『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 獅子巖
●獅子巖
獅子巖は永福寺舊蹟の北山の嶺にあり。巖の大さ方六尺許。其形獅子の如くなる故に名く。俚語(りご)に二階堂の獅子舞の峯と云ふなり。
[やぶちゃん注:「新編鎌倉志卷之二」に、
○獅子巖 獅子巖(ししがん)は、永福寺舊跡の北、山の嶺(みね)にあり。巖(いは)の形(かたち)獅子の如くなる故に名く。【護法録】に云、浦江縣の東南三十五里に有山(山有り)。俗其形蹲踞して、獅子の如なるを以て、獅子岩と云ふ。異國・本朝、事相ひ似たり。俚語に、二階堂の獅子舞(ししまひ)の峯(みね)と云なり。昔は永福寺の内なり。永福寺の内に、二階堂有て、繁昌の時は、寺内廣(ひろく)して、此の邊より遙か東南の村までを、今に二階堂村と云なり。此獅子巖より南の方、永福寺の礎石の有所を考へ見るに、【東鑑】に、正嘉元年八月十八日、陰陽師等、未明(びめい)に西御門(にしみかど)の山に登て見れば、時に殘月在西(時に殘月西に在り)。日出東(日は東に出づ)。彼れ是れ方角を糺せば、最明寺(さいみやうじ)永福寺は、卯酉(うとり)[やぶちゃん注:東と西。]に相ひ當り、大慈寺と最明寺とは、辰戌(たついぬ)[やぶちゃん注:東南と西北。]に相ひ當ると有。今我が相公の命(めい)を銜(ふく)んで、此の志(し)編纂のために此地に來り、彼の山上に登り方角を見れば、賓に此獅子巖の山の南の方と、禪興寺(ぜんこうじ)とは、正東西に相ひ當るなり。
とある。
b_neige 氏のブログ「フランス語と、鎌倉と、私と。。。」の「獅子舞の紅葉」の記事がよく同定の助けとなろう。私は昔から獅子舞の谷(昔は人気のないとても好きな場所だったのだが今は相当に人手に荒れている。昨年、何十年振りに教え子の娘を案内して下ったが、少し淋しい気がした)の登り切ったところにある峰から突き出る大きな岩をずっとそれと思っていたが(リンク先の下か二枚目の画像)、以下の「六尺」という記載は寧ろ、『最初のイチョウの大木の横の岩』という最下部の画像のそれが相応しいように思われる。さて? 獅子は何処?
「六尺」約一・八二メートル。]
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