橋本多佳子句集「海彦」 春 生いつまで / 鶯 / 和具大島 / 青葉木菟
生いつまで
桜大枝刃もので載りしすがしさ
春嵐鳩飛ぶ翅を張りづめに
四方の扉(と)を閉(さ)して静かに春の塔
生(せい)いつまで桜をもつて日を裹(つゝ)む
手がとゞくかなしさ桜折りとりぬ
(二十八年)
[やぶちゃん注:多佳子、五十四歳。]
鶯
春の暮白き障子を光とし
流水と関る藤が色に出て
[やぶちゃん注:「関る」は「あづかる(あずかる)」と訓じていよう。]
子がつくりし干潟砂城(すなじろ)潮満ち来(く)
卒業近しバスケツトボールはづむを摑み
切株ばかり鶯のこだまを待つ
蝶食ひし山蟻を許すか殺すか
枯崖に雨鶯の鳴きしあと
加太浦に誓子先生、静塔氏と遊ぶ 三句
ばらばらに漕いで若布(め)刈の舟散らず
[やぶちゃん注:「加太浦」は「かだうら」で和歌山県和歌山市加太と思われるが、昭和二九(一九五四)年の年譜の年初の辺りにはこの旅の記載はない。「若布」二字で「め」と読ませている。]
海人の掌窪(てくぼ)棘だつ雲丹の珠が載り
子が駆け入る家春潮が裏に透く
たんぽゝの金環いま幸福載せ
(二十九年)
和具大島
津田清子さんと同行志摩へ二日の旅をして
潮潜るまで海女(あま)が身の濡れいとふ
[やぶちゃん注:年譜に昭和三〇(一九五五)年春、清子同伴で志摩へ二日間の旅を楽しんだとある。「和具大島」の「和具」は三重県志摩市志摩町和具(わぐ)。前島(さきしま)半島の中心的な集落で、同県鳥羽市の伊勢湾口にある菅島(すがしま)や的矢湾の北の岬の相差(おうさつ)と並んで海女の多い地域として知られる。その「大島」は熊野灘上にある無人島。志摩町布施田(和具の西側で接する)の広の浜の沖合二・五キロメートルにある二十平方メートルの小島である。和具の八雲神社が所有する私有地で三重県指定天然記念物の「和具大島暖地性砂防植物群落」(昭和一一(一九三六)年指定)があり、ハマユウの花が咲く(北東約五百メートルの本土寄りに和具小島があって、大島と同じくハマユウが群生する)。大島・小島は浅瀬と岩礁に取り囲まれており、付近はイセエビを始め、アジやサバなどが獲れる漁師や海女の好漁場で、「和具の金蔵」とも呼ばれる(以上はウィキの「志摩町和具」に拠った)。]
海女舟に在り泳げざる身をまかせ
鎌遁れし若布が海女の身にからむ
あはび採(と)る底の海女にはいたはりなし
海女潜り雲丹を捧げ来(く)若布(め)を抱き来
[やぶちゃん注:「若布」二字で「め」と読ませている。]
南風(まぜ)吹けば海壊れると海女歎く
[やぶちゃん注:「南風」二字で「まぜ」と読んでいる。海上を南方から強く吹いて渡ってくる南風は「みなみかぜ」「なんぷう」以外に、漁師や船乗りらが「みなみ」「はえ」「まぜ」「まじ」「ぱいかじ」などと呼称し、これを天候が激変する予兆として強く警戒する。]
産みし乳産まざる乳海女かげろふ
海女あがり来るかげろふがとびつけり
かげろふを海女の太脚ふみしづめ
平砂に胸乳海女の濡身伏せ
春の日がじりじり鹹(から)き身が乾く
(三十年)
青葉木菟
青葉木菟記憶の先の先鮮か
[やぶちゃん注:「青葉木菟」は「あをばづく(あおばずく)」と読み、フクロウ目フクロウ科アオバズク Ninox scutulata のこと。ウィキの「アオバズク」によれば、全長二七~三〇・五センチメートル、翼開張六六~七〇・五センチメートル。『頭部から背面は黒褐色の羽毛で覆われる。下面の羽毛は白く、褐色の縦縞が入る。顔を縁取るような羽毛(顔盤)は不明瞭』。『虹彩は黄色。嘴の色彩は黒い。後肢の色彩は黄色』で、『オスはメスに比べて相対的に翼長が長く、腹面の縦縞が太くなる傾向がある』。『鳴き声は基本的に「ホッ、ホッ」と二回ずつで規則正しく分かりやすい』。『群れは形成せず単独もしくはペアで生活する。夜行性で、昼間は樹上で休む』。『食性は動物食で、昆虫類、両生類、爬虫類、小型の鳥類、小型哺乳類などを食べる』。『樹洞(時には庭石の間や巣箱)に巣を作り』、一回に二~五個の卵を産む。『抱卵はメスのみが行い、オスは見張りをしたりメスに獲物を運んだりする。抱卵期間は』約二十五日、巣立ちまでの日数は約二十八日で、『雛は巣立ち後、徐々に営巣木から周辺の林へ移動する』。『大木の樹洞に巣を作るため社寺林に飛来したり、昆虫類を食べるため夜間に街灯に飛来することもあり、日本では最も人間にとって身近なフクロウ』であるとある。グーグル画像検索「Ninox scutulata」。昼間の動画(1945tulip氏)と鳴き声(gaskg9氏)をリンクしておく。この「青葉木菟は」、前に注したが、年譜の昭和三〇(一九五五)年の八月の条に、『二十九日、俳句が出来ないので、津田清子に案内され、赤目の滝』(既注)『に吟行。滝本屋に一泊。宿の窓にみみずくが止る。幼鳥のときに拾われ、飼われて育ち、成鳥となり山に還されたもの。しかし、腹が空くと、餌をもらいに滝本屋にもどってくる』(「滝本屋」も同リンク先に既注)とある「みみずく」であろう。]
草炎や一歯(し)を欠きし口閉づる
春の蟬こゑ鮮(あたら)しくしては継ぎ
石光寺にて
牡丹百花衰ふる刻(とき)どつと来る
[やぶちゃん注:「石光寺」は「せつこうじ(せっこうじ)」と読む。奈良県葛城市染野にある浄土宗の寺。参照したウィキの「石光寺」によれば、『山号は慈雲山。本尊は阿弥陀如来。出土遺物等から飛鳥時代後期(白鳳期)の創建とみられる古寺で、中将姫伝説ゆかりの寺院である。境内には中将姫が蓮糸曼荼羅を織成する際に蓮糸を染めたという井戸「染めの井」と、糸を干したという「糸掛桜」があり、「染寺」と通称されている。観光的にはボタンの寺として知られ、境内にはボタン、シャクヤク、アジサイ、サクラ、サルスベリなどが植えられている』。まさしく『牡丹・寒牡丹・芍薬と中将姫伝説で有名な奈良のお寺』と名打っている公式サイトはこちら。]
春の日の木樵また新しき株
手繰る藤素直に寄り来藤ちぎる
鶯の必死の誘ひ夕溪に
地上に母立つぴしぴしと椿折る
西の日に紅顕(た)ち来るや貴妃桜
[やぶちゃん注:「貴妃桜」楊貴妃桜。サトザクラ(グーグル画像検索「サトザクラ」)の一品種で花は大きく淡紅色の八重咲き。グーグル画像検索「楊貴妃桜」。
因みに、杉田久女は句にはこの貴妃桜を詠んだ連作がある。以下に示す。
掃きよせてある花屑も貴妃櫻
風に落つ楊貴妃櫻房のまゝ
花房の吹かれまろべる露臺かな
むれ落ちて楊貴妃櫻房のまゝ
むれ落ちて楊貴妃櫻尚あせず
きざはしを降りる沓なし貴妃櫻
……さても……誰が……美しくも哀しい楊貴妃だったのであろう…………]
« 橋本多佳子句集「海彦」 春 落椿 / 阿修羅の掌 / 信濃三月 | トップページ | 橋本多佳子句集「海彦」 春 淡路門崎 / 伊予行 第四句集「海彦」 了 »