耳嚢 巻之九 可憎愛人情の事
可憎愛人情の事
日野豫州物語せしは、同人親族のもとに至り、物見へ出てその親族一同往還を望み居(をり)しに、一人の乞食比丘尼、袋やうの物に貰ひし米を入(いれ)て通りしが、袋や損じけん、右米往還へ溢けるを、折節雨上りにて泥ぬかりなりしに、泥に不染斗(そまらざるばかり)を取納(とりおさ)め過半はこぼれしまゝ捨(すて)しを、日野を初め其座の者ども、乞請(こひうけ)し米をこぼし候は不便(ふびん)なる間、別段にも施し遣度(つかはしたき)處、其身の上も不顧(かへりみず)、過半捨行(すてゆき)し憎さよといゝしに、無程(ほどなく)町人體(てい)の者來り、右米のこぼれしを見て暫く立留(たちどま)りしが、つくばい二三粒ひろひて、いたゞき給(たべ)候由。奇特成(きどくなる)事なりと皆々申(まうし)けるが、さるにても最初の婆々は憎き事なりと、いよいよ噂せしと語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。
・「可憎愛人情の事」「憎愛(ぞうあい)すべき人情の事」と読む。
・「日野豫州」高家旗本日野資施(すけもち)。既注。
・「米」これはシチュエーションからも乾飯(かれいい)、所謂、炊いた飯を干した携帯用のそれである。だからこそ後で町人体の者がほとびたそれをその場にて食うのである。
・「給(たべ)」は底本編者のルビ。
■やぶちゃん現代語訳
人情というものは瞬時に憎んだり愛したりと目まぐるしゅう変化するものであるという事
日野伊予守資施(すけもち)殿の物語されしことで御座る。
……我らとある親族の元を訪ね、雨催(もよ)いでは御座ったが、折角の来訪なればとて、領内近在へと物見遊山に出でて御座った。
途中降ったる雨も一息ついた様子なれば、その親族一同とともに、少し小高き丘なんどに登り、四阿(あずまや)の内にて、直下を横切る街道の往還なんどを望み見ては興じて御座った。
すると、そこへちょうど、乞食比丘尼(こじきびくに)が独り、袋のようなる物に貰(もろ)うた米をぶら下げて通って御座った。ところがその袋――どうもどこかに穴が開いておったものらしく、その米が比丘尼の歩みに従って、ぽろぽろ、ぽろぽろ、と往還へ漏れ出ずるがそこからでもはっきりと見えて御座った。折りから雨上がりの街道筋の往還なれば、轍(わだち)に溜まった水がすっかり泥となってぬかって御座った。
見ておると、その乞食比丘尼、米袋のあらかた零れ落ちたに気づき、後戻り致いて御座ったが、かの乞食、泥に浸かってまみれほとびては未だおらぬところの、轍の上辺りの、これ、まだ白々した僅かな米ばかりを、選んでは取り納め、我らが所から見ても、その泥まみれの元の袋内にあったと思わるる過半は、これ、零れしまままに、捨てて顧みざるさまにて御座った。
されば、我らを始め、その場に御座った者ども皆、口々に、
「……乞い請けたる布施米を零したるは、これ、如何にも、不憫なることじゃ。」
「……されば、これより、特に我ら方より、遊山弁当に持参致いた糧食なんどもあれば、それを施し遣わさんか。」
など申しておりましたれど、我ら、ふと、
「……その身の上も顧みず、かく過半を捨て行きしことは、聊か憎きこととも思わるるが。……」
と口に致いて御座った。
と、ほどのぅ、その拾って先へ行ったる比丘尼の直ぐ後(あと)を、独りの町人体(てい)の者が、同じ方角へと歩いて行くのが見えた。
この男、道の轍の中に、かの泥まみれになったそれなりの米が、これ、零れて御座るのを見つけると、そこで歩みを留(とど)めて、暫くの間、立ち止まって御座ったが、徐ろにそこにしゃがみこむと、そのほとびたる二、三粒を拾って、如何にも――勿体なくも有り難きこと――といった謙虚なる様子にて――いや、そもそもが、かの者には我らは見え御座らなんだと存ずる――それを押し頂いては食うて御座った。
我ら一同、そのさまを見、
「何と! 奇特(きどく)なる仕儀を致す町人であろ!」
「まことに! 御意!」
「倹約大事の鑑とも申せましょうぞ!」
なんどと、皆々、口々に誉めそやして御座った。が、されば我らは、
「……いや、さるにても! 初めのあの、乞食婆々(こじきばば)、これ、まっこと、憎き輩(やから)ではないか!……」
と申したところが、
「如何にもッ!」
「比丘尼のくせに!」
「いや! 乞食の風上にも置けぬ者と申せましょうぞッ!」
と皆々いよいよ――我らも含め――最初の同情不憫哀れの情は何処へやら――盛んに好き勝手な評定誹謗を致いて御座った。……
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