『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 鑢塲
●鑢塲
理智光寺蹟の西方(さいはう)の山上にあり。古傳に願行大樂寺本尊不動の像を鎔工(ようこう)せし所なりと云ふ。
[やぶちゃん注:「新編鎌倉志卷之二」に、
鑪場(たたらば) 西の方にあり。願行、大山(をほやま)の不動を鑄(い)たる所ろ也と云ふ。按ずるに、此所ろ胡桃山(ごとうざん)大樂寺の舊跡に近し。
とあるが、現行の鎌倉地誌類ではこれを掲載するものは殆んどない。一つの推定のポイントになるのは明治初年に廃寺となった「大樂寺」(だいらくじ)であろう。願行によって胡桃ヶ谷(浄明寺の浄妙寺の背後の尾根を越えたところにある。これを山号にした)に開かれた寺(但し、永享元(一四二九)年の回録による焼失後は覚園寺寺域の薬師堂ヶ谷に移転したと考えられる)で、本尊は願行が鋳造した鉄造不動明王坐像。これは通称を鉄不動・試みの不動と呼称され、本文にあるように願行が大山阿夫利神社の本尊不動を鋳るに際して試作品として鋳造したものと「大山不動霊験記」に伝えられてある(覚園寺愛染堂――これ自体が明治三八(一九〇五)年に大楽寺本堂を移築した建物であると岡戸事務所編の「鎌倉手帳」の「大楽寺跡」にある――に現存)から、その踏鞴(たたら)場がここだったのである。
以上、理智光寺蹟と大楽寺の位置関係、踏鞴の構造などを考えると、浄妙寺裏の西北にある熊野神社の東北にあった尾根(住所は二階堂。現在は完全に宅地化されている)上に登り窯の如くあったのではあるまいか(偶然乍ら面白いことに浄妙寺裏この熊野神社の直近には石窯を持ったレストランがある)? やはり、もはや消失したものと考えた方がよさそうだ。]
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