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2015/01/09

耳嚢 巻之九 戰記を讀みて聊怪しみ有事

 戰記を讀みて聊怪しみ有事

 

 安永天明の頃にや、予が知れる石川某、大番の健士勤て大阪に在番なし、つれづれには同僚の人々寄集(よりあつま)りて書物等讀み、其外雜談等をなす事の由。夏の事なりしが同僚の内、難波戰記(なんばせんき)の本を借り出し、最早番所引(ひき)候ゆゑ何れも圓居(まどゐ)して右の本を讀けるに、表の勤番所(きんばんしよ)、市中火事沙汰の由申(まうす)故、各(おのおの)驚きて何方(いづかた)の火事にやと所々を遠見(とほみ)すれど火事の沙汰なし。誰より通じたるやと、表の番所を承れどしれるものなし。寐(ね)おびれたるものゝ仕業(しわざ)ならんと、何れもまた元の所へ立歸りて難波戰記を讀しに、暫く有(あり)て又火事沙汰の事を申入(まうしいれし)ものありし故、此度はいづれも庭までも立出(たちいで)て、段々糺しけれども何の沙汰もなし。さるにても何ものかかゝるいたづらをなすやと、いづれもつぶやきて元の所へ來りしが、列座の内ふと心附申(こころづきまうし)けるは、今日は五月六日にて、大阪落城の日限(にちげん)なり。しかるに難波戰記を讀しは、心なき事なりと、いづれも是を聞(きき)て思わずぞつとして、早く仕廻(しま)ひ臥しぬと、彼(かの)石川の物語り也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特にないが、極めて変わった怪談、都市伝説の類いで、アーバン・レジェンドとして続いた雰囲気は持っている。二つ前の「猫忠死の事」と同じ「安永天明の頃」で始まっているから、そこでも同じ時期の噂話としての連関性が認められる。というより、話者が大番を勤めていた際の話と言う共通性からは、実はこの二つは同一人からの採話した可能性が高いようにも思えるのである。

・「安永天明」西暦一七七二年~一七八九年。「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏であるから、三十七~二十年前の比較的古い都市伝説である。

・「石川某」先に出る「石川翁」とは別人か。しかしえらく昔の話であり、彼であってもおかしくはない。また最初に注したように、「猫忠死の事」の「大御番勤し某」と同一人物の可能性が私は濃厚な気がする。

・「健士」本来は「こんし」と読み、平安時代に陸奥国の辺境を警備した兵士を指す。勲位を持ち、武芸に長じた者から選ばれ、租庸調が免ぜられて食料も支給された。ここは遠くそれに因んだ治安部隊の兵士に対する敬称であろう。

・「難波戰記」底本の鈴木氏注に、『国書総目録によれば、万年頼方・二階堂行意合著の同書は、寛文十二年(?)成立、巻は伝本により異同があって、二十五巻本、三十二巻本などもあるが、十巻が通常の形らしい。その他、立松東蒙著の同名本(三十巻)もあるといい、また浪速戦記大全と題し、田丸具房著の三十巻或い墜二十二巻などもある』とあるが、中身が分からない。個人サイトと思われる「阪南市の祭・やぐら」の難波戦記」の祭のやぐら彫刻画像に、慶長一四(一六一四)年冬から慶長一五(一六一五)年夏にかけての徳川家康と豊臣秀頼の対立・合戦、所謂、冬の陣から夏の陣を描いたものとするキャプションがあり、『難波戦記とは大坂冬の陣~和睦~大坂夏の陣を中心に描かれた合戦の物語で、江戸幕府が倒れ明治期になると、豊臣秀吉寄りの物語が公に楽しめるようになり、一気に流行した物語で』、『関が原の合戦以降、徳川幕府時代に豊臣家を滅ぼすために徳川家康が方広寺鐘銘に因縁をつけて挑発的な行為を仕掛けていた。その挑発に乗った大坂方は』慶長一九(一六一四)年の冬、『徳川家康は挙兵するが大坂城を落城できずに和睦となる。しかし、外堀だけを埋めるという条件の和睦だったが、徳川家康は内堀までも埋めてしまい』、翌元和元・慶長二〇(一六一五)年夏、『再び戦闘が繰り広げられ大坂城は炎上、豊臣家は滅亡し』たと記しておられる。近世史暗愚の私には、これで本話の怪異の意味がしっくりと腑に落ちたのであった。

・「五月六日」夏の陣は五月七日の深夜の大坂城炎上で幕を閉じた。ウィキ夏の陣によれば、『燃え上がる炎は夜空を照らし、京からも真っ赤にそまる大坂の空の様が見えたという』とある。因みにグレゴリオ暦では六月三日から翌四日に相当する。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 戰記を読んでおる最中に何とも慄っと致す怪異のあったる事

 

 安永天明の頃のことで御座ったか、私の知人である石川某(なにがし)殿が、大番の健士(こんし)を勤めて、大阪に在番致いて御座った折りのことと申す。

 非番の折りには、同僚の人々が寄り集(つど)って、いろいろなる書物を輪読致し、そこに書かれた武辺などにつき、雑談致すを、これ、楽しみにして御座った由。

 

 ある年の夏のことであった。

 同僚のうち、大坂冬の陣から夏の陣の興亡を記したる相応の巻数の、「難波戦記(なんばせんき)」をごっそり借り出して参ったによって、最早、番所役目も交替となって、奥へと数人が退(ひ)いて御座ったによって、皆、車座となって、この「難波戦記」を各々、寛いで読んで御座ったと申す。

 すると、表の勤番所(きんばんしょ)の方(かた)より、

「――市中火事ノ沙汰アリ!――」

との声が聴こえて参ったによって、皆々、驚き、

「何方(いずかた)の火事なるやッ!?」

と、縁先より伸び上がって、方々を見廻してみたものの、これ、それらしき火の手も煙も、人の騒ぎも、これ、聴こえて参らぬ。

「――今『市中火事の沙汰あり』との伝令、奥方へと御座ったが、これは誰の成したる報知で御座ったか?」

と、表にて勤むる番所方の者に確認をとってみたが、

「そのようなる報知は我ら成しては御座らぬが?」

と、誰も心当たりがない、と申した。

「……大方、寝惚けでもした馬鹿者の仕業(しわざ)にて、他愛もなき譫言(うわごと)ででも御座ったのであろうよ。」

などと、おのおの失笑致いて、孰れもまた、元の所へたち戻り、再び、「難波戦記」を読み始めた。

 と、暫く致いて、

「――市中火事ノ沙汰アリ!――」

と叫ぶ声が奥方へと再び響いて御座った。

 流石に、このたびは、その座にあった孰れもが、庭にまで裸足で走り降り、ある者は木戸口を出でて町方の者をつかまえて質いたり、高き場所へと登って四方を見廻したり、また、表向きへと走って、当番の健士(こんし)ら一人びとりに厳しく糺してみたが、これ、やはり――何のそれらしき沙汰もない。……

「それにしても、如何なる不届き者が、かくもゆゆしき悪戯(いたずら)を成したるかッツ!」

と、皆々、憤りつつ、また、もとの席へと戻っ参ったが、その列座せる健士(こんし)のうちの、とある一人が、ふと、気がついた。……

「――今日は五月六日にて……大阪城落城の日限(にちげん)じゃ!……しかるに……この……「難波戦記」なんぞを……面白おかしゅう読まんとするは……これ……慮外の無情なることでは……なかったものか?……」

と呟いた。

 孰れも、この呟きを聴くや、思わず、慄っとして、書を部屋の隅にたたみ積んでしまうと、早々に臥して御座ったと申す。……

 

 これはその石川殿御自身が物語られたもので、石川殿自身が体験なさったという実話にて御座る。

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