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« 大和本草卷之十四 水蟲 介類 タイラギ | トップページ | 耳嚢 巻之九 老媼奇談の事 »

2015/01/29

大和本草卷之十四 水蟲 介類 忘れ貝

海月 本草ニ異名玉珧珧厥甲美如珧玉又曰四

肉柱長寸許トイヘリ海月ヲタヒラキ又ミツクラケナドヽ

訓スルハ非也タイラキハ其甲美ナラス肉柱只一アリ或曰

海月ハ土佐ノ海濵ニ生スルワスレ貝ナルヘシト云萬葉集

七卷ニイトマアラハヒロヒニユカン住ノ江ノ岸ニヨルテフ戀忘貝

トヨメリ住吉ノ濵ニモアルニヤ予カ見ル處ノ忘貝ハ與是

異レリイフカシ

〇やぶちゃんの書き下し文

海月 「本草」に、『異名、玉珧〔(ぎよくえう)〕・珧厥〔(えうけつ)〕。甲、美にして、珧玉のごとし。又、曰く、四つの肉柱、長さ寸許〔(ばか)〕り』と、いへり。海月を「たひらぎ」又「みづくらげ」などと訓ずるは非なり。たいらぎは、其の甲、美ならず、肉柱、只だ一つあり。或いは曰く、『海月は土佐の海濵に生ずる「わすれ貝」なるべし』と云ふ。「萬葉集」七卷に『いとまあらはひろひにゆかん住みの江の岸によるてふ戀忘貝』と、よめり。住吉の濵にもあるにや、予が見る處の「忘れ貝」は是れと異なれり。いぶかし。

[やぶちゃん注:本種の同定は益軒自身が混乱しているようにはなはだ難しい。斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ(ハマグリ)目マルスダレガイ上科マルスダレガイ科カガミガイPhacosoma japonicum は「海月」と呼称するに相応しい形状を成す。また、同じように円形に近く、真珠光沢を持つものとしては、翼形亜綱ウグイスガイ目ナミマガシワ超科ナミマガシワ科マドガイPlacuna placenta も浮かぶ。因みに後者は、特に貝殻の内壁が雲母様で、古くから中国・フィリピン等に於いて家屋や船舶の窓にガラスのように使用され、現在でもガラスとは一風違った風合いを醸し出すものとして、照明用スタンドの笠や装飾モビール等の貝細工に多用されている。

「本草に……」「本草綱目」には以下のように載る(下線やぶちゃん)。

   *

海月

(「拾遺」)

【釋名】

玉珧(音姚)・江珧・馬頰・馬。

藏器曰、「海月、蛤類也。似半月、故名。水沫所化、煮時猶變爲水。」。

時珍曰、「馬甲、玉珧、皆、以形色名。萬震贊云『甲美如珧玉』、是矣。」。

【集解】

時珍曰、「劉恂「嶺表錄異」云、『海月大如鏡、白色正圓、常死海旁。其柱如搔頭尖、其甲美如玉。。段成式「雜俎」云、『玉珧、形似蚌、長二三寸、廣五寸、上大下小。殼中柱炙蚌稍大、肉腥韌不堪。惟四肉柱長寸許、白如珂雪、以雞汁瀹食肥美。過火則味盡也。』。」。

【氣味】

甘、辛・平、無毒。

【主治】

消渴下氣、調中利五臟、止小便。消腹中宿物、令人易飢能食。生薑、醬同食之(藏器)。

【附錄】

海鏡 時珍曰、「一名鏡魚、一名、瑣、一名、膏藥盤。生南海。兩片相合成形、殼圓如鏡、中甚瑩滑、映日光如云母。有少肉如蚌胎。腹有寄居蟲、大如豆、狀如蟹。海鏡飢則出食、入則鏡亦飽矣。郭璞、賦云、『瑣 腹蟹、水母目蝦。、即此。」。

   *

これを見ると、劉恂の「嶺表錄異」の記載及び最後の「附録」の叙述はカガミガイに酷似し(「附録」に記されてあるカクレガニ類の共生(但し、時珍の謂いとは異なる片利共生)は、カガミガイと考える方が一般的であろうと思われる)、段成式の「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」のそれは翼形亜綱イガイ目ハボウキガイ科クロタイラギ属タイラギ Atrina pectinata 或いは有意に小さいところからはウグイスガイ目ハボウキガイ科ハボウキガイ Pinna bicolor の類の記載と読める。即ち、益軒が頼ろうとした「本草綱目」自身から既にして錯綜してしまっていたのである。

「みづくらげ」刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ミズクラゲ科ミズクラゲ属 Aurelia タイプ種 Aurelia aurita 。現行は言わずもがな、「海月」は概ね「くらげ」と読み、恐らくはそうした際、多くの人が想起するのはミズクラゲであろう。

 

『土佐の海濵に生ずる「わすれ貝」』ここで何故「土佐」かと言えば、これは以下の紀貫之の「土佐日記」の一節を念頭においているからに他ならない(引用は新潮日本古典集成木村正中校注版を恣意的に正字化した)。

   *

 四日。楫取り、「今日、風雲の氣色(けしき)はなはだ惡(あ)し」といひて、船出ださずなりぬ。しかれども、ひねもすに波風立たず。この楫取りは、日もえはからぬかたゐなりけり。

 この泊りの濱には、くさぐさのうるはしき貝、石などおほかり。かかれば、ただむかしの人をのみ戀ひつつ、船なる人のよめる、

 

  寄する波うちも寄せなむわが戀ふる

    人忘れ貝おりて拾はむ

 

といへれば、ある人のたへずして、船の心やりによめる、

 

  忘れ貝拾ひしもせじ白玉(しらたま)を

    戀ふるをだにもかたみと思はむ

 

となむいへる。女子(をむなご)のためには親幼くなりぬべし。「玉ならずもありけむを」と人いはむや。されども、「死(しん)じ子、顏よかりき」と言ふやうもあり。

   *

・「かたゐ」は原義は乞食であるが、ここは相手を罵って言う語。

・「忘れ貝」諸本の国文学者の注はこれをマルスダレガイ科の一種とし、それは異歯亜綱マルスダレガイ目マルスダレガイ科ワスレガイ Cyclosunetta menstrualis のことを指す。二殻長は約七センチメートル、殻高六センチメートルほどになり、殻幅の二・五センチメートルと大型である。殻は円形で、膨らみが非常に弱く扁平であり、しかも殻質厚く強固である。殻表は弱い放射状の細かい脈を持つものの平滑で鈍い光沢を持つが、黄褐色の薄い皮を被っており、通常は紫褐色の地にやや濃紫色の放射彩や網状の地模様を持つ、正直言って、凡そ現代の感覚からは、大きいいう点以外では、素人があまり拾って蒐集したいタイプの貝殻ではないと私は思う。諸注にはそれ以外にも、これは特定の貝を指すものではなく、二枚貝の死貝の片方の貝殻を指し、これを持っていると恋の憂さを忘れることが出来るとする伝承があったと記すが、私は、「土佐日記」のこれも、次の「万葉集」のそれもこの、漠然とした二枚貝の片貝の謂いである、と一貫して思っている。但し無論、当時の「忘れ貝」が現在のワスレガイ Cyclosunetta menstrualis でなかったという確証があるわけではない。これは私の確信感情であるとだけは申し添えておく。

・「船なる人」及び「ある人」は孰れも筆者が仮託した女性から見た貫之自身であり、アンビバレントな二首は孰れも彼の和歌なのである。

・「船の心やり」表面上はかく船旅の苦しさと言っているが、言うまでもなく、本作で一貫する失った女児への追慕の哀傷が強く裏打ちされている。

・「親幼くなりぬべし」愛する娘を失った親というのは大人げない、こんな寂しさを口にするのであろう、の謂い。

・「玉ならずもありけむを」白玉の如く美しき娘というわけでもなかったろうに。

・「死(しん)じ子」原本は「ししこ」で、これは「死にし子」の撥音便無表記である。底本の木村氏注に、『「死んだ子は縹緻(きりょう)よし」との諺があったか』とある。

 

「萬葉集」七卷に『いとまあらはひろひにゆかん住みの江の岸によるてふ戀忘貝』と、よめり。住吉の濵にもあるにや」「万葉集」巻第七の一一四七番歌、総前書に「攝津作」とある作者不詳の一首、

 

 暇(いとま)あらば拾(ひり)ひに行かむ住吉の岸に寄るとふ戀忘貝(こひわすれがひ)

 

である。初句から作者は官人であると分かる。「ひりふ」は「拾ふ」の古語。「住吉」摂津国住吉(現在の大阪府大阪市住吉区)。

『予が見る處の「忘れ貝」』益軒にとっての「忘れ貝」はどのようなものだったのか? 何故、彼は自分の知っている「忘れ貝」の形状を詳述しないのか?……これって、益軒先生にも、「忘れ貝」に纏わる秘密の恋でもあったのかしら? ちょっと気になる……]

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