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2015/01/22

耳嚢 巻之九 賤尼氣性ある事

 賤尼氣性ある事

 

 大久保に住居(すまゐ)ける横田物語りせしは、彼(かの)近邊に子供もなく親族もなくて托鉢(たくはつ)をなし、其間には近隣の武家町へ至りて何かの用を辨じ、分(わけ)て産婦の乳はりてくるしむをもみ、其外介抱なす事甚だ妙を得し故、こゝかしこにてももてはやし通途(つうと)の尼よりは、獨(ひとり)ぐらしの店持(たなもち)にても貧しからずくらしぬるが、或人尼も年老(おい)て煩ふの事もあるべし、其そなえありたきといゝしが、尤(もつとも)とや思ひし、又兼て心得やありけん、夫婦養子をなしてしかじかの事を賴、我等地面をかりて家は手前ものなり、家財ある限り幷(ならびに)聊(いささか)貯へし金錢も、不殘(のこらず)夫婦へあたふるなりとて、是を讓り其身は別に聊かの住居をしつらい、是迄の通り托鉢をなし、心安き家々へはこれまでの通り被雇(やとはれ)、または通ひて、世話抔なせしが、天その惇眞(じゆんしん)を守るにや、養子夫婦も至極(しごく)の生質(きしつ)にて、彼(かの)老尼を實母のごとく孝養なしけるが、文化六年の春、彼養子なる者相果(はて)ぬ。其取片付(とりかたづけ)なども尼が一(ひと)まき取計(とりはから)ひしが、兼て生質をしれる近隣の者も厚く世話なしける。右養子の果しは歎きを求めぬるやうなれど、かゝる生質の尼故、又此上の天助もあらんと、横田かたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。

・「一まき」「一巻き」。名詞で一切・一式の意。

・「横田」横田袋翁。頻出の根岸昵懇の情報屋。既注

・「惇眞」「惇」は厚いの他に真心の意もある。純真の意でよかろう。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 賤しき尼にも気骨のある事

 

 大久保に住もうておる知音(ちいん)、横田殿の物語れること。

 かの大久保近辺に、子供もなく親族もなく、托鉢(たくはつ)をなして、その合間には近隣の武家町(まち)などを経巡っては、何かと雑用なんどをこなし、わけても、産婦の乳が張って苦しむを、乳を揉むなどしていろいろと介抱をなすこと、これ、はなはだ上手との評判を得たゆえ、ここかしこにても、これ、もて囃し、されば、小金も貯まり、普通の尼よりは、独り暮らしにして、しかも住める庵(いおり)は自分の持ち分と、まあ、貧しゅうはなき暮らしぶりであった。

 が、ある時、ある人の、

「……さても……比丘尼(びくに)もこれ、年老いたらば……煩うということもあろうほどに。……何か、それ相応の備えは……そろそろ、これ……なされた方が、よろしいかと存ずるがのぅ……」

と申したによって、尼は――それをまた尤もなることとでも思ったものか、或いはまた、以前よりそうした心づもりがもともとあったものか――夫婦(めおと)養子をなして、老後に万一のことのあった折りのことを頼んだ上、

「……そのかわり……妾(わらわ)、この地面は借りては御座れど、建っておるこの家は、手前のもの。――それから、家財はこれ、ある限り総て――それに加えて――いささか貯えおいた金銭も――これ、残らず――そなたら夫婦へお渡しますによっての。」

と申し、その通りに、これら総てを譲った上、その身は別に、また同じ敷地の僅かな場所に、小さき新たな庵(いおり)を別に設(しつら)え、また、これまでの通り、托鉢をなし、馴染みになって御座る家々へは、これまでの通り、雑用や乳張りほぐしなんどに雇われ、或いは通い仕事なんど致いて、巷にては――まあ、小金稼ぎとは申せ――方々にて、なかなかの誠意のある世話やら、働きなんど、なして暮らして御座った。

 されば、天も――その純真なる真心に感じてこれを守ったものか――尼の迎えた養子夫婦も、これ、至極(しごく)孝心厚き気質の二人にして、かの老尼をあたかも実母の如く、孝養して御座った。

 ところが、この文化六年の春、かの養子となった息子は、これ、残念なことに、相い果ててしもうた。

 その折りの葬儀なんども、この尼一人が、歎き打ち萎れた嫁ごを慰めつつ、その一切を取り計ろうて、成し終えて御座ったと申す。

 その後も、残った嫁は勿論、かねてこの尼の気質の直(なお)きを知れる近隣の者らは皆、……厚く、この尼の世話を、今も、なして御座る。

 

「……老少不定(ろうしょうふじょう)とは申せ、かの養子の果てたること、これ、なかなか……しきりに歎き続けては御座るようなれど……かかる直き気性の尼ごぜで御座るによって、またこの後も、かの――天の助け――これ、御座ろうものと、我ら、思うておりまする。……」

と、横田殿の語って御座った。

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