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« 耳嚢 巻之九 頭痛の神の事 | トップページ | 私は思うのです »

2015/01/17

耳嚢 巻之九 吐血を留る奇法の事

 

 吐血を留る奇法の事

 吐血とまらざるに、童便(どうべん)を飮(のん)でよし。しかれども、宿(しゆく)に小兒(しやうに)なければ、他よりもろう時はさめてぬるく、心持を損ず。其時は其身の小便を飮(のん)でよし。右は予が親友山本某、文化の六の年春、吐血して色々藥を施しけれど其しるしなし。或醫師、右の法を傳へける故飮(のみ)けるに、早速留(とま)りける由。其の身の小便も、始めに通ずるは、しほはやさ強く、中半(なかば)を飮(のめ)ば少し飮(のみ)よき由。朝など溜りたるは彌(やや)飮(のみ)にくきと、山本かたりし故、ある官醫に其事かたりけるが、隨分醫家に其法有(ある)由語りぬ。不淨を己(おのれ)が口に入(いる)る事、死せばとていかにせんと難ぜし者あれど、其天命を繫(つなぐ)の一術、藥なれば又何か苦しからんと云(いひ)し人有(あり)。尤(もつとも)なる事にや。

□やぶちゃん注

○前項連関:頭痛から吐血の病状で連関するが、実は以下の「本草綱目」を見ると、この小児の小便は頭痛にも効果があるとあるから、本来なら、そこでも実は強く連関することになるということを述べおきたい。民間療法シリーズ。

「童便」小児の小便。底本の鈴木氏注に、『三村翁注「童便、一に輪回酒とも、還魂酒とも、還元湯とも十二歳より以下の男児の小便なり、一に一二歳の稚童未だ食せず乳を飲むともいへり、或は酒を加へ、或は水と等分にし、或は又蜜にまぜ温めて服せしむ、産後に一盞を温服して敗血悪物を下し、血暈を防ぐなどいへり。」』と引く。「本草綱目」の「人部」に「人尿」の項があるので引いておく(原文は中文ウィキ本草綱目」を基礎底本として使用したが、正字化を施し、一部の脱字と思われる漢字は後掲する茨城大学公式サイト内「真柳研究室」の「李時珍『本草綱目』人部・人屎項」の「受講生発表レポート」で補ってある。本文と関係のある箇所を私が太字下線で示した)。

   *

人尿

(奴弔切。亦作溺。「別錄」。)

【釋名】

溲(「素問」)、小便(「素問」)。輪回酒(「綱目」)。還元湯。時珍曰、『尿、從尸从水。會意也。方家謂之輪回酒、還元湯、隱語也。飲入於胃、游溢精氣、上輪於脾。脾氣散精、上歸於肺、通調水道、下輸膀胱。水道者、闌門也。主分泌水穀。糟粕入於大腸、水汁滲入膀胱。膀胱者、州都之官、津液之府、氣化則能出矣。「陰陽応象論」云、淸陽爲天、濁陰爲地、地氣上爲雲、天氣下爲雨。故淸陽出上竅、濁陰出下竅。』。

【氣味】

鹹、寒、無毒

【主治】

寒熱、頭痛、温氣。童男者尤良(「別錄」)。主久嗽上氣失聲、及症積滿腹(蘇恭)。明目益聲、潤肌膚、利大腸、推陳致新、去欬嗽肺痿、鬼氣、病、停久者、服之佳。恐冷、則和熱湯服(蔵器)。止勞渇、潤心肺。療血悶熱狂、撲損、瘀血在内運絶、止吐血鼻衂、皮膚皴裂、難産、胎衣不下、蛇犬咬(大明)。滋陰降火甚速(震亨)。殺蟲解毒、療瘧中(時珍)。

【發明】

弘景曰、「若人初得頭痛、直飮人尿數升、亦多愈。合蔥、豉作湯服、彌佳。」。

宗奭曰、「人溺、須童子者佳。産後温飮一杯、壓下敗血惡物。有飮過七日者。過多恐久遠血臟寒、令人発帶病、人亦不覺。若氣血虛無熱者、尤不宜多服。此物性寒、故熱勞方中用之。」。

震亨曰、「小便降火甚速。常見一老婦、年逾八十、貌似四十。詢其故。常有惡病。人教服人尿、四十余年矣、且老徤無他病、而何謂之性寒不宜多服耶。凡陰虛火動、熱蒸如燎、服藥無益者、非小便不能除。」。

時珍曰、「小便性温不寒、飮之入胃、随脾之氣上歸於肺、下通水道而入膀胱、乃其舊路也。故能治肺病、引火下行。凡人精氣、淸者爲血、濁者爲氣、濁之淸者爲津液、淸之濁者爲小便。小便與血同類也、故其味鹹而走血、治諸血病也。」。按「褚澄遺書」云、「人喉有竅、則欬血、殺人。喉不停物、毫髮必欬血。既滲入、愈滲愈欬、愈欬愈滲。惟飮溲溺、則百不一死。若服寒涼、則百不一生。」。又、呉球「諸證辨疑」云、「諸虛、吐衂、咯血須用童子小便、其效甚速。盖溲溺滋陰降火、消瘀血、止吐衂諸血。伹取十二歳以下童子、絶其烹炮鹹酸、多与米飮、以助水道。毎用一盞、入薑汁或韭汁二三點、徐徐服之。日進二三服、寒天則重湯温服。久自有效也。」。又、成無己云、「傷寒少陰證、下利不止、厥逆無脈、乾嘔欲飮水者。加人尿、豬胆汁鹹苦物於白通湯薑、附藥中、其氣相從、可去格拒之患也。」。

【附方】

舊七、新三十八。

頭痛至極 童便一盞、豉心半合、同煎至五分、温服(「聖濟總錄」)。

熱病咽痛 童便三合含之、即止(「聖惠方」)。

骨蒸発熱 三歳童便五升、煎取一升、以蜜三匙和之。毎服二碗、半日更服。此後常取自己小便服之、輕者二十日、重者五十日瘥。

二十日後、當有蟲如蚰蜒、在身常出。十歩内聞病人小便臭者、瘥也。台州丹仙觀道士張病此、自服神驗(孟詵「必効」)。

男婦怯証 男用童女便、女用童男便、斬頭去尾、日進二次、乾燒餠壓之。月餘全愈(「聖恵」)。

久嗽涕唾 肺痿時時寒熱、頰赤氣急。用童便(去頭尾少許)五合、取大粉甘草一寸、灸令四破浸之、露一夜、去甘草、平旦頓服、或入甘草末一錢同服亦可、一日一劑。童子忌食五辛熱物(姚僧垣「集驗」)。

肺痿欬嗽 鬼氣主病。停久臭溺、日日温服之(「集驗方」)。

吐血鼻洪 人溺薑汁和匀、服一升(日華子「惠方」)。

消渇重者 衆人溺坑中水、取一盞服之。勿令病患知、三度瘥(「聖惠方」)。

症積滿腹 諸薬不瘥者、人溺一服一升、下血片塊、二十日即出也(蘇恭「本草」)。

絞腸沙痛 童子小便服之、即止(「聖惠方」)。

猝然腹痛 令人騎其腹、溺臍中(「肘後方」)。

下痢休息 杏仁(去皮、炒、研)二兩、以猪肝一具、切片、水洗血淨、置淨鍋中、一重肝、一重杏仁、鋪盡、以童便二升同煎乾、放冷、任意食之(「聖惠方」)。

瘧疾渇甚 童便和蜜、煎沸、頓服(「簡便方」)。

瘴癘諸瘧 無問新久、童便一升、入白蜜二匙、撹去白沫、頓服、取吐碧綠痰出爲妙。若不然、終不除也(「聖惠」)。

中暍昏悶 夏月人在途中熱死、急移陰處、就掬道上熱土擁臍上作窩、令人溺滿、暖氣透臍即蘇、乃服地漿蒜水等藥。林億云、「此法出中張仲景、其意殊絶。非常情所能及、本草所能關、實救急之大術也。蓋臍乃命蒂、暑暍傷氣、温臍所以接其元氣之意。」。

中惡不醒 金瘡血出不止、飮人尿五升(「千金方」)。三十年癇、一切氣塊、宿冷惡病苦參二斤、童子小便一斗二升、煎取六升、和糯米及曲、如常法作酒服。但腹中諸疾皆治。酒放二三年不壞、多作救人神效(「聖惠」)。

金瘡中風 自己小便、日洗二三次、不妨入水(「聖惠」)。金瘡血出不止、飲人尿五升(「千金方」)。金瘡血出不止飲人尿五升(「「千金方」)。打傷瘀血攻心者、人尿煎服一升。日一服(「蘇恭本草」)。

折傷跌撲 童便入少酒飮之。推陳致新、其功甚大。薛己云、「予在居庸、見覆車被傷七人、仆地呻吟、倶令嚾此、皆得無事。凡一切傷損、不問壮弱、及有無瘀血、倶宜服此。若脅脹、或作痛、或發熱、煩躁口渇、惟服此一甌、勝似他藥。他藥雖效、恐無瘀血、反致誤人。童便不動臟腑、不傷氣血、萬無一失。軍中多用此、杖瘡腫毒、服童便良(「千金方」)。

火焼悶絶 不省人事者、新尿頓服二三升服良(「千金方」)。

刺在肉中 温小便漬之(「千金」)。

人咬手指 瓶盛熱尿、浸一夜、即愈(「通變要法」)。

蛇犬咬傷 「日華子」云、「以熱尿淋患處(「千金方」)、治蝮蛇傷人、令婦人尿于瘡上、良。

蛇纏人足 就令尿之便解(「肘後方」)。

蜂蠆螫傷 人尿洗之(「肘後方」)。

蜘蛛咬毒 久臭人溺、於大甕中坐浸。仍取烏雞屎炒、浸酒服之。不爾、恐毒殺人(陳臓器「本草」)。

百虫入耳 小便少少滴入(「聖濟總錄」)。

労聾已久 童子小便、乗熱少少頻滴之(「聖惠方」)。

腋下狐臭 自己小便、乗熱洗兩腋下、日洗數次、久則自愈(「集簡方」)。

傷胎血結心腹痛 取童子小便、日服二升、良(「楊氏乳」)。

子死腹中 以夫尿二升、煮沸飲之(「千金方」)。

中土菌毒 合口椒毒、人尿飮之(「肘後方」)。

解諸菜毒 小児尿和乳汁、服二升(「海上方」)。

催生下胞 人溺一升、入蔥薑各一分、煎二三沸、熱飲便下(「日華子本草」)。

痔瘡腫痛 用熱童尿、入礬三分服之、一日二、三次、效(「救急方」)。

   *

実に幸いなことに、茨城大学公式サイト内「真柳研究室」の「李時珍『本草綱目』人部・人屎項」の「受講生発表レポート」でこれらの語中と全現代語訳が読める(但し、底本版本が異なるものと思われ、一部に異同がある。それでも概ね意味を知ることが出来る)。それを見ると、何故、小便が薬となるかについて、時珍は「小便與血同類也、故其味鹹而走血、治諸血病也」(小便と血は同類なり。故に、その味、鹹(かん)にして血に走り、諸々の血病を治(ち)するなり)『小便は血と同類であり、塩辛いため、血液に入りこむ。そして色々な血の病を治すのである』(下道弥生氏訳)と述べている。これらを見ると小児の尿は万能薬で、しかも長寿の秘法でさえことが記されている。私は試みたことがないが、現在でも自分の尿を飲む健康法を主張している方は多い(実際にそのような本を立ち読みした記憶がある)。なお、「本草綱目」ではこの前に「人屎」(ジンシ)、即ち人糞の項もあって、そこでもやはり特に中でも小児の大便の効能が記されてある。ここはあくまで小便であり、これ以上は脱線にもなり、不快感を持たれる方もあろうかと思われるのでリンクを張るのみにしたいが、朝鮮民族の間で古くから「トンスル」(똥술、糞酒、Ttongsul)と呼ばれる人糞を用いた人糞酒が存在することは知っておいていいだろう。そもそもが我々自身の体から出たものである。それが薬となるは、これ、至極自然なことだと、根岸と同様に納得する人間が私である。寧ろ――放射性物質を垂れ流しにして平然と「安全」「管理されている」などと称している今の日本こそ、おぞましくも穢れた致命的な国家規模の大迷信の中に生きているのだ――と声を大にして言いたいのである。

・「山本某」不詳。耳嚢 巻之三 鬼神を信じ藥劑を捨る迷の事に『予が知れる富家に山本某といへる者』という名が出るが、これはその話柄内で死んでいるのでこれではない。また、耳嚢 巻之七 老僕奇談の事に『予親族山本某』なる人物が出るが、ここでは親友と称しており、同一人かどうかは不明。

・「文化の六の年春」「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏であるから、これもまたしてもアップ・トゥ・デイトな記載である。ここに至って、根岸がなるべく新しい話柄を採録しようと努力しているさまが如実に窺われる(前に注したように根岸はこの巻九九百を以って「耳嚢」を擱筆するつもりでいた)。 

 

■やぶちゃん現代語訳

 吐血を止(と)むる奇法の事

 吐血が止まらぬ際には、小児(しょうに)の小便を飲用すれば、これ、効果がある。

 但し、自分の家内(かない)に小児がおらず、他家(たけ)より貰(もろ)うて参るという場合は、これ、時間が経ってしまって冷めてぬるうなり、これを、飲むと気持ちが悪くなることが、ままある。

 そうした場合には、無理に外から貰うてくることをせず、自分自身の小便を飲んでも、これ、効果がある由。

 以上は、私の親友である山本某(なにがし)が、文化の六の年の春、吐血致いて、色々と薬を試してみたものの、一向に効果のなきに困り果てて御座ったところ、知れるある医師が、

「……実は……小児の小水(しょうすい)を飲むと申す、いささか変わった処方が、これ、本草書にては伝えて御座る。」

と教えてくれたによって、藁をも摑む思いで、早速、試みに飲んでみたところが、飲んだ途端に爽やかに相い成り、吐血も、これ、ぴたり! と止まった由、聴いたままに記したもので御座る。

 なお、自分自身の小便を用いる場合も、その採取に注意すべき点があると申す。

 まず、放尿し初めに通ずるところの小便は、これ、塩辛さがはなはだ強いので避け、中半(なかば)の頃のものを採って、これを飲用に供すれば、幾分か、飲み易き、とのことであった。

「……そうさのぅ……そうしてみても……まず、朝の寝起きの、夜に溜まった小水は、これ、ちょいと、飲みにくいものじゃ。……」

なんどと、山本の語って御座ったゆえ、小便が薬になるなどと申すは、これ、凡そ聴いたことが御座らなんだによって、一応、気になり、このことを、とある官医に語って意見を訊いてみたところが、

「――はい。――実はですな、小水を処方とするは、これ、随分、医家にその法の御座いますものでしての。」

との答えであった。

 考えて見れば、一見、「不浄なるもの」なれば、

「……小便を?!……そ、そんなえげつない!……あんな臭い汚いものを!……自分の口ん中に入るるなんどととは!……ああっつ! 考えただけで虫唾の走る!……これ、その毒気の回って死に至ったとせば、これ、如何(いかん)せんか!……」

なんどと、この話をした相手の中(うち)には、あからさまに嫌悪の表情を見せて、批難致いた者も御座った。

 が、しかし、これを聴いても、平然と、

「――人の天命を繋ぐところの一術として――我が身の採ったるものの変じて――また我が身より出でたるところの小水――これ、薬となるとせば――いや、これはもう、当たり前に、自然に、あり得ることじゃ――何か、飲むに苦しからん――我らもそうした折りには、進んで飲もうとぞ思う。――」

と肯んじた御仁もあられた。

 この後者の御仁の謂いこそ、尤もなることでは御座るまいか?

 

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