日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 火事
先夜私は、三マイル近くを、走ったり歩いたりして、東京の西郊に起った火事場まで行った。現場へ着いた時には、恰度(ちょうど)最後の家に火がうつり、燃え上った、これは誠に目覚しく、且つ光輝に充ちた光景だった。火事は厚い麦藁葺屋根を持つ、大きな家屋の一列を焼き、折からの烈風で、葺屋根の大きな塊が、いくつもいくつも、黄金の糸の雲の如く空中を漂い、最後に屋根が飛び去る火華の驟雨の中に墜ちた時、それは黄金の吹雪みたいであった。一度火が内側へ入り込むと、如何に早く家がメラメラと燃え上るかは、驚くの外はなかった。私は又しても消防夫達の勇敢さと、耐熱力とを目撃した。ある建物から、すくなくとも三百フィート離れた所にいてさえも、熱は、指の間から火事を見ねばならぬ程激しかったが、而も消防夫達は火焰を去る十フィート以内の所におり、衣類に火がついて焰となるに及んで初めて退去したが、かかる状態にも水流が彼等に向けて放射される迄は、気がつかぬらしかった。火事場へ向った時、暗い町を走りながら、一人の男に火事はどこだと聞くと、私の日本語がすぐ判り、彼は「スコシマテ」と答えた。で、彼と一緒に走って、警察署まで来ると、そこの外側には火事の場所と、燃えつつある物とを書いた報知が出ていたが、これは警鐘が鳴ってから、十分か十五分しか立たぬ時のことなのである。私は同じ報知が、我々が通りすぎた他の警察署にも出ているのに気がついた。勿論私には、それを読むことは出来なかったが、こまかいことを、一緒になった男が話してくれた。翌日、そのことに就て質ねると、出来る丈早く、火事の位置と性質とを書いた告知書を、すべての警察の掲示板にはり出すのが、習慣であるとのことであった。
[やぶちゃん注:こうした刻一刻の火事の推移の報知が、明治十年代の日本の警察署でちゃんと行われていたという事実は興味深いではないか。……尤も、それ以上に、この美学的描写!――モース先生は火事が、ほんに、お好き!
「三マイル」四・八三キロメートル。
「三百フィート」九十一メートル。
「十フィート」三メートル。
「スコシマテ」原文“Sukosi mate”(Wait a little)。]
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