尾形龜之助の死んだ日に ―― 尾形龜之助「九月の詩」 心朽窩主人・矢口七十七中文訳
九月の詩
晝寢
かうばしい本のにほひ
おばけが鏡をのぞいてゐた
九月的诗
午睡
一股芬芳的旧书香味
我发现妖怪在窥视镜子里 ——
*
矢口七十七/摄
* *
心朽窩主人 記――
尾形龜之助は
七十二年前の今日、昭和一七(一九四二)年十二月二日、既に暗くなった夕刻午後六時十分――
誰にも看取られることなく、仙台市木町末無(すえなし)十一番地(住所不明)の、空き家となっていた尾形家の持ち家で息をひきとった――
あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)《「障子のある家」巻頭言》
何らの自己の、地上の權利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。
それからその次へ。《「障子のある家」自序・冒頭》
かく嘯いていた詩人の死を私は容易に追悼出来ぬ――
さればここは、その重荷を正津勉氏の「小説 尾形亀之助」(二〇〇七年河出書房新社刊)の最期の描写に丸投げし――そうして私も――住所不定のその次へと……立ち去ることとする…………
*
……十二月一月の夕べのことだ。路傍にうずくまっている亀之助を通行人がみつけ、たまたま通り合わせた市役所の同僚に抱えられて、下宿屋に運ばれた。知らせをうけて、泉と茜彦と湲が駆け付ける。だがしかし三人の子供はというと、いつものように深酒したか喘息の発作だろうと、そのまま帰ってしまった。かくして病人は放置された。
翌二日、午後おそく、優と三人の子供が下宿を訪れた。病人の容態をみて、優は判断した。どうしてか医者は呼ばれなかった。病人は布団ごと台車に載せられた。そして、どうして大学病院のほうではない、なんで、空家になっていた持ち家のひとつに寝かされたのか。どれほどもなく外はすっかり暗くなっている。優と子供らは夕食の時間で帰っていた。
「家のふた」はとざされた。
ひとりになり間もなく、そのときの刻がきていた。亀之助死去。死因は本人の診立てどおり、全身衰弱による窮死。むろん臨終に立ち会った者はいない。享年四十二。
理不尽である。だがこれでいい。不条理である。いやよしとせよ。亀之助である。
いましも亀之助はから壜の曲面に浮かぶその顔を認めている。…………
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