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2014/12/20

どれくらい僕が本気かというと――

僕がどの程度に本気かということを、ちょっとだけお見せしよう。「澄江堂遺珠」の初版画像は佐藤春夫の著作権満了の来年元旦までは公開出来ないので「★」としてある。この注だけで実働ほぼ24時間を費やした。

澄江堂遺珠 

[やぶちゃん注:本作は佐藤春夫(明治二五(一八九二)年~昭和三九(一九六四)年)が、「澄江堂遺珠」として昭和六(一九三一)年九月から翌年一月までに発行された雑誌『古東多万』(「ことたま」と読む。やぽんな書房・佐藤春夫編)第一年第一号から第三号(号数は本文末尾に記された本書の校正者神代種亮(こうじろたねすけ)の「卷尾に」による。本誌は国立国会図書館の書誌データによれば月刊らしいが、実際には各月に発刊されてはいないことになる)に掲載したものを佐藤自身がさらに整理し、二年後の昭和八年三月二十日に岩波書店より芥川龍之介 遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠 Sois belle, sois triste.」として刊行したものである。内容的には序にある佐藤の「はしがき」にも記されてあるように昭和四(一九二九)年二月二十八日発行の岩波書店「芥川龍之介全集」(岩波書店版第一次「芥川龍之介全集」全八巻。昭和二年十一月に刊行を開始、昭和四年二月に完結した。「元版全集」と通称する)の「別冊」に載る堀辰雄編の芥川龍之介の「詩歌」から漏れた詩稿を「纂輯」したものではある。纂輯とは「さんしふ(さんしゅう)」と読み、「文書や材料を集めて書物にまとめること」の言いで編纂・編集と同義で用いられるのであるが、私はまさしく本書の場合――暗号めいてばらばらになっている友芥川龍之介の「歌草」の謎の断片を「搔き集め」、そこから「戰の庭に倒れた」芥川龍之介という「もののふ」たる友の「傷手をしらべ」、遂に恐るべき一箇の書物として纏め上げた稀奇書――と言えると思っている(鍵括弧内の語は本文最後の佐藤自身の献詩の一節である)。

 佐藤春夫が江口渙を通じて芥川龍之介と初めて面会したのは、大正六(一九一七)年三月中旬、互いに二十五の時であった(二人は同年生まれである)。これは芥川が作品集「羅生門」を刊行したり「偸盗」を発表する前月であり、佐藤はと言えば、まさにこの年に神奈川県都筑郡中里村(現在の横浜市)に移住して田園生活を開始、画作に精を出しつつ、かの名作「病める薔薇」の執筆を始める時期と一致する。三ヶ月も経たない同年六月一日に日本橋のレストラン「鴻の巣」で開催された芥川龍之介「羅生門」出版記念会「羅生門の会」では佐藤が開会の辞を述べる名誉を得ており、龍之介とは急速に親密度が増したことが窺われる。
 
 本ページは、そうした著者佐藤春夫の亡き友への限りない愛惜というコンセプトで、装幀や紙質に至るまで徹底的に考え尽くされた、奇妙ながら龍之介遺愛と言ってもよい本書の面影を、種々の著作侵害に抵触せぬよう配慮しながら、なるべく伝え得るように作ったつもりである。ただ、私でない誰もが可能なただの平板鈍愚な電子テクストに終わらせぬために恥ずかしながら不肖私藪野直史のオリジナルな注を各所に配してあり、それが折角の原本の美しさを穢していることについては内心忸怩たる思いがあることは言い添えておく。

 底本は日本近代文学館発行「名著復刻 芥川龍之介文学館」(昭和五二(一九七七)年発行)の岩波書店発行の初版復刻本を用いた。

 底本では佐藤春夫の三字下げの評注は本文よりもポイントが落ちるが、敢えて同ポイントとしつつ(佐藤の役割を考えれば、私は寧ろこれが正しいとさえ考えている。但し、正当本文中のものは明確に区別するために有意にポイントを落した)、改行箇所は底本に準じて一行字数を一致させた。但し、鍵括弧や読点の半角(総て)は見た目が悪く(私にとって)、読点半角はPDF化した際に不具合を生じるため、総て全角にしてある)。また、佐藤春夫による注意強調の傍点であるが、これは拡大して戴くと分かるが、通常の黒の傍点「ヽ」ではなく、白抜き傍点「﹆」である。

 なお、本書の副題のような「Sois belle, sois triste.は詩稿の欄外に記されたメモに基づく(後掲する装幀貼り交ぜに出る)。これ自体はフランス語で「より美しかれ、より悲しかれ」の意であり、またこれはボードレール( Charles Baudelaire )が一八六一年五月に発表した「悲しいマドリガル(恋歌)」( Madrigal triste )――現在は「 悪の華」( Fleurs du mal )の続編・補遺に含まれる一篇――の一節である。私の「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」の旧全集「未定詩稿」の最後に附した私の注で原詩総てを示してあるので参照されたい。]

 

[やぶちゃん注:箱(約縦二十三/横十七・八/厚さ一・九センチメートル)。順に表・裏・背・両天地(天、地の順)。芥川龍之介の直筆詩稿の一部が切り張りされた独特の装幀である(末尾の神代種亮の「卷尾に」に『見返し及び箱貼りは原本の部分を複寫して應用したものである』とある)。表の書名その他は佐藤春夫の直筆かと思われる。装幀者も彼と思われるが装幀挿画者の表示はない。小穴隆一(著作権継続中)の可能性も排除は出来ないが、取り敢えず、本書の一つの特異な装幀であり、しかも本書の芥川龍之介直筆稿である。これなくしては「澄江堂遺珠」の香りを再現出来ないと私は考えるので、敢えて前に掲げておいた。作者若しくはその著作権継承者からの要請があれば以上の画像は取り下げる。以下、直筆原稿を可能な限り、独自に判読し、活字化してみることとする(切り貼りであることから一篇の連続性を優先し、開始位置のパートに全篇を示すこととした。従って他の箇所に送ったものやダブって判読したものがある。判読の際には岩波版新全集第二十三巻(一九九八年刊)の『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』パートを参考にしたが、その過程で不思議なことに同一であるはずのそれとの齟齬を発見した。ここでは活字に起こすだけで注は附さない。近い将来行う同『「澄江堂遺珠」関連資料』を元にした電子化注釈でそれは行う。取り消し線は抹消を示す。以下の原稿判読電子化にはこの注は略す)。 

●表部分

*標題紙(中央やや上部にピンクの現在の付箋紙様のものに右から左へ、佐藤春夫に拠るかと思われる手書きで記す。以下、逆に綴って示す)

 

芥川龍之介遺著

佐藤春夫纂輯

詩 集

澄江堂遺珠

sois belle, sois triste

昭和癸酉

岩 波 書 店 刊

 

「癸酉」は「みずのととり」で昭和八(一九三三)年の干支。

*最も使用面積の多いこの標題紙の張られた稿(*最上部にある抹消一行「人を殺せどなほあかぬ」は次の裏での判読に回す)。本文罫欄外上部頭書様パートに、

 

黄龍寺の晦

堂老師

 

吾 爾に隱す

ことなし(論語)

 

としるし、以下、本文部分に次の詩稿が載るが、先の標題紙によって九行分が完全に見えなくなっている。標題紙はかなり厚手のもので透過せず、下にあるであろう稿は全く読み取れない(強い光源を当てて見たりしたが見えない)。これは新全集『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁24』とナンバリングするもの(岩波版新全集第二十三巻五七六頁)と等しいと思われる(マスキングされている部分の行数も完全に一致するからである。なお、これは『頁24』の総てである)。そこで判読可能な前三行と後五行の間に『「澄江堂遺珠」関連資料』に示されたものを再現させて以下に示す。『「澄江堂遺珠」関連資料』による再現部分は下部に【再現】と入れた(同新全集は新字体コンセプトであるが、幸い、このマスキングされた部分には正字と異なる新字が散在存在しない)。

 

   ひとり葉卷を吸ひ居れば

   雪は幽かにつもるなり

   こよひはきみも

   ひとり小床に眠れかし   【再現】

   きみもこよひはほのぼのと 【再現】

   きみもこよひはしらじらと 【再現】

   きみもこよひは冷え冷えと 【再現】

                【再現】

   みどりはくらき楢の葉に  【再現】

   ひるの光のしづむとき   【再現】

   つととびたてる大鴉    【再現】

                【再現】

   ひとり葉卷きをすひ居れば

   雪は幽かにつもるなり

   こよひはきみもしらじらと

   ひとり小床にいねよかし

   ひよりいねよと祈るかな

 

*(下部の九行分の稿は次の裏での判読に回す)

 

●裏部分

*最上部にある稿(表から天の部分を経てここに至る)は、『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁22』とナンバリングするもの(岩波版新全集第二十三巻五七五頁)と等しい(最後の一部が欠であるが、実は別な貼り交ぜでそこは出る。後掲)と思われる(但し、三箇所に不審な点がある)。

 

   人を殺せどなほあかぬ

    妬み心も今ぞ知る

 

   みどりは暗き楢の葉に

   晝の光は沈むとき

   ひとを殺せどなほあかぬ

   妬み心も覺しか

       ■

   風に吹かるる曼珠沙華

   散れる

 

①二行目頭の「」は何かの字を一字書いてそれを十文字マークで抹消したように見える。「石」か?

②「妬み心も覺しか」の次行の「覺」の左にあるのは記号のような不思議なもので判読出来ない。

③「散れる」の抹消の後にある「何」の抹消字は自信はないが、初見では「何の」と判読し得た。これは「何」をぐるぐると抹消し、「の」を消し忘れている。なお、以上の三点の私の判読(不能を含む)部は『「澄江堂遺珠」関連資料』には存在しないことになっている

 

*中央部にある稿は『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁26』とナンバリングするもの(岩波版新全集第二十三巻五七七頁)と等しいと思われる。

 

   綠はくらき楢の葉に

   晝の光の沈むとき

   わが欲念

   わが欲念はひとすぢに

   をんなを得むと

   ふと眼に見ゆる

   君が心のお

    光は

    何かはふとも口ごもりし

 その日

 

   みどりはくらき楢の葉に

   ひるの光のしづむとき

   わがきみが心のおとろへを

   ふとわが

 

『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁26』では「わが欲念はひとすぢに」は全抹消、抹消の「君が心のお」は「君が心の」とする。さらにこの次の抹消の「光は」との間に一行空けがある。よくみるとこの直筆原稿では行空けはないものの、「光は」以下の三行が半角分前の詩篇の位置よりも有意に下がっているのが分かるので、新全集編者はここで詩篇を改稿したと判断したのであろう。また、この三行目の抹消「その日」は『頁26』では「その」で「日」はない。

 

*最下部から地を経由して表下部へ続く稿は、前の最上部(表から天の部分を経てここに至る)にある『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁22』稿とナンバリングするもの(岩波版新全集第二十三巻五七五頁)と等しい。先の最後の一部の欠部分がここでは見えている。煩を厭わず活字化する。

 

 

   人を殺せどなほあかぬ

    妬み心も今ぞ知る

 

   みどりは暗き楢の葉に

   晝の光は沈むとき

   ひとを殺せどなほあかぬ

   妬み心も覺しか

       ■

   風に吹かるる曼珠沙華

   散れる

 

   夕まく夕べは

   いや遠白む波見れば□に來れば

   人なき

 

最後の四行分(最初の空行を含む)が前の貼り交ぜではなかった。『頁22』稿では「いや遠白む波見れば」と「ば」する。「□に來れば」の「□」は判読不能。『頁22』稿でも『〔一字不明〕』とする。因みにこれが『頁22』稿との総てである。

 

●背部分

 佐藤春夫に拠るかと思われる手書き。ここだけが「編」となっていて「纂輯」でないのが特異。

 

  澄江堂遺珠   芥川龍之介遺著佐藤春夫編

 

●天部分

前掲『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁22』稿の「 妬み心も今ぞ知る」と空行一行分。

●地部分

同前稿の「みどりは暗き楢の葉に」と「晝の光は沈むとき」の二行分。]

 

 

[やぶちゃん注:本体(約縦二十二・四/横十七・五/厚さ一・五センチメートル)。順に表紙・背・裏表紙。多色の美しい墨絵流し。背の書名、

 

  澄 江 堂 遺 珠     佐 藤 春 夫 編

 

は金箔押。装幀及び画家不詳。作者若しくはその著作権継承者からの要請があれば以上の画像は取り下げる。権利主張としてあり得ないと私は考えているが、完全な画像を示した場合に復刻版出版者から疑義が出ぬよう、左右の一部をわざと切っているので注意されたい。実横全長(約三十五・五センチメートル。耳の部分で収縮が生じる)で合わせて凡そ五センチメートル分をカットしてある。]

 

 

[やぶちゃん注:表紙見開き。順に右(効き紙側)と左(遊び側)。芥川龍之介の直筆詩稿である。これは詩原稿そのものであって、装幀として著作権を要求することは出来ないと判断出来るが、やはり用心のために一部を恣意的に問題のない端部分をカットしてある(次も同じ。この注は略す)。以下、直筆原稿を可能な限り、活字化してみる。

 

●右(効き紙側)部分

『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁38』稿と同一と思われる(岩波版新全集第二十三巻五八三頁)。本文罫欄外上部頭書様パートに、

 

 Sois belle, sois triste ト云フ

 

と記す。

 

   水の上なる夕明り

   畫舫にひとをおもほへば

   わかぬぎたがすて行きしマチ箱の薔薇の花

   白きばかりぞうつつなる

    水のうへなる夕明り

    畫舫にひとをおもほへば

    たがすて行きし

    わがかかぶれるヘルメット

    白きばかりぞうつつなる

 

    はるけき人を思ひつつ

    わが急がする驢馬の上

    穗麥がくれに朝燒けし

    ひがしの空ぞ忘れられね

 

     さかし

    

白きばかりぞうつつなる」の「ぞ」が吹き出しで右から挿入。「驢」の字は原稿では「盧」を「戸」としたトンデモ字。『頁38』稿では「白きばかりぞうつつなる」と「水のうへなる夕明り」の間に空行がある。最後の抹消字は不詳であるが、これは『頁38』稿では存在しないことになっている。

 

●左(遊び側)部分

前の稿の続き。『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁39』稿と同一と思われる(岩波版新全集第二十三巻五八四頁)。

 

   畫舫はゆるる水明り

   はるけき人をおもほへば

   わがかかぶれるヘルメット

   白きばかりぞうつつなる

 

   幽に雪のつ■■

   幽かに雪のつもる夜は

   ひとりいねよと祈りけり

 

   疑ひぶかきさがなれば

   疑ふものは數おほし

   薔薇に刺ある蛇に舌

   女ゆゑなる涙さへ

   幽かに雪のつもる夜は

   ひとり葉卷をくはへつつ

   幽かに君も小夜床に

 

最後の三行は原稿では一気に斜線で以って総て削除している点に注意。『頁39』稿には私は判読不能箇所は存在しないことになっている。]

 

★★

 

[やぶちゃん注:裏表紙見開き。順に右(遊び側)と左(効き紙側)。芥川龍之介の直筆詩稿である。裏表紙見開きであるが、表紙側と同じく芥川龍之介の直筆詩稿でありながら、しかもその表側のそれとは違う箇所であるから、敢えてここに配した。以下、直筆原稿を可能な限り、活字化してみる。

●右(遊び側) 部分

『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁36』稿と同一と思われる(岩波版新全集第二十三巻五八一~五八二頁)。

 

   妬し妬しと

   嵐は襲ふ松山に

   松の叫ぶも興ありや

   山はなだるる嵐雲

   松をゆするもおもしろし興ありや

   人を殺せどなほ飽かぬ

   妬み心をもつ身には

   妬み心になやみつつ

   嵐の谷を行く身に

 

   雲はなだるる峯々に

   ■■

   昔めきたる竹むら多き瀟湘に

   昔めきたる雨きけど

 

[やぶちゃん注:ここで下段にシフトしている。]

 

      嵐は襲ふ松山に

      松のさけぶも興ありや

      妬し妬しと

      峽をひとり行く身には

 

      人を殺せどなほ飽かぬ

      妬み心も今ぞ知る も知るときは

      山にふとなだるる嵐雲

      松をゆするも興ありや

 

『頁36』稿では「■■」抹消部分は『二字不明』とあるが、私には「生贄」と書いて抹消したかのように見える。また、下段の最初の「嵐は襲ふ松山に/松のさけぶも興ありや/妬し妬しと/峽をひとり行く身には」は『頁36』稿では生きているが、明らかに一気に斜線を三本も引いて抹消していることが分かる

 

●左(効き紙側)部分

前の稿の続き。『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』の『頁37』稿と同一と思われる(岩波版新全集第二十三巻五八二~五八三頁)。

 

   竹むら多き淸湘に

   夕の雨ぞ

   

 

   大竹むらの雨の音

   思ふ今は

   幽かにひと

 

   夜半は風なき窓のへに

   薔薇は

 

   古き都は來て見れば靑々と

   穗麥ばかりぞなびきたる

   朝燒け

 

[やぶちゃん注:ここで下段にシフトしている。]

 

      古き都に來て見れば

      路も

 

 

      幽かにひとり眠てあらむ

 

 

      わが急がする驢馬の上

      穗麥がくれに朝燒くるけし

      ひがしの空ぞわすられね

 

 

      ひがしの空は赤々と

      朝燒けし

 

『頁37』稿では、私が判読不能とした抹消字三字は存在しないことになっている。]

 

 

 

      詩集

 

 

 

[やぶちゃん注:扉の後にさらに遊び白紙一枚が入って左頁に「詩集」。改頁。]

 

 

[やぶちゃん注:左頁に「澄江堂遺珠」。ここにのみ雲竜紙(うんりゅうし:三椏或いは楮の地紙に手ちぎりした楮の長い繊維を散らせて雲形文様を出した和紙。)様の特殊和紙が使用されてある。この扉の「澄江堂遺珠」の独特の味わい深い文字は、末尾の神代種亮の「卷尾に」に『扉の「澄江堂遺珠」の五文字は朝鮮古銅活字より採取したもの』とあり、上記画像の文字自体は著作権を侵害しないことが分かっている。改頁。]

 

 

[やぶちゃん注:左頁に。底本では「澄江堂」と「遺珠」の下に「Sois belle, sois triste.」の文字が続く。改頁。]

 

[やぶちゃん注:ここ(ハトロン紙を挟んで左頁)に親友小穴隆一の描いた芥川龍之介の知られた肖像画「白衣」(「びゃくえ」と読む。大正一一(一九二二)年二科展出品作)が入るが、著作権継続中のため省略する。]

 

 はしがき

[やぶちゃん注:上部三分の一に以下に示す、岩(?)とひねこびた枯木のデッサンが入る。これは以下、本作の佐藤春夫の序文も含めて本文頁(「卷尾に」と奥附を除く)の挿入画(及びハトロン紙)の上部を常に占めている。装幀挿画者の表示はないが、五十四頁の佐藤の解説によってこれは稿に描かれた芥川龍之介自身の手遊びであったことが分かる。これなくしては「澄江堂遺珠」の香りを再現出来ないと私は考えるので敢えて前に掲げておいた。ここで改頁となり、左頁から佐藤春夫の序が始まる。以下、「卷尾に」の前まで、これが常に頁の上部三分の一を占めているのだというイメージでお読み戴きたい。]

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