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« 死を | トップページ | 甲子夜話卷之一 27 大屋木傳庵、老職衆へ答の事 »

2014/12/27

耳嚢 巻之九 地藏の罰を請しといふ事

 地藏の罰を請しといふ事

 

 三州高力村百姓與吉といふもの、在番の供して大阪に登り、彼(かの)在勤のつれづれに咄しけるは、我等が在所德次村に正燈山眞龍寺といふ寺あり、右地藏の罰のあたりたる事、怖しきと物語りけるを、いかなる事やと尋(たづね)しに、右村方にありし頃も貧しき百姓故、眞龍寺墓掃除其外地内の事も請負(うけおひ)てなしたりしに、或時取紛(とりまぎ)れて掃除遲くなり、蠟燭をとぼして殘る掃除なしけるが、石牌(せきはい)の間等掃除するに、くれてくらければ、傍にありける地藏尊の廣げ給ふ右の手へ蠟燭をたてゝ掃除を仕廻(しま)ひ戻りけるに、妻子など其顏を見て、おん身は如何し給ひしや、顏黑くなりし由を申(まうす)に付(つき)、鏡に向ひ見るに如何にも黑く、扨右の手も黑く成りければ、是は唯事ならず、墓掃除のせつ、かくかくの事ありしと語り、早速右地藏見しに、片顏眞っ黑にふすぼり、手も蠟燭をたて置候所己が手同樣黑くありしゆゑ、全(まつたく)佛罰なりとて眞龍寺へ至り、此事(このこと)有(あり)の儘に語りければ、和尚早速讀經して石佛を洗ひ淸めければ、與吉が面(おもて)も漸くに本(もと)に復しけるとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。地蔵霊験譚で、この手の「地蔵の祟り」譚というのは実はかなり多い。地獄の業火に自ら焼かれることを望んだ菩薩である(例えば私の電子テクスト「新編鎌倉志卷之二」の鎌倉の覚園寺の条に載る黒地蔵(別名を火焼(ひたき)地蔵という。現存)の話などを参照されたい。ここでも勿論、超常現象として与吉の顔や手が黒くなることはそれと関わる)はずなのに、例えばこの与吉のケースのように掃除をする彼に罰(といってもこの場合はすこぶる軽いが)を下すというのは、私にはすこぶる納得がいかないのである。地蔵報恩譚の逆ベクトル変型であろうが、私は正直、嫌いである。何故ならこのタイプの話は地蔵の深い慈悲心を却って傷つけるからである。寧ろ、この地蔵には邪悪な霊や狐狸妖怪の類いが憑依しているとして、地蔵尊自体を和尚が破砕して異変が留まるといった結末の方がなんぼかよいとさえ思うくらいである。事実、私が和尚なら、そうするような気がする。実際、この地蔵像はヘンだと私は睨むのである。にしても……墨塗りにする「罰」というのは何だか罪がない気もしないか?……後は……最後の私の注を参照されたい。……

・「三州高力村」現在、「こうりき」と普通に読む。底本の鈴木氏注は『愛知県額田郡幸田町大字高力』とし、岩波版長谷川氏注はそれに続けて、『当時旗本領。領主の大阪在番の供を与吉がした』と注しておられる。蒲郡の西北約八キロメートル、岡崎の南凡そ三キロメートルに位置する。

・「我等が在所德次村」「正燈山眞龍寺」底本の鈴木氏注には、村も寺も『不詳。真竜寺の寺名も県下に存しない。岡崎市本宿に曹洞宗神立寺がある』とするが、これは調べが浅い。岩波版長谷川氏注には愛知県『西尾市徳次町』とある(「とくつぎちょう」と読む。隣接する寄住町に西尾市役所がある)。ここは先の高力村からは西南西約九キロメートルに位置するから、ここが与吉の生まれ故郷・実家の所在地であってなんら不自然ではない(但し、当時こちらは西尾藩の領地である)。また、長谷川氏は寺についても『信竜寺。浄土宗』と注されておられる。調べてみると、浄土宗西山深草派正東山信龍寺(せいとうざんしんりゅうじ)とあって本話に出る山号も相似する(但し、次のリンク先の記載から文禄三(一五九四)年に天台宗審隆寺から改宗したもののようである)。現在の徳次町交差点の北方に位置する。個人サイト「愛知札所巡り」の同寺の記載によれば、「信竜寺」「護城院」「観音堂」「幡豆観音」の別称を持ち、貞応元(一二二二)年開山で西尾城護城祈願寺という由緒ある寺であること、本尊は阿弥陀如来であることが分かる。しかもリンク先の画像の中にも地蔵の石像(複数)を現認出来る。そして……さらに吃驚したことがもう一つ。現在の同寺の住所は「愛知県西尾市徳次町地蔵五十三」……地蔵だ!

・「石牌」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『石碑』。

・「地藏尊の廣げ給ふ右の手へ蠟燭をたてゝ」通常の地蔵像では合掌するか若しくは、右手は錫杖を持っているか、また何も持たぬ場合は下に垂らしており、それでは「廣げた」「右の手へ蠟燭」を立てるという表現はおかしい(合掌した手を「廣げ給ふ右の手」とはどう考えても表現しない)。「廣げ給ふ右の手」に合致するタイプは左手を前に指して宝珠を載せ、右掌を右胸の下方に垂直立てたものである。とすれば、これはその垂直に立てた中指辺りに蠟を垂らして立てたと解釈せざるを得ない。しかし、どうも後半の描写を読むと――というより初読する者は誰もが、これは右掌を上に広げて前に差し出しているとしか読まないと思うのである。しかし石仏フリークの私は右手を水平に差し出している地蔵といのを見た記憶がないのである(疑われるのであればグーグル画像検索「地蔵」を御自身で検証されるがよい。実際、右手水平というのは殆んど見当たらない)。そもそもが仏像の右手はその有意に多くのそれでは、開いて上げて示されるものなのである。この手を開いて掌を対象に見せるのは施無畏印(せむいいん)と呼ぶもので、これは本来、説法を聴く大衆の持つ畏れを取り去る、心理的緊張を除去するためのスピリッチャルなハンド・パワーを表わす印相(いんそう)なのである。敢えて好意的に読むなら、錫杖を持った右手の何か物欲しげに右手を差し出す地蔵など見たくもない! いや! だからこそ私はこれは似非地蔵、妖怪「黒こげ地蔵」なんだとマジに思うんである。しかし、「信龍寺」で示したリンク先の画像を見ていたら、地蔵の向こう側に一際大きな地蔵一体(別写真で単独の一枚もある)が見え、それは右手に錫杖を持っていたらしいが、その錫杖が失われていることが分かる。好意的に見れば、例えばこの錫杖を握っていた丸く結んだ右手の親指か人差し指の上に蠟燭を置いたと考えることなどは出来そうではある(がやはり苦しい。無論、この地蔵が当時のものであるかどうかは分からぬ)。……いや……しかし、この「罰」、如何にも子どもっぽく、悪意がないとは思わないか? この地蔵に憑依しているのがもしも亡霊であったとしたら……これはきっと……地蔵菩薩が賽の河原で救うておるところの――親より先に死んだ子の亡魂――なのではなかろうか?……などとも思って見たりするんである……

・「ふすぼり」ラ行四段活用の自動詞「燻る」原義は、燃えないで「煙がたつ」「くすぶる」で、そこから煙などのために「煤(すす)ける」「煤けて黒ずむ」の意となる。転じて「やつれる」「生気を失ったようになる」「気持ちが塞ぐ」「顔色が曇る」の意も持つのでそれも掛けられていると読めば一層面白い。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 地蔵の罰を受けたという事

 

 三河国高力(こうりき)村百姓与吉という者、当地を領されて御座った御旗本の御家来衆の一人が大坂在番と相い成ったが、特にその御仁に命ぜられ、お供として大阪へと登り、かの主人在勤の間、よぅ、主人の暇つぶしに面白おかしい話を披露致いたと申す。その中の一話を人伝てに聴いたのでここに認(したた)めおくことと致す。

 

「……へぇ……儂(わし)が在所は少しばっかし離れました徳次(とくつぎ)村と申すところでござんして……そこに正燈山真龍寺(せいとうざんしんりゅうじ)と申します寺がごぜえやすが……儂、ここの地蔵の罰(ばち)に当たったこと……これ、ごぜえやす……いや! そりゃあもう!恐ろしいったら、ありゃせんことやったぁ……」

と語り出したによって、主人は、

「それはまた、いかなる恐ろしきことじゃ?」

と訊ねたところ……

 

……徳次村の方におりましたる頃も……まあ、今と変わらぬ貧しい百姓でごぜえやした……されば、その真龍寺の墓掃除その外、寺内(てらうち)の雑事なんどもなんでも請け負うて、日々なしておりやしたが……ある日のこと、畑仕事なんどが忙しゅうて、それにとりまぎれ、寺の掃除がえろう遅うなってもうて、やりおるうちに、もう、だんだんに暗(くろ)うなってごぜえやしたによって、蠟燭を点しつつ、し残した掃除を致いてごぜえやした。ところが、石牌(せきはい)の間なんど掃除致しまするうちに、これまた、どえりゃー、冥(くろ)うなって、これ、どうにもなりませなんだによって……傍(そば)にあった石の地蔵さまの、その広げておらるる右の掌(てえのひら)の上に……蠟燭を立てて……これ、掃除を仕舞いおおせまして、そうしてそのまま家へと戻りました。

 ところが……妻子(つまこ)なんどは、儂の顔を見るや、

「あんさん! どうなさいましたんや?!」

「おっとう! 顔、まっ黒やでぇ!?」

てな、奇体なことを申しましたによって、妻に鏡を持って来させ、それを覗いて見ました……ところが……

――如何にもこれ!

――真っ黒!

――あたかも、これ以上ないと申す濃き墨を顔一面に塗ったる如くにして!

――さても目(めえ)を、ふと、その鏡を持ったる右手に落せば!

――握った右の掌の真ん中が、これまた、真っ黒けの黒々(くろっぐろ)!……

「……こ、こ、これは……ただごとやない!……そういえば……は、墓掃除ん時……地蔵さまの掌の上に……ちびた蠟燭を点し……消えたをそのままにして帰ってもうた!!……」

と妻に咄すも終らぬうち、脱兎の如く家を飛び出やんして、直ぐにかのお地蔵さまを見に参りました。……ところが……

――右の片頰は蠟燭の煤(すす)にて真っ黒にふすぼり!

――顔色が変じてもうて、石仏ながら生気も失(うしの)うたる、あたかも焼け死んだ人の面相の如(ごと)!

――右の手(てえ)はといえば!

――これも!

――蠟燭を立ておいて、そのままに溶け消えてごぜえやした所が!

――己(おのれ)が右手同様に!

――これまた!

だ真っ黒けの黒助(くろすけ)!

 さればこそ! 顎から手(てえ)から膝までも、がくがくぶるぶる震え出し、

「……こ、これは……全く以って! 仏罰じゃあああ!!!」

と、我知らず一声叫ぶと、真龍寺が方丈へと走り込んで、

「――お、和尚(おっしょう)さまぁッツ!――かくかくしかじかのこと、これ、ごぜえやしたぁああッツ!!!」

と、ありのままのことを申し上げましたんで。……へえ。……

 ほしたら、和尚(おっしょう)さん、早速に読経をなして下さり、儂とともに石仏(いしぼとけ)さまを綺麗に洗い清めて下すったんでごぜえやす。

 すると、和尚(おっしょう)さん、汗を拭いつつ、儂の顔を見るなり、

「――よ、与吉!……」

……へえ……儂の面(おもて)も……そん時には……ようやっと……本(もと)へと復してごぜえやしたんや…………。

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