて候由を申して、御輿(こし)を庭に舁(あ)き居(す)へたりけるを御覽じて、「汝は我を失はんとの使ひにてぞ有るらん。心得たり」と仰せられて、淵邊が太刀を奪はんと、走り懸らせ給けるを、淵邊、持たる太刀を取り直し、御膝の邊りをしたゝかに打ち奉る。宮は半年許り籠の中に居屈(ゐかが)まらせ給たりければ、御足も快よく立たざりけるにや、御心は八十梟(やたけ)に思し召されけれ共、覆(うつぶ)しに打ち倒され、起き擧らんとし給ひける處を、淵邊、御胸の上に乘り懸り、腰の刀を拔いて、御頸を搔かんとしければ、宮、御頸を縮めて、刀のさきをしかと呀(くわ)えさせ給ふ。淵邊、したゝかなる者なりければ、刀を奪はれ進(まゐ)らせじと、引き合ひける間、刀の鋒(きつさき)一寸餘り折れて失ひにけり。淵邊、其の刀を投げ捨て、脇差の刀を拔いて、先づ御心(おんむな)もとの邊を二刀、刺す。刺されて、宮、少し弱らせ給ふ體(てい)に見へける處を、御髮を摑んで引き擧げ、則ち、御頸を搔き落す。籠の前に走り出でて、明るき所にて御頸を見奉るに、噬(く)ひ切らせ給ひたりつる刀の鋒(きつさき)、未だ御口の中に留まつて、御眼、猶ほ生きたる人の如し。淵邊、是を見て、「さる事あり。加樣の頸をば、主には見せぬ事ぞ。」とて、側なる藪の中へ投げ捨ててぞ歸りける。

 去る程に御かいしやくの爲めに、御前に候はれける南(みなみ)の御方、此の有樣を見奉りて、餘りの恐しさと悲しさに、御身もすくみ、手足もたゝで坐(ましま)しけるが、暫く肝(きも)を靜めて、人心付きければ、藪に捨てたる御頸を取り擧げたるに、御膚へも猶ほ冷えやらず、御目も塞(ふさ)がせ給はず、只だ元の氣色(きしよく)に見へさせ給へば、こは若(も)し夢にてや有らん、夢ならばさむるうつゝのあれかしと泣き悲み給ひけり。遙かにりて理致光院の長老、「斯かる御事と承り及び候」とて葬禮の御事、取り營み給へり。南の御方は、軈(やが)て御髮(かみ)落(をろ)されて、泣々、京へ上り給ひけり。

   *

 少し語注を附しておく(底本の岡野氏の注を参考にした)。

・「八十梟(やたけ)に」は「彌(いや)猛けに」で勇みに勇んでの意。

・「かいしやく」介錯であるが、ここは傍について世話をすることの意。

・「南の方」護良親王の側室雛鶴姫。鎌倉宮」既注。]

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