日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 茂木にて
五月十七日には、曳網、綱、立網抔を馬にのせ、半島を横断して、七マイル向うの茂木迄歩いて行った。道路はこの全長にわたり、岩や石で舗装してあり、場所によっては平坦だが、他の場所では非常に凸凹している。我々は先ず嶮しい丘を登った。狭い小径の殆ど全部は粗雑な石段で出来ていたが、馬が如何にしてこれ等の段々を上るかは興味が探く、また下りて来る牡牛にも出会った。我々は扱いにくい荷を背負った一頭の牡牛に追いついた。例によって一人の男が、この動物を導いている。この場所の小径は狭くて泥深く、荷を横んだ牡牛は小径全体を占領していた。ある所では路の横の叢(くさむら)があまり茂っていなかったので、私は素速く飛び、そして溝に添って疾駆することによって追い越すことが出来たが、私があまり突然出現したことと、私の大きい白い日除帽とが牡牛を驚かせ、彼は踊ったり蹴ったりし始めた。御者は死ぬ程胆をつぶし、まるで山が頭上に崩れかけでもしたかの如くに飛び上った。我々がはるか先に行ってもまだ、彼が驚愕した叫び声をあげたり、苦情をいったりするのが聞えたのは、面白かった。
[やぶちゃん注:この最後、牡牛の馭者には悪いけれど、なんだかとても好きなシーンなんである。
「七マイル」一一キロメートル強。
「茂木」長崎市南東部の橘(たちばな)湾に面した茂木
(もぎ)。地図上の直線距離は七キロメートルほどであるが、本文にもある通り、長崎半島の根元を南東に横断せねばならない。]
最も興味の深い事象は、大きな石垣で支持され、いたる所の地景に跡をつけている段々畑である。これ等の石垣は耕作用の平坦な土地を支え、潅漑水は山の流から来て、壇から壇へと流れる。その儘で置かれれば荒蕪であるこれ等の丘の山腹は、かくて庭園、事実、都会の公園のように、見えるのである。
図―547
我々は最後に茂木に着き、そして主要な旅籠(はたご)屋を見つけた。図517は旅籠屋の向うの水に近く立つ、数軒の家を写生したものである。恰も干潮だったので、我々は採集するために、岸へかけつけた。
図―548
図―549[やぶちゃん注:上図。]
図―550[やぶちゃん注:下図。]
図548は茂木への途中にあった、石造の拱橋である。この村の路には、高い石の塀が添うている。それに添うて、海岸へ出る開いた場所を求めて歩いた私は、学校の庭を通りぬけた。男の子たちは恰度(ちょうど)休み時間で、みな石垣から紙鳶(たこ)を上げていた。彼等はすべて私を見つめ、そして私が出て行くと共に声を揃えて「ホランダ サン」
「ホランダ サン」といった。茂木の村は図549に示す如く、高い丘に閉じ込められている。茂木の向うの海岸に添った断崖は、如何にも不思議な形をしているので、このような変った形には、火山の活動が原因しているのではあるまいかとさえ思わせる。侵蝕は確かに、最も並並ならぬ山の輪郭を残している(図550)。
[やぶちゃん注:「拱橋」「こうきょう」と読む。上方に弓のように反ったアーチ橋のこと。
「凧」長崎特有の長崎凧(はた)であろう。「長崎凧(ハタ)愛好会ホームページ」によれば、一五〇〇年半ば頃(一五五〇年は天文十九年)、『唐・オランダから渡来する異国人によって伝えられた。現在の長崎ハタは「あごばた」と呼ばれ、出島のインドネシア人たち、つまり南方系の凧が伝わったものだろうといわれて』おり、『文様においても、オランダ船の船旗や信号標識旗をデザイン化したものと思われるシンプルなものが多く、異国との窓口であった長崎の特色を出している』。『ハタは南方系、タコは大陸系と大別され、長崎には古くからイカノボリ(バラモンその他の凧)という言葉があり、南方系のハタが長崎において、一大発達をなし、遂に主座を形成するに至り、故に長崎においては、大陸系のものも日本系のものも総括してハタと呼んだのであろうと』推定されている、とある。リンク先では鮮やかな多様な形や絵柄を楽しめる。必見。]
図―551
天主教の国々で人が道路に添うてその教会の象徴を見受ける如く、日本では到る所に仏教の象徴や祠が見られる。茂木の海岸には石の祠――扉も石で出来ている――があり、これ等の前で漁夫たちが祈禱する。図551はそれ等の中の二つを示しているが、高い方のは高さ三フィートである。
[やぶちゃん注:「三フィート」九十一センチメートル。]
図―552
村を流れる細洗にかかった橋の上で、数人の男の子が紙鳶をあげていたが、中には長い竹竿の末端に紙鳶をつけた子もある。このようにすると、風に達することが出来、また紙鳶をより容易に持つことが出来る(図552)。欄干(らんかん)がないので、この橋は非常にあぶなっかしく思われた。
[やぶちゃん注:一つの可能性としては、この図の橋こそが若菜橋の原型ではなかろうか?]
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