『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 永安寺舊蹟
●永安寺舊蹟
永安寺舊蹟は瑞泉の門外右の谷なり。永安寺は源氏滿の菩提所なり。開山は曇芳和尚。永享十一年己未二月十日。持氏此寺にて自害せらると云ふ。
[やぶちゃん注:「新編鎌倉志卷之二」に、
○永安寺舊跡 永安寺(えいあんじ)の舊跡は、瑞泉寺の門外右の谷なり。永安寺は、源の氏滿(うぢみつ)の菩提所なり。氏滿を永安寺璧山全公と云。應永五年十一月四日に卒す。開山は曇芳和尚、諱は周應、夢窓國師の法嗣也。建長寺瑞林菴の元祖なり。永享十一年己未二月十日、持氏(もちうぢ)、此寺にて自害せらると云ふ。
とあるのを引き写している。
「源氏滿」第二代鎌倉公方足利氏満(正平一四/延文四(一三五九)年~応永五(一三九八)年)。
「曇芳和尚」曇芳周応(どんぽうしゅうおう ?~応永八(一四〇一)年)は臨済僧。京都天竜寺の夢窓疎石に師事して法を継いだ後、鎌倉に招かれて寿福寺・円覚寺・建長寺住持となった。南宋の牧谿(もつけい)の画風を学び、花鳥竹石の絵をよくした。
「永享十一年」西暦一四三九年。
「持氏」足利持氏。義教は許さず、憲実に持氏の追討を命じた。永享の乱の終局、関東管領上杉憲実は第六代将軍足利義教の絶対命令を受け、仕方なく永安寺に幽閉していた持氏を攻撃、彼はここで自害し果てた。]
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