日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 神戸つれづれ
図―536
図―537
私は人力車の後を走って、成人した女の髷を写生した。弓形は東京のよりも遙かに小さくて、ペチャンと頭にくつついている(図536)。子供の者は、東京のとはハッキリ違っている。図537は、八歳乃至十歳の少女の髷を示している。これ等は往来を歩きながら急いで写生したのであるが、人々は絶間なく凝視し、こっちが写生している物は、往来遙か遠方にあるので無く、彼等自身だということを発見すると、急いで逃げて了うから、これは中々容易ではない。
図―538
神戸のホテルは海に近く立っているので、私の部屋の窓から、積荷を下している日本の戎克(ジャンク)を写生する事が出来た(図538)。日本人は今や外国型の船舶を建造しつつあるから、このような船は、すぐに姿を消すことであろう。ホテルから十五分間歩いた所には、美しい渓流が流れている渓谷がある。ここはホワイト・マウンテンス中のある箇所を思わせた。この景色を写生することは出来なかったが、私に印象を与えたのは、実に渋い鄙(ひな)びた橋や、断崖の端に立つ魅力に富んだ小さな茶店や、お茶召せと招く派手な着物を着た娘達やである。
[やぶちゃん注:図538の和船は弁財(べざい)船と思われる。
「美しい渓流が流れている渓谷」現在の神戸市中央区を流れる布引渓流。四つの滝からなる布引の滝として日本三大神滝の一つに数えられる。
「ホワイト・マウンテンス」ニューハンプシャー州北部のアパラチア山脈の支脈の一つであるホワイト山地にある景勝地。現在の約三千百平方キロメートルに及ぶホワイト・マウンテン国立森林公園。]
一行は、私の助手種田氏、召使い、矢田部教授の召使いである富とから成っていた。富は植物を採集し、それを手奇麗に圧するのが実に上手である。私の召使いも貝の採集は同様にうまく、種田氏は万事万般に気をくぼり、善き採集家であると同様に通訳家、翻訳家として働く。滝からの帰途、我々はいくつかの貝を集めたが、その中のカヤノミガイの「種」は、日本では初めてで、フィリピンの「種」を思わせた。暗い町――最も貧しい地域である――を通って神戸に入る時、我々は家の列の前を過ぎた。これ等の暗いあばらやの薄闇を通して、私はその背後に日のあたる庭のあるのを見ることが出来、最も貧しい階級にあっても、このようなことに対する趣味が一般的であることを知った。
[やぶちゃん注:『カヤノミガイの「種」』原文は“a species of Pupa”。この種の学名は私の所持する知られた吉良・波部両氏の貝類図鑑に載らないので日本海洋データセンター(JODC)のデータを調べると、腹足綱直腹足亜綱異鰓上目オオシイノミガイ上科オオシイノミガイ科 Pupa 属に、
ベニカヤノミガイ Pupa affinis
ツヤシイノミガイ Pupa solidula
タイワンカヤノミガイ Pupa strigosa
カヤノミガイ
Pupa sulcata
と出る。最後のカヤノミガイは吉良図鑑(保育社・昭和三四(一九五九)改訂版「原色日本貝類図鑑」)に、キジビキガイ科 Acteonidae の、
カヤノミガイ
Solidula sulcata
とするものと同一である。よく見ると、キジビキガイ科
Acteonidae はJODCでは、
Family Acteonidae
d'Orbigny, 1843 オオシイノミガイ科
となっており、シノニムであることが分かった。吉良図鑑のカヤノミガイには、殻は円筒形で堅い質をしており、螺塔ははっきりとしていて約七層を巻いて頭頂部が尖る。体層は大きく殻の表面には太い螺状脈を全面に刻み、白色の地に暗黒色又は灰緑色の雑紋を持つ。殻口は下部で開き、軸襞を有し、最下端のものが大きく深く切り込んでいる、とある。グーグル画像検索の「Pupa sulcata」をリンクしておくが、本種は残念ながら、奄美大島以南にしか棲息しないので、モースが採取した本種ではない。吉良図鑑ではカヤノミガイ
Solidula sulcata の直下にJODCで同じオオシイノミガイ科とするオオキジビキガイ Punctacteon kirai が載るが、そこには『殻形は前種と同じであるが、螺状脈は細く成長脈と交叉して布目状となる。軸襞は僅かに1襞で且つ弱い。本修中部以南』と載るので、これをモースが採取した「カヤノミガイ」の一種の、同定候補の一つとして挙げても問題はないように思われる。]
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