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2014/12/30

橋本多佳子句集「海彦」  春  淡路門崎 / 伊予行 第四句集「海彦」 了

  淡路門崎(とざき)

 

渦潮見る断崖上のわが背丈よ

 

波あげて鵜岩の孤独わだなかに

 

渦潮に対ふこの大き寂しさに

 

燈台守よたぎつ渦潮汝(な)とへだつ

 

渦潮の圏にて鵜岩鵜を翔(た)たす

 

渦潮見ていのち継がむと吾立てり

 

渦潮見て荒き心を隠さざる

 

生き身疲る渦潮のはやく衰へよ

 

渦潮去る香を奪はれし髪そゝけ

 

渦潮のおとろへざるに断崖去る

 

南風(はえ)の迫門渦潮の刻解かれ

 

[やぶちゃん注:「淡路門崎」本州側の最先端鳴門岬のある現在の兵庫県南あわじ市阿那賀(あなが)の門崎。これは昭和二九(一九五四)年七月の年譜に載る、『淡路洲本の朝倉十艸に招かれ、誓子と同行、渦潮を見る』とある折りの吟である。「南風(はえ)」と辛うじて夏の季語を出だす。則ち、これらの句は基本、無季である点でも特異であることに気づかれたい。かなり意味深長な強烈な句群――と私は見る。……いや、多くは語るまい。なお、老婆心乍ら、「迫門」は「せと」で瀬戸と同義。

 

 伊予行

 

春夜解纜しづかに陸を退(しりぞ)けて

 

[やぶちゃん注:初五は「しゆんやかいらん」(春の夜に艫綱(ともづな)を解いて出船すること)と読んでいよう。すると自動的に「陸」は詰屈に「くが」と私は読みたくなる。標題が「伊予行」で、後の句に「八幡浜」が出るから、これは愛媛県西端にある佐田岬半島の付け根に位置する八幡浜への船旅の始まりであることが分かる(但し、出港地がどこかは定かでない。広島か。ただ夜の出帆というのが気になる)。年譜の昭和三一(一九五六年の条に、『四月、八幡浜の「七曜」支部発表会に出席』というのがそれであろう。]

 

春夜解纜それ以後潮のたぎちづめ

 

春夜解纜陸の燈ひとつだに蹤き来ず

 

[やぶちゃん注:「蹤き」は「つき」と読む。]

 

幾転舵春潮の舳(へ)に行方あり

 

春夜どの岬ぞ吾を呼ぶ燈台は

 

また転舵春夜の寄港短くして

 

海風に尾羽根(をは)を全開恋雀

 

[やぶちゃん注:「尾羽根」三字で「をは」とルビを振る。]

 

  八幡浜郊外に緬羊を飼ふ百姓家多く

 

毛を刈る間羊に言葉かけとほす

 

かなしき声羊腹毛刈られをり

 

羊毛刈る膝下に荒きけものの息

 

羊毛刈る人とけものの夕日影

 

毛刈り了ふ赤膚羊がかたまり啼き

 

羊啼く毛を刈る鋏またあやまち

        (三十一年)

 

[やぶちゃん注:底本では最後に本句集「海彦」の『(昭和三十二年二月二十五日発行角川書店刊)』という書誌データが載る。]

 

 

 

 後記

 「海彦」は「紅絲」に次ぐ第四句集である。昭和二十六年春から、三十一年春まで約五年間の作を収めた。

 私の俳句は「紅絲」の延長であるが、旅に出る機会に恵まれ、健康のゆるす限り旅に出て旅の句を多く作つた。身体の弱い私は病気の隙をねらつてはそれを敢てしたやうである。しかし私には特に旅の句を作らうと云ふ意識はなく、その日その時にぶつかつた素材を通し、おのれの心に触れたものに徹して詠むだけであるが、旅に出れば心に触れる新しい事物に接することが多く楽しかつた。今後も折さへあれば旅に出たいと思ふ。

 句集「海彦」の名は昨年の暮、山口誓子先生にお伴して行つた土佐の旅の句から選んだ。

 誓子先生から序文を頂いた。はからずもその旅中の私の姿が書かれてあり、有難いことと思ふ。

 私の俳句は、「紅絲」の、内へ向けた歎きを経て次第に外へ向ひはじめたやうであるが、老婆を詠んでも、童女を詠んでも私は自分との生(せい)のつながりに於て見ずにはゐられない。さういふ年齢に達したのであらう。そこから私の句の新しいいとぐちが引き出されるやうに思はれる。

 「海彦」の出版に当つて角川源義氏、志摩芳次郎氏に御配慮に預かつた。厚く御礼申上げる次第である。

   昭和三十一年九月

         奈良にて

           橋本多佳子
 
 
[やぶちゃん注:多くは語るまい――と言ったが、私は、渦潮の一群の特異点の句群と、この「後記」と、そして山口誓子の序文の三種を並べた時、そこにある謎めいた暗号の解読のヒントが見え隠れするように思われた、誓子の著作権が存続するためにその序文を示せないのが実に歯痒い。是非、お読みあれかし。――]
 

 
以上を以って、橋本多佳子の生前刊行された四冊の句集の総ての電子化注を終了した。残すのは第五遺句集「命終」及び未収録作品を残すのみとなった。
 
――久女さんの全句集を公開しました以上は、多佳子さん、あなたの句集も、まずは年末までに一区切りつけねばと存じました。実は、終わりたくないないのですよ、私は。あなたの句を打つのを――

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