耳嚢 巻之九 強惡の者其死も又強惡の事……「耳嚢」中で僕が最も慄っとした話……
強惡の者其死も又強惡の事
寶曆明和の頃なりし、御旗本に下枝采女(しもえだうねめ)といえる強惡不道のおのこありて、衆惡露顯して、御吟味の上八丈島へ遠島に處せられける。猶(なほ)惡事不止(やまず)、島にても品々不屆ありける間、島にて刑に行はれしが、島の刑は、簀卷(すま)きになして數十丈ある岸上より投落(なげおと)せば、屈曲峨々たる岩にあたりて微塵になりて死せる事の由。下枝をも簀卷にして彼(かの)巖上に連れ行(ゆき)しに、下枝いえるは、我もかく積惡の上は死は覺悟なり、しかれども元來武士の事なれば、簀卷にして谷底に落ち死なんこと、いかにも口惜(くちをし)き間、簀を解かれたし、自身谷底へ落ち死なんと申(まうす)故、任其意(そのいにまかせ)ければ、巖の端へ出て右谷へ飛(とび)けるが、下さる巖へ突立(つきたち)て上をにらみけるが、遍身裂け破れ、其(その)にらみし顏色怖(をそろ)しなんどいわんかたなしと、八丈の土地の者語りしとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:実話乍ら、ずっと続いてきた、怪奇譚よりも実際の映像――これは肛門辺りから内臓か脊髄を劈(つんざ)いて尖塔上の細い岩が男の身を貫いて、そこに貼りついたまま、離れなかったのであろうと私は想像する――浮かんできて、遙かに慄っとする。……私は実は「耳嚢」千話の中で、この短い話しこそが、最も慄然とした話として忘れられぬのである。……
・「宝暦明和の頃」西暦一七五一年~一七七一年。「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏。
・「強惡」「がうあく(ごうあく)」と読みたい。
・「下枝采女」底本の鈴木氏注に下枝正重として詳細に載る。『寛政譜に「明和元年二月十五日はじめて汝明院殿(家治)に拝謁し、閏十二月十六日大番となる。五年十月五日さきに増田太一郎某が宅にをいて鄙賤のものと出会して博突し、あるひは歌舞伎狂言の戯をなし、または音曲をもって祭礼または涼船に出、或は夜中往来のもの無礼ありとて猥に打身し、あるひは某が許の植木紛失のゝち正重これを所持し、しかのみならず病と称し、引こもりながらしばしば他行せし事等糺明あるのところ、さまざま申陳じ、白状の期に至り、朝比奈喜三郎昌幸、松崎幸四郎頼房等もともに博突せしむね偽申せし条、彼といひこれといひ、その罪軽からずとて遠流に処せらる。」同家は二百五十石。遺跡は娘聟が相続した』とある。明和元年は一七六四年。これは実に真正の悪党――しかし、今から見れば風俗壊乱の小悪党っぽい男で、こんなジュネの「ブレストの乱暴者」(Querelle de Brest)のケレル(Querelle)みたような若造どもは今の世の中、ゴマンといるぞ!――はある。八丈で死罪となる以上は、そこで人を殺めたか、島抜けでも計ろうとしたものであろう。それにしても、こんなにこと細かに記録として残って、二百五十年後にインターネット上に私の手でまたしてもしっかり無惨に『強惡』人として書き残されてしまうというのも……少し……哀れな気もしないでもないのである……それは多分……私自身がケレルだから……であろう……
・「數十丈」一丈は約三メートルであるから、六十~九十メートルから百五十メートル~百八十メートル相当。
・「下さる巖へ」底本では「さる」の右に『(なるカ)』と推定訂正注がある。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版はそうなっているので、「下(した)なる」で訳した。
■やぶちゃん現代語訳
強悪(ごうあく)の者はその死にざまもまた強悪たる事
宝暦・明和の頃のことであった。
御旗本に下枝采女(したえだうねめ)と申す極悪非道の、頗る傾(かぶ)いた男があった。
実にさまざまなとんでもない悪事の数々、これ、露見致いて、お裁きの上、八丈島への遠島と相い成ったが、こ奴(やつ)、なお、悪事の止むことなく、島にてもさんざんに罪を重ねたによって、結果、在島のままに、島で処刑が行われた。
八丈島に於ける死刑は――簀巻(すま)きにされた状態にて――数十丈ある断崖の真上より投げ落とす――という荒々しきもので御座ったれば、……屈曲し、海風に風化致いた、鋭くそそり立ったる岩塊や尖塔に――したたかに打ちつけられ――劈(つんざ)かれ……下に落つる頃には――身体これ――ばらっばらの――肉と骨の――小さなる塊へとうち砕かれ――死ぬる――という、まっこと、無惨なるものである。
下枝も、かく簀巻きにされ、その処刑の断崖絶壁の上に連行されたが、そこで下枝の申すに、
「……我らかくも悪を積んだる上は、死なんど、もとより覚悟の上じゃ。……しかれども、我らとて、元来は武士なれば……身動きも出来ぬ芋虫の如(ごと)、簀巻きにされたままに谷底へ投げ落とされ、粉微塵にされて死ぬると申すは……これ、如何にも口惜しきことじゃ。……どうか一つ、この簀巻きを解かれたい。……拙者――自ら谷底へ飛び込み、落ちて死んで見しょうぞッツ!――」
と申した。
されば処刑の者も、下枝が元は御旗本と存じおればこそ、その意に任せ、簀巻きから解き放ってやった。
下枝は、悪びれた様子ものぅ、断崖絶壁の端へと出で立ち、
――一気に
――その立った姿のまま
――飛んだ!
……飛んだを見て、皆して、崖の上より恐る恐る覗いて見た……ところが……
――下枝は
――ずぅっと下の方(かた)の
――針の如(ごと)
――屹立しておった岩に
――真っ直ぐに
――突き刺さっておった。
……落下する際、岩場に何度もぶち当たったによって、
――体中
――裂け破れ
――腕やら足やら
――既にして形をとどめておらなんだ
……が……しかし……突き刺さった……その先の……頭……顔……
――その両の眼(まなこ)は…
…これ……覗いておる崖の上の者らを……
――ねめつけ!
――その表情たるや!
……これ……まさにしく……
「恐ろしなんどといはん方なし」
と申すに相応しきものじゃったと申す。……
これは、八丈の土地の者が、じかに物語ったこととして、伝え聴いた話で御座る。