日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 長崎出船、肥後高橋へ
長崎へ帰った我々は、その日採集した物を包装すると、疲れ切って畳の上に身を投げ出した。汽船は日曜日に、肥後と薩摩に向けて出帆する。我我は終日海岸にいて採集したり、曳網その他の物品を取りまとめたりした。横浜からの郵便は、予定の時に到着しなかったので、我々はそれを見ずに出発しなくてはならなかった。真夜中、我々は湾内にかかっている汽船に乗るべく、小さな小舟で岸を離れた。雨は土砂降りで、あたりは鼻をつままれても判らぬ位の闇、我々の小さな日本人の船頭が、汽船を見出し得るかどうかは、覚束なく思われた。汽船に着くや否や、我々は疲労困憊(こんぱい)の極、寝台にもぐり込んだ。翌日も降雨。正午肥後の岸に着き、海岸から五マイル離れた場所に投錨した。それ程遠浅なのである。この船は米を積込む為、翌日中碇泊するので、我々は全員豪雨を冒して上陸し、膚まで濡れながら海岸の岩の間で採集をした。我々はその夜の宿泊地である高橋の村へ行くのに、狭い川に添った狭くて非常に泥深い径を、六マイル歩かねばならなかった。川の船頭だちは、行きすぎる私を凝視し、我々に達する余程前に我々を看出しさえした。彼等は非常に慇懃(いんぎん)で丁寧であったが、我々が見えなくなる迄凝視するのであった。
[やぶちゃん注:モースは、この高橋を下った河口で翌日、驚愕の出逢いを果すこととなる(人ではない。彼の専門の愛する対象である)。それは次の段落で。
「汽船は日曜日に、肥後と薩摩に向けて出帆する」名古屋丸の長崎発船は磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、五月十八日の夜とあるが、この日は土曜である。「真夜中」とあることから、この発船を日付の変わった十九日日曜とモースは認識していたものか。
「五マイル」約八キロメートル。
「高橋の村」これは現在の熊本港の北に位置する熊本県熊本市西区高橋町の坪井川川畔ののそれか? 少し内陸に入ったところであるが、次の段落で「我々は舟に乗って、川を下り、海に出た」とあるから、ロケーションとしては一致する(磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」には停泊地を『肥後の高橋川河口』とされているが、そのような名の河川は熊本県にはない)。
「六マイル」約九・七キロメートル。名古屋丸がどこに停船したか不詳であるが、例えば、現在の熊本港桟橋から現在の高橋町までを試みに辿ってみると八キロ弱はある。]
« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 茂木にて | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 愛する生き物との再会 »

