杉田久女句集 323 杉田久女句集未収録作品 ⅩⅩⅨ 昭和九年(全)
昭和九(一九三四)年
鴛鴦のゐてひろごる波や月明り
二月十日稚内より巨蟹を送られて打興ず
オホツクの海鳴かたれ巨き蟹
ゆであげて蟹美しや湯氣赤く
釜の湯のたぎるもたのし蟹うでん
紀元節ひとり香春(カハル)神宮院にあそびて
岩ばしる水の響きや梅探る
[やぶちゃん注:「香春神社」は福岡県田川郡香春町(かわらまち)大字香春にある香春(かわら)神社。但し、こちらの個人ブログ「頑固親爺の独り言」の同神社の記事には「カハル」の訓読例が示されてあり、しかも『香春は「かはる」と読むが、もとは「カル」である。カルとは金属、特に銅のことである。香春の三ノ岳には古い採銅所があり、ここの銅から八幡宮の神鏡が作られていた』とある。]
背山よりたつ焰(ほ)煙や梅の茶屋
裏山の笹の焰鳴りや梅の茶屋
[やぶちゃん注:「焰鳴り」「日本国語大辞典」に「ほなる」の項があり、そこでは方言として火が起こる(山梨県南巨摩郡奈良田)、熱を・ほてる(伊豆三宅島)とある。先行するこちらの「風さそふ遠賀の萱むら焰(ほ)鳴りつゝ」の私の注やその前後の句も参照されたい。]
探梅や暮れて嶮しき香春嶽
[やぶちゃん注:「香春嶽」福岡県田川郡香春町にある三連峰(地図上のピークは四ヶ所)の香春岳(かわらだけ)。参照したウィキの「香春岳」によれば、『地元では香春岳と呼ばず、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳と各々を呼ぶことが多い』とあり、最高峰は三ノ岳で標高五〇八・七メートルである。香春神社(古くはこれらの山岳上にあった)は現在、一ノ岳の真北の山麓にあり、山はこの一ノ岳から北北東に二ノ岳・香春岳(地図上に確認出来る四つ目のピーク)・三ノ岳と続いている。]
谷深く探ぐる一宇や梅花節
[やぶちゃん注:「梅花節」は「ばいくわせつ(ばいかせつ)」と読み、紀元節の別名。梅佳節とも。]
芹つむで淋しき歩をぞ返しける
春寒く籠りてやせぬもの食まず
いぢけゐる我魂あはれ芹つまん
東風寒や孤り來なれし遠賀堤
雛淋しけれども孤りかざりゐる
潮疾しさよりを抄ふ礁ほとり
[やぶちゃん注:「抄ふ」は「とらふ」と訓じているか。]
見渡して帝都は親し花の雲
英彦より
降(くだ)り來て石楠折るや谷深く
石楠花やここより仰ぐ彦の宮
郭公や太敷たてし朱の宮
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「太敷」は「ふとしく」と読む。]
南國の五月はたのし朱欒咲く
朱欒咲くわが誕生(あれ)月の空眞珠(またま)
[やぶちゃん注:久女は五月生まれ(明治二三(一八九〇)年五月三十日)。]
ほり出して全き古瓦や草の花
へや深く漂ふ日あり菊花干す
炎上をのがれて尊と御頰疵
[やぶちゃん注:各所の寺院でこうした話を聴くが、年譜には旅行などの記載がなく(行かなかったのではなく記載がなされていないという意味である)、同定出来ない。]
疾く起きて掃くたのしみや露の花園
澁ぬけて旭に透く色やつるし柿
秋晴の嚴にこしかけ釣の幸
雪颪す帆柱山(ホバシラ)冥し官舍訪ふ
[やぶちゃん補注:「帆柱山」の三字に「ホバシラ」とルビする。この句、実は底本全集本文には載らない。底本年譜の同年の条に、この年の五月発行の『ホトトギス』雜詠巻頭(三回目。坂本宮尾「杉田久女」に拠る)に次の五句が載ったとして、
雪颪す帆柱山(ホバシラ)冥し官舍訪ふ
生ひそめし水草の波梳き來たり
逆潮をのりきる船や瀨戸の春
磯菜つむ行手いそがんいざ子ども
くぐり見る松が根高し春の雪
と記載されてある(本文同様、恣意的に正字化してある)。ところが、今まで久女の句を打ち込んできた私には、この冒頭の句には見覚えがなかった。検索しても出てこない。打ち落としたのかと不安になったが、坂本宮尾氏の「杉田久女」に発見、そこに『この句は句集には未収録』とあってまずは安心した。以下、宮尾氏がこの句について述べている。やや長いが、山口青邨の評引用など、非常に興味深いので引用させて戴く。
《引用開始》
雪颪す帆柱山(ほばしら)冥し官舎訪ふ
この句は句集には未収録である。帆柱山は北九州市八幡東区にある五百メートルほどの山で久女の家からも見えた。帆柱山という名前は、神功皇后の船の帆柱にする杉を伐り出したという伝説に由来するとされる。
「ホトトギス」(昭9・6)でこの句の評を担当した山口青邨は、「官舎訪ふ」という下五のもつ斬新さと力強さに注目して、「此句で変つてゐる点は突然に篭といふ事を拉し来つたことであつて、かう置かれて見ると官舎でない他の家といふやうな生ぬるい事では斯(こ)うした強い感じは出ない、何故官舎を訪ねるのかなどといふやうな詮索は無用のことである。久女さんの句は何時もかうした力強い句であるが、此句の場合も洵(まこと)に力強い男性的な感じを出してゐる」とある。
青邨の指摘通り、官舎というまだ俳句には珍しかった語が、句に斬新さとある種の硬質な響きを与えている。山口誓子は八幡製鉄を見学して〈七月の青嶺まぢかく熔鉱炉〉と鮮烈な印象の句を残したが、「青嶺」とは、この帆柱山である。
久女も現代的な風景を詠むことに挑戦した。帆柱山という地名の響きも、文字も句に情趣を添えている。「帆柱山(ほばしら)冥し」で小休止があって、下五につづく。町に迫るように立つ帆柱山からの雪嵐の情景を描写しながら、官舎を訪問する作者の小さな決意を要するような心持ちが伝わってくるのである。
橋本多佳子は、この句の官舎とは八幡製鉄所長官用の官舎で、久女は「『ダイヤを捨てた』と云ひながら、『中学教師の妻』と云はれるのをとても嫌」がって、「『有閑夫人のお相手は出来ない』と絶交して了つた」と記している(「久女のこと」)。意欲の乏しい有閑夫人の句会に出ていくことは、久女には苦痛だったのであろう。
《引用終了》
橋本多佳子の「久女のこと」(因みに私はこの『俳句研究』(昭和二五(一九五〇)年九月発行)に載った多佳子の久女論については、一部を省略したものでしか読んでいないものの、どうも多佳子にして――少なくともこの文章のある一部は――かつての師の――悪しき「久女伝説」の形成の片棒を――結果として――担いでしまった非常に問題のある作品ではないかと疑っており、いつか親しく解析してみたいと感じているものである)は以下(底本と同じ立風書房版全集のものを用いた)。
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雪颪す帆柱山冥し官舎訪ふ 久女
かきしぐれ鎔炉は聳(た)てり厳近し 久女
久女は常に自己の社会地位が気にかゝつた。「ダイヤを捨てた」と云ひながら、「中学教師の妻」と云はれるのをとても嫌つた。この官舎――八幡製鉄所長官官舎――に於ても「有閑婦人のお相手は出来ない」と絶交して了つた。この句からも久女の何か息苦しい魂を感じる。
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因みに、この翌六月に久女は『ホトトギス』同人となっている。しかし同時にこの年は句集上梓の希望を以って虚子に序文を懇請するも希望が容れられず、久女の俳句人生――いや、彼女にそれ以外の人生があったか?――に翳りが差し始めるのでもあった――]