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2015/01/16

耳嚢 巻之九 妖談の事

 妖談の事

 

 文化六年の春、人の語りしは、此程奇(きなる)事あり、中仙道桶川宿(をけがはしゆく)とかや、親もありしや、母子二人暮(ぐらし)にて家もまた不貧(まづしからず)。然るに息子なる者、亂心と申(まうす)ほどにもなく、狐の付(つき)たると申にもあらず、うつゝなき事ありしゆゑ、他行(たかう)をとゞめ服藥等心を盡し、段々快く最早常體(つねてい)とも可申(まうすべ)けれども、時としてうつゝなき事多かりしに、近邊の稻荷へ參詣なし度(たき)由申ける故、近所親類共(ども)へも爲知(しらせ)、とゞめけれども、程遠き處にもあらざれば、彼(かの)社頭へ、相談の上遣しけるが、其後あさ草觀音へ參詣いたし度旨相願(あひねがひ)けるゆゑ、母の一了簡(いちれうけん)にも難成(なしがたく)、親類組合へも咄しけるが、是はいらぬものなり、心もとなき由にて所(ところ)役人も合點せざる故差留(さしとめ)けるに、四五日もありて風與(ふと)立出で行衞不知(しれず)。定(さだめ)て淺草觀音へ參詣とて江戸へ出ぬらんと思へども、母は大きに驚き人を出し尋(たづね)けれども不知。四日目の曉、門口(かどぐち)の井戸へ物の落(おち)候音しければ、家内驚きて井の内を搜しけるに、落入(おちいり)候ものあれば、かろうじて引上(ひきあげ)けるに彼(かの)息子にありければ、未だ息もあるゆゑ色々養生なしけれど、其日の夕刻果(はて)けるにぞ、母の歎きはいふ斗(ばかり)なく、無據(よんどころなく)親類打寄りて次の日菩提所へ葬りて皆々なげきけるが、四五日過(すぎ)て夜に入(いり)、表の戸をたゝくものありし故、右の戸をあけゝれば彼息子なるゆゑ大きに驚き、幽鬼の類ひならんと、母さへ側へ寄らざりしが、彼息子大きに不審して、我等幾日に頻りに觀音參詣いたし度(たく)、立出(たちいで)、いづ方に泊りて昨日出立(しゆつたつ)、道中もいづ方に泊り歸りしといふゆゑ、其先々へも人を出し尋(たづね)けるに、いさゝか相違なし。さて葬送せしは、心の通(かよ)ひ來るなるべし、掘(ほり)て見よとて、菩提寺へも斷(ことわり)、掘穿(ほりうがち)見しに、是又息子死骸に相違なければ、かゝる奇も有(ある)事や、立歸りし息子、若し妖物(ばけもの)にも有(ある)やと、打寄尋(うちよりたづね)て其樣子を□しけるに、いさゝか違ひなく、折節うつゝなき事の有(ある)も、前日にかわる事なし。今に不審不晴(はれず)とかたりぬ。

  但しかゝる事有べきにもあらざれば、

  其虛實を糺しぬれど、いまだ其實をし

  らざるなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:実録的奇談物二連発。最後の字下げの記載は、根岸の後日附記と思われ、それだけに真相は別として、根岸が強く不審にも興味深くも思った事例であったことを感じさせる。一見、二重身(ドッペルゲンガー)譚に見えるが、これは実際に全く同一人の肉体が二つ存在するという特殊なケースで、論理的には井戸に落ちた男は行路死病人であって、偶然、そっくりな赤の他人であったという解釈以外には成立し得ない(母が口を噤んでいた一卵性双生児であったという設定も理屈では可能であるが、それならば母が気づかねばおかしいからあり得ない)。事件性や犯罪性も窺えず、根岸としても気になっても殊更に調べるわけには行かぬ事例であろう。しかし、この男子の精神状態がやや気になる(例えば、稲荷参詣の要求は自身が狐憑きであることをことさらに表明しようとする作為性を感じさせるし、後半での路程や宿泊地の明晰な記憶などを見ると、寧ろ、私は佯狂を疑うのである)……ここは一つ、杉下右京にでも登場して貰わずんば、なるまい。……右京さん、でも、相棒は亀ちゃんにしてね!……

・「文化六年の春」「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏。ほっかほかの事例である。

・「其樣子を□しけるに」の「□」には底本では右にママ注記がある。珍しい確信犯の伏字或いは書写本の虫食い等の欠損ということだが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、

 其樣子を樣しみるに

で、長谷川氏は「樣」に「樣(ため)しみる」と読みを振ってられる。これで訳した。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 妖しき話の事

 

●事件概要

・時 日 文化六年

・報告者 当該所轄役人

・要 約

 最近、管内に於いて、極めて奇体(きたい)且つ論理的に解釈不能なる出来事が出来(しゅったい)しているため、以下の通り、報告する。

●事件前史

 中山道(なかせんどう)桶川宿(おけがわしゅく)宿駅内、母子二人の家庭。

 家は、客観的に観察するに、経済的には貧しいとは言えぬ平均的世帯(しょたい)である。但し、この家の一人息子は、その精神状態――但し、これ、「乱心」と申すには語弊のあり、また、狐が憑依していると断定するほどの状況下でもない――が、時に正気を失って、尋常ならざる異常行動に陥ることがままあったため、母親はこの男子に外出を禁じ、相応の医師から処方された薬を継続的に投与するなどして、誠実な看護を尽くしていた。

●事件詳細

 しばらくして、徐々に快方へと向かい、最早、至って健全な状態となったかのように見えたものの、それでも時として、正気を失うような不審な行動や仕草をすることが、ままあった。

   *

 ある時、この男子、

「近くの稲荷へ参詣したい。」

と臨んだので、近所及び親類の者どもへ、この息子の現在の様態と、稲荷参詣の懇請につきて告げ知らせ、十分に協議した結果、取り敢えずは、未だ不安要素が大であるという諸判断に決し、取り敢えず、外出を押し留めさせた。

 しかし、母親は少しく、本自子たる男子を不憫に思い、その稲荷というも、これ、それほど遠き場所にあるものにてもなかったによって、最も信頼の於ける、近親・知己に対し、再度、話を向け、了承を得たによって、当該稲荷神社社頭への参拝を、この男子に許可した。

 その参詣から男子は無事戻り、また、その後(ご)に、何らの変化も認められなかった。

   *

 ところが、その後、この男子、今度は、

「浅草観音へ参詣したい。」

と、頻りに乞い願うようになった。

 されば、これも、母親一人の判断にては、とてものことに処理し難き案件であったがため、再び、ごく近しい親類及び近隣知音(ちいん)の講中の組合員等(ら)へも相談した。

 しかし、その結果、

「それは許容し過ぎであり、参拝の往路復路に於いても極めてっゆしき心配、これ、あり。」

という意見で一致を見、しかも、所轄の下役人も、

「問題が多すぎるに拠って、まずは今のところ、留保するが宜しい。」

と制止すべき答えが返って参った。

   *

 ところが、それから四、五日ほどして、この男子、ふと、自律的に実家からたち出で、そのまま行方不明となってしまった。

   *

 母親は、きっと浅草観音へ参詣するために江戸へ出たと判断し、すこぶいる驚愕、男子を知れる近隣の複数の者を雇い、江戸へ向かわせた上、ここかしこ、探し回ったもの、結局、発見出来なかった。

   *

 ところが、失踪から四日目の未明のことであった。

 この母親の家の実家入口のところにあった井戸の中へ、何か、相応の物体が落ちた感じを強く惹起させるところの物音がした。

 そこで、家内(かない)の者も、その音に驚き、井戸の内部を子細に探ってみたところ、明らかに井戸の底に落ち込んでいるように見える人影を現認した。

 そこで、何人かの者が集(つど)うて、これを引き上げてみたところ、それが実に、かの行方不明となっている息子であったがため、非常に驚き、その折りには未だに息もあったことから、応急処置を施しつつ、主治医の医師にも往診を頼み、誠実に看病致いた。

しかし結局、薬石効なく、その日の夕刻には死亡した。

   *

 死亡が確認され、母親の嘆きたるや、尋常ではなかったによって、葬儀その他の仕儀を実母が執り行うことは出来ぬと判断した親類一同がうち集った上、葬儀全般、これ、執行、菩提所へと葬って、皆々、悲愁致いて、法事、これ、恙なく終えることが出来た。

   *

 ところが、葬儀より四、五日過ぎた、ある夜のことであった。

 かの母親の家の、その表の戸を叩く者があった。

 そこで、その戸を開けてみたところが、そこに立っていた人物は――これ――何と――かの死んだはずの息子であった。

 されば、母親、大いに驚き、これは間違いなく幽鬼の類いであろうと存じて、その当の実母でさえも恐懼して、一切、側(そば)へは近か寄らぬ、という状況であった。

   *

 しかし、その息子と酷似した生きたる方に人物は、非常に不審なる面持ちのまま、

「……私(わたし)は××日……何やらん、心うちより……殊の外、観音参詣を致したき思いの、これ、募って参りましたによって……この実家を立ち出でまして……それから――〇〇の村へと至って――△△屋と申す屋号の旅籠(はたご)に泊り――その後(のち)、昨日、そこを出立(しゅったつ)致いて――思う存分――浅草観音に――これ、参拝を果しましたによって――そうさ――それより、また、帰りの道中にては――□□が方――なんどへ泊まって、かく帰りまして御座る。」

などと、きっぱり申しましたによって、母及び親族連中は、その息子の言の中(うち)にあったところの、その宿泊致いたと申す旅籠なんどへも、これ、それぞれ、一人ずつまでをも遣わして、これ、事実確認をしてみましたところが……これまた……総て……

――言う通り

――全く以って相違ない

ということが、これ、判明した。

   *

 されば、

「……さては……かの葬送したところの遺体というは……かの、息子の生霊……これ……心の憧憬(あくが)るる通り……ここへと通い至ったるものではなかったか?!……まずは、これ! 墓所を掘り返すに!――若くは――ない!」

という決議のあったによって、菩提寺へも特別なる断りを申し入れた上……かの息子の墓を掘り穿って見た。ところが、しかし、これ、まっこと、不思議なることに――確かに――その骸(むくろ)――これ――また、かの息子が死骸に他らなかったのである。

   *

 されば、母以下の数多(あまた)の者ども、これ皆、

「……か……かくなる……奇も……これ……あろうことかのう!?……と、とすれば――じゃ……その……たち帰ったと申す……息子とやらんは……これ……もしや……そ、その……おぞましき……化け物にても! 御座るまいかッ?!……」

と、皆して、かの生きたる息子を遠巻きにしつつ、叫んだ。

 しかし、それでも、特に親しかった者ども数人、及び、かの男に対し、親しく接し、かつ、いろいろと訊ねつつ、しかも同時に、それとのぅ、その雰囲気や外見を子細に観察してはみたものの……結局……これ……聊かの違いも、これなく――しからば――但し、確かに、折々、意識をふうっと失せる異様な感じは見受けられたによって――仔細に、その男を観察致いた限りでは――この男――聊かも妖しきところ――これない。……いや! 正直なところを申せば……これ……今に至るまでその不審――これ――晴るること――の、ない――と申す以外には、これ、御座らぬ。……

   *

 と申す報告文書ではあった。

●根岸鎭衛 附記

 但し、かかることは、これ、とてものこと、あり得べきことにてはなき部類のことであるによって――暫くは私的にその虚実につきて、かなり厳しき糺しを成さんとは思うが、しかし――実に未だ――その目から鱗の真相には……正直、これ、到達しては御座らぬと申しおこう…………。

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