萩原朔太郎 短歌 全集補巻 「書簡より」 (Ⅵ)
[やぶちゃん注:以下の二十二首からなる歌群は明治四二(一九〇九)年十月二日消印萩原栄次宛書簡より。投函地は前橋。朔太郎、満二十二歳。非常に長い書簡の末尾に記されある。前書と、歌群の後に続く、当時の朔太郎がたまたま読んで感動した『女學雜誌』の四国の一女性の詠んだ一首についての絶賛の評言を合わせて電子化した。短歌群は底本では各首の間に行空けはなく、全体が二字下げとなっている。]
例により駄作數首近詠舊作うちまぜて御高評をあふぎまつり候、
樂隊のシンバルのする音にきゝぬそのとき君にきゝし一言、
自働車のはせゆくあとを見送りて涙ながしぬ故しらぬなり
[やぶちゃん注:後の「ソライロノハナ」(大正二(一九一三)年・満二十七歳)の歌群「午後」に載る、
自働車の馳せ行くあとを見送りて
涙ながしき故しらぬなり
の類型歌。]
芝居みて河添かへる夜(よる)などはよくよく人の戀しかりけり
[やぶちゃん注:「よくよく」の後半は底本では踊り字「〱」。同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、
芝居見て河添ひかへる夜などは
よくよく人の戀しかりけり
の表記違いの相同歌。]
思ひ出は道根堀(どうこんぼり)の細小路、小間店の花ガスのいろ(大坂の懷ㇾ追はこゝにのみ殘れり、)
[やぶちゃん注:「道根堀(どうこんぼり)」はルビもママ。「小間店」もママで以下の再掲歌から「小間物店」の脱字であることが分かる。「懷ㇾ追」は錯字を返り点で訂したものであろう。同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、
大坂の夜は美くし
思ひ出は道頓堀の細小路
小間物店の花瓦斯のいろ
と、短歌自体は標記違いの相同歌といってもよいほどに酷似した一首である。]
野分して亂るゝ艸の色にだに、おぼつかなきは秋にぞありける、
はらはらと木末はなるゝ桐の葉にあわたゞしくも驚どろかれぬる
[やぶちゃん注:底本は「はらはらはら」で、三番目の「はら」を踊り字「〱」とするが、韻律からも誤字であるので、かく訂した。補巻の「短歌」パートでも同様に訂する。]
常盤津(ときはづ)のさらへもよほす貸席の、軒提灯の下に別れぬ、(都會の戀は下町に美し)
[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、
常盤津の復習(さらへ)もよほす貸席の
軒提灯の下に別れぬ
と、短歌自体は標記違いの相同歌。]
教會は家もたぬ子の入るによき、ストーブの火のあたゝかければ(説教は要なし)
歌よまぬ吾が身に秋のなくもがな、涙せきとむすべしなければ
我が肺にナイフたてみん三鞭酒、栓ぬく如き音のするべし、
[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、
我が肺にナイフ立てみん三鞭酒
栓ぬく如き音のするべし
と標記違いの相同歌。]
醉ひしれて何をか言ひし友らみな、去りぬこのときわれ流涕す、
[やぶちゃん注:後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、
醉ひしれて何をか言ひし友等みな
去りぬこのとき我れ流涕す
と標記違いの相同歌。]
醉ひぬれば女の席にうちまぢり下卑たる踊するをよろこぶ
死ねよとやさはせがまずもピストルになゝつの彈はこめあるものを
「われ死なむ」「あゝ死に玉へいつにても」かくいふ故に死なれざりけり、(戀なくして死ぬるは淋し)
[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、
「われ死なむ」「あゝ死にたまへいつにても」
かく言ふ故に死なれざりけり
と標記違いの相同歌。]
口をあけとぼけ面(づら)してある街の二町が程は知らであゆみき、
[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、
口をあけとぼけ面(づら)してある町の
二丁が程は知らで歩みき
と標記違いの相同歌。]
襟(えり)白き女に見とれある町の電信柱(ばしら)につきあたりけり
[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、
襟しろき女に見とれ四ツ辻の
電信柱に突きあたりけり
の類型歌。]
ポリスポリスポリス來よなど大聲に醉ひたる我れが街をねり行く
眞砂路(まさごち)にうちはらばびて煙艸(たばこ)のむ、その樂しさはまたなしまたなし、
[やぶちゃん注:ルビ「まさごち」の「ち」はママ。]
かゝとあげ怒りて物をぐさとふむ、それが蟇(ひきがへる)なりき氣味の惡さ惡さ、
[やぶちゃん注:太字「ぐさ」は底本では傍点「ヽ」。同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、
踵(かゝと)あげ怒りてものをぐさと蹈む
それが蟇がへるなりき氣味の惡さ惡さ
と標記違いの相同歌。]
風の音にたましひ消して驚くを弱き男と笑ひ玉ふな、
火針もてストーブの火はかき亂す、恋のうもれ火おきもみだれず、
[やぶちゃん注:「火針」はママ。底本補巻の「短歌」パートでは「火箸」と『訂』する。]
くどくどと女々しき愚癡をくり返す友の來りぬ早くかくれん
[やぶちゃん注:「愚癡」は底本では「禺癡」。朔太郎の誤用の書き癖。「愚」に訂した。以下は、行空けなしでこの歌の次行から続く。]
朔太郎
榮次樣
此の頃よみたる歌の中にて深く小生をして感動せしめたるもの有之候 即ち左の一首に侯
△目ざめたる朝(あした)の窓の隱間(すきま)より白き雲見ゆうら悲しけれ、
作者は四國の一女性、女學世界の二等賞に候があまりの絶唄に今日まで忘れず候、生の倦怠、生の悲哀はこの一首に詠みつくされたり、想調共に致れりつくせりの妙絶は古今の名歌として推選するにはゞからずと存じ候、明治にもし萬葉集なり古今集の編算あらば此の作の如き必ず忘るべからざるものに候、心醉のあまり之を兄にも御招介申しあげ候、
[やぶちゃん注:「隱間」「絶唄」「致れり」「編算」「招介」の漢字は総てママ。朔太郎の引用する短歌の作者は不詳(「女學世界」のバック・ナンバーを調べれば分かると思うが、そこまでやるほどにはこの一首に私は感動はしない。何方か、興味を持たれた方に探索はお願いしたい)。なお、書簡はこれで終わっており、クレジットなどは入っていない。]
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