杉田久女句集 310 杉田久女句集未収録作品 ⅩⅥ 大正九年(全)
大正九(一九二〇)年
門松につぎつぎ下車りて褄とりぬ
松立てゝ灯りし町の繁華かな
彩旗のかげ飛ぶ船板や松飾
霜とけてかわきからびし草を焚けり
霜消えて草にみじかき木影かな
焚火あとに焦げて霜おく蔓太し
落葉して雲透き動くポプラかな
落葉ふんで木深く入れば落椿
落葉掃くやいつしかとけゐし羽織紐
踏み去るや出代る坂の枯木影
春の人さと染めし頰へ袂かな
芹すゝぐや水堰き覺ゆる足の甲
芹摘むや灯の街に來て裾下ろす
芹洗ふや雨輪見え來し船の横
漂ふ芹に水輪ひろごる濯ぎかな
波紋ひまなき船の障子や水温む
揚羽蝶花首曲げてすがりけり
切れ蔓に吹きあふらるゝ蝶々哉
桃折るや髮の地に落つ雨雫
塵の中にくさりうづもる椿かな
出代や塀摺りてさる傘のふち
[やぶちゃん注:「出代」は「でがはり/でかはり(でがわり/でかはり)」と読む。出替(わ)り。奉公人が一年又は半年の年季を終えて交替すること、又は、その日。一年年季が春(半年年季は春と秋)が交代期であったことから春の季語。]
しめかへて捲く常帶や出代女
つき來る犬に戻りつないで出代りぬ
菊の芽に曉雨おやまで出代りぬ
[やぶちゃん注:「曉雨」「げうう(ぎょうう)」は夜明けに降る雨。]
夏近し梧桐の苞浮く潦
[やぶちゃん注:「梧桐」アオイ目アオイ科 Sterculioideae 亜科アオギリFirmiana simplex 。「苞」は「はう(ほう)」と読み、花や花序の基部にあって芽や蕾を包んで保護する小形の葉状体。通常の葉と同様の緑色のもの、鱗片状で褐色を呈するもの、花弁と見紛う(実際に花と誤認されているものではドクダミの白い「花」(事実は花序全体の基部を包む総苞)や、肉穂花序を大きな苞が包むサトイモ科ミズバショウの白い「花」(特に仏炎苞と呼称する)など)ものなど多種多様であるが、アオギリFirmiana simplex のそれは独特のヘラのような葉状体を成す。アオギリは六〜七月に枝先に雄花と雌花を交えた大形の円錐花序を出し、黄白色五辨の小花を群生させるが萼片が五つあるものの実は花弁はない。グーグル画像検索「アオギリの苞」を参照されたい。老婆心乍ら、「潦」は「にはたづみ(にわたずみ)」と読み、雨が降って地上に流れ溜まる水若しくはその流れをいう。]
新茶すゝめて帶高く去る廊下かな
臼肌に染みし葉色や新茶碾く
腹かけや頭勝ち過ぎし足弱子
四葩切るや前髮わるゝ洗ひ髮
[やぶちゃん注:「四葩」は「よひら」と読み、アジサイの異名。「葩」は花弁の意。夏の季語。]
玉蟲や瑠璃翅亂れて疊這ふ
月の齒朶影濃く搖るる淸水哉
蝸牛に枝岐れんとして木瘤哉
芥子に佇つや胸に手くみて腰細く
夏帶や浮葉のひまに映し過ぐ
風をいとひて鬢にかしげし日傘哉
月光涼しく肩に碎くる湯槽哉
坂人や日の斑すり行く白日傘
黄ばら萎びて香高く散りし机哉
芥子散るや拾ひ集めてま白き掌
涼しさや水つけてかくほつれ髮
梧桐や地を亂れ打つ月雫
肩をすぼめて咳く力なし秋袷
百舌鳴くや苔深くさす枝の影
つるし柿の色透けて來し軒夜寒
こまごまと枯枝折れ散る木立かな
[やぶちゃん注:「こまごま」の後半は底本では踊り字「〲」。]
枯草に裾かへす時足袋白し
鍋に遠く足袋かわきある爐ぶち哉
地に近く搖れ時雨ゐて菊眞白
葱畑に雨に灯流す障子かな
土に出て濡れゐる小石葱畠