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2014/12/26

耳嚢 巻之九 悌心兄を善導に誘ふ事

 悌心兄を善導に誘ふ事 

 越後の産のよし、所も名も聞(きき)しが忘れたり、兄弟の子供ありて、兄は殊の外の惡黨にて、弟幼年の節、親も見かぎりしや勘當して追出(おひだ)しぬ。然るに親父は相果(あひはて)、弟は至(いたつ)て母にも孝なれども困窮して、もとは田地ありしが皆賣拂(うりはら)ひたち行(ゆき)がたきゆゑ、弟十六七歳のころ母は親類の方へ引取(ひきとり)、奉公稼(かせぎ)をなし、其身は江戸のしるべを求めて町方へ奉公し、さる醫師の方に勤(つとめ)しが、至て實體にて精勤なしけるゆゑ、主人はさらなり、近邊にても眼を懸けゝるが、主人より給(たまは)る給金其外一錢も遣ふ事なく、十年程の内に金拾四五兩貯(ため)て、さて主人に向ひ、我等はかくかくの身にていまだ母も存在なり、何卒右の通り金子貯候得(たくはへさふらえ)ば國元へ立歸り、聊(いささか)の田地をもとり戻し母を養育いたし度(たき)間、暇(いとま)給はるべき由申ければ、主人も其孝心を感じ早速許容して、右貯候金子は、在方へ至りて其要になすべしとて、路用は別段にあたへたり。近所の者も夫々(それぞれ)花むけして江戸を立(たち)けるに、古郷(ふるさと)へやがて行べしと思ふ旅中、人放れの場所にて山だちに行逢(ゆきあひ)、右金子は不及申(まうすにおよばず)、衣類をも剝取(はぎとり)、丸の裸になしてければ、さるにても難儀非運の事と思ひ、盜人(ぬすつと)の内親方らしきに向ひ、右の通り被剝取(はぎとられ)候上は古郷へも難歸(かへりがたく)、又江戸へも難參(まゐりがたし)、第一丸裸にては寒氣も難凌(しのぎがたく)、しかる上は何卒御身の住家(すみか)へともなひ、從者(ずさ)とも手下とも思ひて身命(しんみやう)を助け給へと歎きければ、流石に不便(ふびん)とや思ひけん、襦袢を一つ與へ、盜取(ぬすみとり)候品を背負(せおは)せ山奧の彼(かの)賊の宿へいざなひぬ。夫(それ)より一兩日ありて彼賊にねがひけるは、我等もいまは可爲(なすべき)やうもなければ何卒江戸表へかへり申度(まうしたく)候、外々の雜物(ざふもつ)はかへし給ふに不及(およばず)、道中犬おどしにも候間、何卒我等がさしたる脇差は柳原にてとゝのへし品ながら右を給(たまは)り候へと歎きければ、成程尤(もつとも)の事ながら、盜人の一旦手に入りしものを歸すといふ事なし、外(ほかの)腰の物を遣すべし迚、繩からげになし置(おき)たる腰物(こしのもの)を出し、此内にて寄りとれと申(まうし)ける故、錆身一腰(さびみひとこし)を申請(まうしうけ)て立別れ右賊(ぞくの)巣を立出(たちいで)、江戸へ歸り元の主人の醫師の許へ至りて、かくかくの仕合(しあはせ)、無據(よんどころなく)立歸りかゝる不仕合(ふしあはせ)に候得ば、元の如く召使(めしつか)ひ給はれとかたりけるゆゑ、律義の者なれば主人も憐みしが、さるにても汝が差(さし)たる脇差はいかゞ哉(や)と尋(たづね)しに、賊に願ひて貰ひたりと、一部始終語りけるに、彼醫者は打物等好み目利(めきき)などせしが彼錆身を見て、此脇差は見所ありとて、主人と賴みたる方へ彼醫者持參して色々評定見改(みあらため)候所、遖(あつぱれ)の上作物(じやうさくもの)故、研(とぎ)など申付(まうしつけ)て三十兩の買上(かひあげ)になりしかば、彼者へ其譯申(まうし)て代金遣(つかは)しければ大きに悦び、かく金子も出來し上は一日も初願むなしうすべからずと、主人へ厚くねがひければ、得心して其心に任せ、此度は隨分用心して國元へ下りけるが、彼追剝に逢ひし場所は、甚だ用心あしき所、如何せんと思ひしが、得と思案して彼賊の宅へ至り、親方御無事なりやと尋(たづね)れば、彼もの大きに驚き、汝はさる頃衣類貯(たくはへ)等被奪取(うばひとられ)しものならずや、いかなれば又我方へ來りしと尋けるゆゑ、有(あり)し次第いさいに咄し、扨我等が被奪取(うばひとられ)し金は十五兩程なり、その方より貰ひ請し刀を拂ふ所三十兩なり、右の餘分我(わが)かたに殘さんも心憂し、これを返すべしと、右の負數の金子を十五兩遣しければ、彼賊大きに驚き、右の金品身さづかりし金なり、受まじき由を申(まうし)、さてお身はいづ方の人成哉(なるや)と尋ける故、越後かくかくの生れにて母親存生(ぞんしやう)故、田地にても求めて老ゆく末を養はんと來るなり、一旦御身に被奪(うばはれ)し金も右の要なりと咄しければ、彼賊又大きに驚き歎きて申けるは、我は汝が兄、汝は幼かりし故知(しる)まじけれど、惡黨故、親元を出、かゝる惡業をなす、汝は孝心の助(たすけ)にてかく天の惠みもあれば、能(よく)我(わが)惡事を今迄天のゆるし給ふも空恐ろし迚、扨手下の者を呼びあつめ、盗取候品々を爲差出(さしいださせ)、右の内金子五六十兩ありしを三十兩計(ばかり)請取(うけとり)、扨某(それがし)は仔細あつて是迄の渡世をふつふつ思ひとまりたり、然る上は何もいらざる間、路金は少々取候得ども、殘る家財雜具女房共に汝にあたふる間、好き次第わけ取べしとて、弟と倶に在所へ歸り、親の放せし田畑を取戻し扨母をもむかへてありけるが、弟は兄なれば、彼(かの)者に家を立(たて)よといひ、兄は一旦勘當の身なれば、汝家主となつて跡相續せよと言(いひ)しが、弟さらにうけずとありしに、彼賊せし兄、如何思ひけん、もとゞり切拂(きりはらひ)、出家して行衞なくなりしとや。弟の悌心(ていしん)にて兄をも本心に誘ひし事と、人の語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。岩波の長谷川氏注に、「日本昔話集成」第四巻に『出る山賊の弟型の話。新潟その他に分布』とある。柳田國男の「日本の昔話」に載るので、最後に補説として附記しておいたが、少なくとも、この柳田の記す者は、はもう『型』というよりもまんまの相同話と言ってよい。幾分変異が見られるように思われるのは児童向けを配慮した柳田の編集が加わっているせいであろう。なお、私はこの柳田の訳には一切影響を受けずにオリジナルの原文訳(一部翻案)を手掛けた。御比較あれかし。

・「悌心」年長者に心から柔順に仕える気持ち、兄弟や長幼の序とその情の厚いこと。

・「山だち」山賊。

・「柳原」底本の鈴木氏注に、『神田川右岸。左岸を向柳原という。土手を背にして小商人が床見世を並べ、安物を売った。古着などその代表。俗に柳原物の名で呼ばれた』とある。「床見世」は「とこみせ」と読み、床店とも書く。商品を並べただけの寝泊まりしない簡単な店又は移動可能な小さな屋台店をいう。

・「遖(あつぱれ)」「研(とぎ)」孰れも底本の編者のルビ。

・「負數」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『員數』で「いんじゆ」とルビを振る。これなら「員数」(いんず/いんずう)と同じで物の数又は一定の数を指し、ここはその「余分な」十五両分を指す。原本の「員數」の誤写と採る。因みに、「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏であるが、文化・文政期の農地が一反(三百坪)で一・五~三両で現代に換算すると一両百万円相当とするデータに則るなら、十五両千五百円で十五反から三十反、三十両三千万円で三十反から六十反は買える計算になる。話柄自体はもっと時代を遡ると考えれば、さらに広大である。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 弟の悌(てい)の真心が兄を善導へと誘(いざな)った事

 

 越後の生まれのよし――在所も、その名も聞いて御座ったが失念致いた――、兄弟の子供のあって、兄と申す者は、これ、殊の外の悪党にて、親も見限ったものか、まだ弟が頑是ない時分に、勘当して家から追い出してしもうた。然るに、当の親父はほどのぅ病いを得てあい果て、幼いながらもこの弟、残された母に対しても至って孝で御座ったれど、何分にも若年なれば、家を支えることもままならず、どうにも困窮致いて、もとは相応の田地を持っておったれど、これ皆、売り払い、それでも首の回らねば、遂には生計(たつき)のたち行き難くなったによって、弟はその頃、既に十六、七歳となって御座ったによって、取り敢えず、母は親しき親類の方へと身柄を預かってもらい、母へは、その身一人の糊口は何とか凌ぎ得るところの、奉公の稼ぎを、これも無理にも紹介してもろうた上、その弟自身は江戸の知れる方に頼みをかけてはるばる上ると、町方への奉公を探した。すると、さる医師の方で勤め先が見つかったと申す。

 

 さてもこの少年、いたって実体(じってい)にして、家事手伝いに精勤なして御座ったによって、主人は勿論のこと、近隣にても、誰(たれ)もが眼をかけて可愛がって御座った。

 主人より給わる給金その他は、まず普段は一銭も遣(つこ)うこともなく、十年ほど医家へ奉公しておるうち、実に金十四、五両も貯めて御座った。

 さて、そんなある日のこと、この青年、主人に向って、

「……我らはかくかくしかじかの身の上にて御座いまして……実は未だ母も存命(ぞんめい)……ここはどうか……この通り、いささかの金子を貯うることが出来ましたによって……ここは一つ……国元へと立ち帰り、僅かばかりでも、かつての田地をも取り戻し……ささやかながら……母を養育致しとう存じますれば……どうぞ……お暇ま、これ、給わりとう、平にお願い申し上げ奉りまする……」

と、切々と申したによって、かの主人医師も、その青年の深き孝心に感じ入って、早速に許諾致いた上、

「――かの貯め置いて御座った金子は、在方へと参りて、田畑買い戻しの用に使(つこ)うたがよい。」

と命じ、帰郷の路用をも、これまた別にかの者へ与えたと申す。

 近所の者どもも、それぞれに餞別をやって、いざ、江戸を旅立った。

 

 さて、故郷(ふるさと)へも、もう着かんとするかと思う旅の終わり、人気のなき場所にて運悪う山賊に行き遇うてしもうた。

 身を粉にして貯めた金子は申すに及ばず、身包(ぐる)み剥れて、丸裸。

『……そ……それしにして……ど……どうして……どうして、我ら……かくも……難儀にて非運の目(めえ)に……遇うので、あろ……』

と思うと、目の前に立ちはだかって嘲り笑って御座った盜人(ぬすっと)のうちの、親方らしき者に向こうて、

「……こ、この通り……身包み剥ぎ取られました上は……あまりの恥ずかしさゆえ……我ら念願の帰郷の願いも果し難く……また……永年(ながねん)奉公致いて我らを送り出して下すった江戸の恩人の元へも、これ、舞い戻るわけにも参りませぬ……第一からし……この丸裸にては……今の季節の寒気を凌ぐこともままなりませず……このままにては……この場にて……凍え死に致すを……待つばかり……しかる上は……何とぞ……御身(おんみ)の住家(すみか)へ我らを伴われ……従者(ずさ)なりとも……手下なりとも……お思い通り……ご命令通りに致しますによって……どうか! お使い下さりませぬか?!……どうか!……この身命(しんみょう)!……これ、お助け下さりませ!!…………」

と歎きつつ、頻りに懇請致いたところ、流石に不憫な奴と思うたものか、

「――これを――着な!……それと――これを皆(みいな)、運びなぃ!」

と、手下の引き剥がした襦袢一枚を取って投げ与えるや、その日、最後の彼自身から盜み取って御座ったものに至る、あまたの盗品を、これ悉く、襦袢一枚引っ掛けた彼に背負わせ、一路、山奧の、かの賊の隠れ家へと引き連れて行ったと申す。

 

 それより一日二日の間、かのお頭の指図に従ごうて、医家と同様、何ごとも器用に家内の仕事をこなして御座ったによって、かの首魁(しゅかい)もすぐに、妙に彼を気に行ったと申す。

 されば、彼はすかさず、

「……我らも……流石にお頭(かしら)のなさる主たる生計(たつき)……そればかりはどうにもお手伝い致す才覚、これ、御座いませねば……かくし居(お)るもただの居候のようなものにて御座いますれば……ここは、どうか一つ……やはり、江戸表へと立ち帰るしかないと、我ら思いまする……はい?……よろしゅう御座いまするか?!……命ばかりか!……まっこと、嬉しきことに御座いまする。……されば……何で御座います……その……金子その他の雑物(ぞうもつ)には、これ、未練も何も、御座いませねば、お返し戴こうなどとは思いも致しませぬ……が……これよりまた江戸表への長き道すがら……人離れ致いた場所にては、狼や野犬などの恐ろしきものの襲って参らぬとも限りませぬ……されば、せめてそれらを追い払らわんがために一物(いちもつ)の一つも欲しゅう存じますれば……どうか一つ、我らが腰に差して御座いましたる脇差……あれは安物紛(まが)い物で知られた柳原にて買い調えし怪しき品にては御座いまするれど……せめてもの用心がために……どうか……あれを、お返し下さいませぬか?…………」

と、またしても涙をこぼしつつ、頭目に歎き訴えたところが、

「……何……なるほど尤もなることじゃ。――じゃが、の。我らは盜人(ぬすっと)じゃ。――盗人は一旦、手に入れたものを、これ、また盗んだ当人に返すというということは、盗人の風上にもおけぬ仕儀じゃて。……なに、他の腰の物、これ、お前に遣わして進ぜよう。」

と、答えると、奥から繩からげになしおいた、何本もの太刀や脇差を引きずり出だして、彼の前に投げ出すと、

「――まあ……この内より好きなもんを持って行きいな!」

と笑って言うた。

 されど、彼は遠慮しいしい、そのうちより、およそ、価値のなさそうな、すっかり身の錆びた脇差一本を申し請けると、そのまま別れの挨拶をなし、かの賊の隠れ家を立ち出で、江戸へと向かった。

 

 江戸へ帰り着くと、元の主人の医師の元へと至って、

「……途次にてかくかくの数奇なる運命に遇い……よんどころのぅ……恥ずかしながら……立ち帰りまして御座いまする……かかる不幸せに遇いました上は……ご主人さまさえお許し下さいまするとならば……もとの如く……われら召し使(つこ)うては下さいませぬでしょうか?……」

と涙ながらに語ったれば、もともとが実体律義なる使用人であったによって、かの主人も話を聴き、驚きもし、憐れにも思うて、二つ返事で帰参を許して御座った。

 それより一日、二日して、彼も落ち着いて、かつての通り、実体に仕事に励んで御座ったを、医家の主人、ふと見かけて声をかけ、

「……それにしても――そのそなたが腰に差しておる脇差じゃが――それは、如何致いたのじゃ? 前の脇差しとは違うて見えるが?」

と訊ねたによって、

「……へえ……これはその賊の頭(かしら)に願ごうて貰い受けたものにて御座いまする……」

と、かのたち別れた直前の一部始終を語ったところが――この医師、以前より打物なんどの蒐集を好み、自らも刀剣の目利(めき)きなんどの真似事も致いて御座ったが――、

「――一つ、見せて貰おう。」

と彼より脇差しを受け取って、抜いてみる……ひどく錆の浮いては御座ったれど……一目見るなり、

「……!……こ、この脇差は!……これは見所、あるものじゃ!」

と小さく驚きの声を上げると、そのまま、その脇差をかの者より借り受けると、その日のうちに、かの医師を特に御用達(ごようたし)として御座った、さるお武家の屋敷方へと持参致いて、目釘を抜いて銘をも確かめ、いろいろと評定(ひょうじょう)致いては二人雁首揃えて品定めなど致いたところ、

「……こ、これは! まっこと! 遖(あっぱれ)の上作物(じょうさくもの)じゃッ!」

と家中大騒ぎとなり、ただちに研ぎ師が呼び込まれ、慎重なる研ぎなど申しつけて、研ぎ上がるや、そのお武家、即金三十両にて買い上げて御座ったと申す。

 されば、その日の夕刻に屋敷へ戻った医者は、かの者へその次第を告げ、今受け取ったる代金三十両を、そのままに、彼に与えた。

 青年は大きに悦び、

「……か、かく金子も出来ましたる上は――一日とてもやはり初願の――母を迎えて養(やしの)うこと――これ――空しく捨ておくこと――出来ずなりまして御座いまするッ! どうかッ!!……」

と、またしても強い帰郷の意志を主人へ厚うに願い出でて御座ったによって、主人医師も得心致いて、にっこりと笑みを浮かべて、

「おまえの好きなようにするがよいぞ。」

と即座に許した。

 

 されば、このたびは随分道中用心致いて、国元へと下って参ったものの、

『……かの追剥に遇った所は……どう、用心致いても……これ……万全とは申せぬ悪所じゃ……さても……どうしたらよいものか?……』

と迷うたので御座ったが、

「そうじゃッ!」

と、はたと手を打つと、何を思うたものか、かの賊の隠れ家へと向こうたのであった。

 

「……親方さま! 御無事で御座いまするか?」

と門口にて呼ばわれば、かの頭目、奥方より出で来て大きに驚き、

「……お、おめえは?!……こねえだ、衣類・貯えなんど、我らが奪い取った若造じゃねえか?!……い、いったい、何でまた、おらんとこへ参ったんでえ?!」

と訝しげに訊いたによって、江戸へ帰ってからの脇差の一件につき、委細を語った上、

「……さて……我らがあなたさまより奪い取られた金子は十五両ばかりで御座いました。しかし、そのお武家さまより頂戴致しましたる、脇差を売り払った代金は、これ、三十両にて御座いまする。その余分、我らが方に残しおくはこれ、如何にも心苦しゅう御座いますればこそ、ここへお返し申そうと参じました。」

と、その余分の金子たる十五両、これ、耳を揃えて頭(かしら)の前に差し出した。

 頭、これ、大きに驚き、

「……そ、その金品は、おまえの身(みい)が、これ、さ、授かった金じゃ! 受けとれん!!」

と言ったが、頭はそのまま暫く、黙ったまま凝っと彼の顔を眺めておった。

 が、急に、

「……と、時に……おまえさんは……いったい、どこの、お人じゃ?」

と逆に訊いて参ったによって、

「……我らは、越後はかくかくの何々村の生れにて〇の〇兵衛と申しまする……兄さんが勘当された直後に父は亡くなりました……それでも母親は未だ存生(ぞんしょう)にて御座いますれば……家産の傾きて売り払(はろ)うてしもうた田地の僅かなりとも、この十五両にて買い戻しまして……ただ一人となりましたる母を迎えて、老ゆく末を養わんとて……故郷へと帰らんとする者にて御座いまする。……はい?……ええ……先に一旦、あなたさまに奪われましたる金も……はい……その買い戻しと母の養いの用にと、我らが十年ばかりの間に蓄えたる金子にて御座いました…………」

と答えた。

 ところが、目の前の賊の頭目の顔、これ、みるみる蒼ざめてゆくのが分かった。

 かの首魁、これまた、眦(まなじり)が裂けんばかり大きく目を見開いておるが、これは、どうみても何かに怒っておるのでは、ない、と見た。あまりの何かに、驚き歎いておる色が潤んだ眼の中に確かに見えたからで御座った。

 徐ろに盗賊の語り出(だ)す。

「……我は汝が兄……汝は幼かったがゆえに知るまいが……我ら救い難き悪党で御座ったによって、親元を出奔、かかる悪行を成すに至った。……汝はその孝心の助けによって、かくの如き天の恵みもあればこそ。……よくぞ我らが悪事を、天が、今の今まで、かくも許し下すったということは……これ、如何にもそら恐ろしきことではないか!……ああっ!…………」

と叫ぶや、直ちに手下の者どもを総て呼び集め、過去に盗み取って参った品々を奥の倉より悉く庭に牽き出ださせ、その中に金子が五、六十両もあったが、そこより、三十両ばかりを命じて取らせ、己が懷ろに突っ込むと、皆に向い、

「……さても――我ら、仔細のあって――これまでの渡世――これ――ふっつりと思い止めて――やめることに――した。こうなった以上――何にもいらねえ――ただ――これからここを発って行かねばならねえ所がある――されば――路銀(ろぎん)の足しに――少しばかりは取らせて貰(もろ)うた――が――後――残る家財雜具一切合財――女房も一緒に――おまえらに――やる! だから――好き次第に分け取るがよいぞッ!!」

と告ぐるや、脇に御座った弟の手をむんずと摑んで、韋駄天走りに二人して隠れ家から走り去った。

 

 そのまま峠を越え、在所へと至ると、その翌日には手放したる田畑を、弟に、自身が「路銀」と称した三十両をのみ使わせ、すっかり取り戻すと、さて、久々の母をも迎えて涙の母子三人の再会を果たいた。

 弟は、兄なればとて、

「兄さんこそがこの家を継ぐべきお方に御座います。」

と言うてきかぬ。したが、兄の方はと言えば、

「儂(わし)は一旦、勘当となった身なれば、死んだも同然。お前がこの家(や)の主人となって跡を相続するが必定。それが正しき理(ことわり)というものじゃ。」

と言ってきかぬ。

 それでも悌心厚き弟なれば、一歩も譲らず、さらに兄の命を受けずに御座ったが、

――かの賊であった兄は

――一体、何を思うたものか

――突如

――髻(もとどり)を自ら切り払(はろ)うて

――出家し
――そのまま里を出でて、行方知れずとなったと申す。…………

「……弟の心、まっことの悌(てい)にして……兄をも、その貴き本心へと誘(いざの)うたことで御座いました。……」

と、とある御仁の語って御座った。

 

[やぶちゃん補注:柳田國男「日本の昔話」の「山賊の弟」を以下に示す。底本はちくま文庫版全集 25」(一二九~一三二頁)を用いたので新字現代仮名遣である(初版は昭和五(一九三〇)年アルス刊「日本児童文庫」)。

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   山賊の弟

 

 昔越後(えちご)国のある農家に、兄弟の子供がありましたが、兄は小さい時から性質がよくないので、親も見限って勘当をしましたら、どこかへ往ってしまいました。そのうちに父は病んで死に、弟の方は母に孝行なよい息(むすこ)でありましたけれども、家がどうしても立ち行かなくなって、わずかの田地は売ってしまい、母は親類に預かってもらって、十六七歳の頃に江戸へ出て来て、ある医者の家に奉公に入りました。いたって実直で給金は一文(いちもん)もむだに使わず、十年ほどの間に、いろいろの貰い物や何かを合せて、もう十四五両の貯蓄ができました。そこで主人に向って事情をくわしく話し、どうか母親のまだ丈夫でおりますうち、この金を持って生れ故郷に帰り、なくした田地をこの金で請(う)け返して、家が持ちとうございますというと、それほよい心掛けと主人も感心して、別に路用(ろよう)の金を餞別(せんべつ)にやりました。それから江戸を立ってはるばると越後の国へ帰って来ようとしましたが、途中上州の山路で山賊に出逢って、 財布の金はもちろんのこと、衣類身のまわりも残らず剝(は)ぎ取られて、まる裸になってしまいました。せっかく十年余りも真黒になって働いて貯えていたものを、一日に取られてしまうことはなんたる情ないことかと思いましたが、とにかくこれでは国へ帰ってもなんにもならぬ。この上は行き所もないから手下にでも家来にでもしてお前さんの所に置いておくんなさいと、山賊に向って頼んでみますと、さすがに不便(ふびん)と思ったものか、山賊は今奪い取った品物を荷造りしてこの男に背負わせ、襦袢(じゅばん)一枚だけを着せて、自分たちの隠れ家へつれて行きました。二三日も山賊の所で厄介(やっかい)になっているうちに、いろいろと考えてみましたが、盗人はとても自分の商売にもなりそうもない。まだ若いのだからもう二度江戸へ出て働いた方がよいと思って、その事を話してみると山賊も同意しました。ついては着物は襦袢一つでもよいが、脇差しは道中の犬おどしに、ぜひ返して下さい。あれは私が小遣いで、わざわざ柳原(やなぎはら)で求めて来た刀だからと言いますと、なるほどもっともの事ではあるが、いったん奪った物を返すということは、山賊の作法にはないことだ。腰の物ならばこの通りたくさんある。一本やるからこの中からどれなりと持って行けと、奥から縄からげにした脇差しを一抱えも持って来て見せました。それでは頂戴(ちょうだい)しますと言って、かなり錆びたのを一本貰って、山賊の宿を出て来ました。江戸では元の主人より他に、頼るべき家とてはありません。それでまた戻って今度の災難の始め終りを述べて、もう一度その医者の家で奉公することになりました。ところがこの主人はかねて刀剣が好きな人で、山賊に刀を貰ったという話を聴いて面白がり、よく目利きなどを楽しみにしていましたが、一度見たいというので持って来て見せますと、果してあっぱれな名作であって、早速三十両に買い取ってくれた人がありました。これはなんともはや意外の仕合せでありますが、この金ができました以上は、やはり一日も早く帰りとうございますと、再び主人の許しを得て、また故郷の空に族立ちました。上州から山を越えて行く路は、一度ひどい目に逢っているので、やめて他の方を廻って行こうかとも思いましたが、いろいろ考えた末にまたこの路を帰り、おまけにわざわざその山賊の家へ訪ねて行きました。親方その後はお変りもありませんか。私は先日御厄介になった旅の者でござります。江戸であの脇差しが三十両に売れました。私の取られた金は十五両、これを皆貰っては私の方が義理が悪くなりますから、半分だけ返しに来ましたと言うと、山賊どもは驚いて、しばらくは無言で顔を見合せておりました。その内に親方の山賊はこの男をじっと見て、お前は越後の人だというが、越後はいったい何村だと尋ねますから、くわしく在所(ざいしょ)や親の名などを申しますと、賊は大きな溜(た)め息をつきました。どうも虫が知らせるというのか、もしやそうではないかという気がしてならなんだ。悪いことはできぬものだ。おれは十何年前に勘当せられたお前の兄だ。お前は小さかったから顔を覚えておるまいが、おれはとうとうこんな商売になっている。同じ血を分けた兄弟でも、こうも心持がちがうものかと、別れた親のことを思い出して二人で泣きました。そこで仲間の者一同を呼んで、永らくいっしょに暮したが、おれはもうやめて帰らねばならぬ。ここにある貯えの中から、ただ少しばかり路銀(ろぎん)に持って行く。後はみんなでどうなりとしてくれと言って、兄は弟と連れ立って生れた村に帰って来ました。そうして親の売った田畠を買い戻して、自分はいったん勘当を受けた者だから、弟に家の跡目を継ぐようにと言いましたが、弟はなんと言っても承知しません。そうして兄弟で譲り合っているうちに、なんと思ったか兄は髪を切って、出家(しゅっけ)になってまた行く方が知れなくなったそうです。昔の越後伝吉を始めとして、以前はこういう篤実(とくじつ)な若い者が、村に多かったことは実際でありましょうが、ただその話がこのようにくわしく、江戸の方まで伝わっていたことだけは、少しばかり不思議であります。

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「越後伝吉」はウィキの「越後伝吉」によれば、『講談、歌舞伎などに登場する人物。大岡政談に付会される』とし、『津村淙庵の「譚海」にしるされた物語が神田伯龍が述作した講談、実録においておこなわれた』。『あらすじは、越後国の伝吉は父の遺言によって、不身持ちで家出したおば、お早の面倒を見、その娘お梅と結婚したが、家産が傾いたので江戸に出て吉原の三浦屋に奉公し、苦労したあげく』、百両もの『たくわえをもって故郷に帰る途中、護摩の灰(ごまのはい。旅人をよそおった盗賊)につけられたので、野尻の近江屋の女中おせんの好意でかねをあずかってもらい、証拠の櫛をふところに家に帰ると、お早母子は庄次父子と密通し、伝吉の帰郷を邪魔がって猿島河原の飛脚ごろしの罪をなすりつけ、野尻の宿にあずけた』かの百両を『だましとったので、おせんが苦労して大岡忠相に訴えてことの理非が明白となり、伝吉は青天白日の身となり、あらためておせんと結婚した』とあるのだが、私の探し方が悪いのか、所持する「譚海」に原話を見出せない。識者の御教授を乞う。見つかり次第、電子化する。]

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