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2015/01/27

耳嚢 巻之九 蛇犬の腹中へ入る事 / 蛇穴へ入るを取出す良法の事

 蛇犬の腹中へ入る事

 

 文化六巳年五月中旬、本所龜井戸邊、或家の飼犬(かひいぬ)、蛇をなぶり候事も有之哉(これありや)、右犬の尻の穴へ蛇這入(はひいり)候を、其邊のもの取出(とりいだ)さふと、尾をとらへ引(ひき)候へども、曾(かつ)て不出(いでず)。とふとふ右穴中に這入しが、蛇は死せしや、犬は其儘にたち歩行(ありき)しと印牧翁の別莊へ、予が老僕立寄りて、きゝしとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。

・「文化六巳年五月中旬」「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏。

・「印牧翁」「耳嚢 巻之四 俄の亂心一藥即效の事」「耳嚢 巻之六 十千散起立の事」の二箇所に出る、医師印牧玄順であろう。前者の私の注したものを少し書き換えて示す。馬場文耕「当代江都百化物」(宝暦八(一七五八)年序)に玄順の未亡人のゴシップ記事「鳴神比丘尼ノ弁」が載るが(リンク先はサイト「海南人文研究室」内資料。この話自体、大変面白い。剃髪した貞女は実は不倫関係の永続を求めてのことであったというとんでもない話である)、これを読むと「印牧玄順」と言う名跡は代々継がれていることが分かり、時代的にもこの中に載る『玄順病死シテ高根玄竜事、今ハ印牧玄順ト改名シケリ』という人物よりも、一~二代後の「印牧玄順」であると思われる(宝暦八年は本巻執筆推定下限よりも凡そ五十年も前)。「デジタル版 日本人名大辞典」に江戸後期医師で、文政元年に伊予松山藩に招かれて侍医となり、「霊医言」などの医書を残した脇田槐葊(わきたかいあん)という人物の解説中に、彼が印牧玄順に学んだとある。しかし、この槐葊の生年は天明六(一七八六)年で今度は少々若過ぎる感じで、この槐葊の師である「印牧玄順」かその先代という感じである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 蛇が犬の腹の中へと入る事

 

 文化六巳年五月中旬のこと、本所亀井戸辺りのある家の飼い犬、蛇をおもちゃにしてなぶっておってでもいたものか、この犬の尻の穴へ蛇が這い潜らんとしておったを、その辺りの者がたまたま見つけ、取り出してやろうと、尾を摑んで引いて御座ったが、これ、いっかな、出て参らぬ。とうとうこの蛇、犬の尻の穴の中へとすっかり這い入ってしまったと申す。なれど、そのまま蛇は死んでしもうたものか、犬はと申せば、これ、そのまま、何事ものぅ、普通に歩いて御座った由。

 印牧(いんまき)翁の別荘へ、私の老僕が立ち寄った際、聴いた話とのことで御座った。

 

 

 蛇穴へ入るを取出す良法の事

 

 都(すべ)て蛇の穴に入らんとするはさらなり、男女の前後の陰中へ時として入る事もある由。これを出さんと、尾をとりて跡へ引(ひく)に、決(きまつ)て不出(いでざる)ものなり。醫書にも胡椒の粉を聊か蛇の殘りし所へつくれば、出る事妙なりとありしが、夫(それ)よりも多葉粉のやにをつくれば、端的に出るなりと、山崎生の物語りなり。

  蛇はいかに小さくとも、膣(ちつ)より奧へ

  は這入れぬものゝよし、啌咄(そらばなし)

  と云(いふ)。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:蛇が身体に潜るの直連関。フロイト先生の登場を待つ間でもなく、本邦では「日本書紀」「日本霊異記」「今昔物語集」と古えより女性の陰門に魅入った蛇が侵入する逸話は枚挙に暇がない(かつてはかくいう私もフリーキーにこれに限定した古説話を蒐集したことがあるし、ある時にはさる高校に於いてこれらに別な好色古説話を加えて、男子生徒限定の夏休みの古文の補習を組んだところが、男子限定というのが差別だとして女性教員から槍玉に挙げられてしまったことがあった)。因みに、これがまた変容した、女が蛇になるという怪異譚については、そのタイプの近世の説話に限定して書かれた、私の愛読書でもある高田衛氏の「女と蛇 表象の江戸文学誌」(筑摩書房一九九九年刊)という労作もある。しかし今となっては、何となくそうした手持ちの資料を、ここに打ち並べたい気が、何故か、まるで起らない。前の屍姦といい、これといい、どうも不快である。これは私自身が、そうした猥雑度にうち枯れてきたからなのだろうか?(そういう風には自分では思っていないのであるが)ともかくもこの程度でここは〆たいと存ずる。

・「胡椒の粉」「多葉粉のやに」後者はしばしば蛇の忌避物質として古い説話や伝承、近世の小話などにも頻繁に登場するが、「胡椒の粉」と云うのは聴いたことがない(岩波版長谷川氏も同じように注しておられる)。識者の御教授を乞うものである。

・「山崎生」「耳嚢 巻之九 猛蟲滅却の時ある事」に出る「醫官山崎氏」なる人物か(この人物はまた、本巻の頭に出る「耳嚢 巻之九 潛龍上天の事」にフルネーム山崎宗篤として出る人物かとも私には思われ、またその後の「耳嚢 巻之九 死馬怨魂の事」にも「山崎某」と出るのもこれか。フルネームに「某」に「生」と変化するのは、何となくちょっと気になるが、ここでも明らかに医師として発言しているようではある。しかし、附言でもある通り、この話自体が如何にも胡散臭く、そうするとこの「山崎」もそれとなく胡散臭い医師という気がして来る。その辺りに私がフルネームから「某」「生」と変化して記されるところの、根岸自身の、この話者に対する不信感を嗅ぎ取るのである。ただ、この二字下げの附言というのは根岸の附言ではなく、書写したものの感想附言である可能性も除去は出来ない。しかし、私は敢えて根岸のそれとして訳した。

 ・「啌咄(そらばなし)」は底本の編者によるルビ。但し、「啌」は音「カウ(コウ)」で、叱るったり怒たりする声、口を漱ぐ、及び咽頭の閉塞する病気の意しかなく、字面からの当て字に過ぎず、一種の誤字である。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 蛇の人体の穴所へ入り込んだものを取り出す良法の事

 

 すべて蛇が穴に入ろうとする習性があることは言うまでもないことであるが、男性の肛門や女性の陰門へ時として侵入するということも、これ、ある由。

 こうした場合、これを出ださんと、その尻尾を握って後ろへ引っ張ると、これ、決まって一向にひきずり出せずなってしまうものである。

 医書などにもこうした場合、体外に出ておる蛇の尻尾の部分に少しく胡椒の粉をつければ、これ、引き出せること、奇々妙々であると書かれて御座るが、しかし、それよりも煙草の脂(やに)をそこにつければ、これ、確実に引き出すことに成功する。

 ――と、以上は知れる医師山崎殿の話で御座った。

(根岸附記)

 但し、蛇というものはどんなに小さい種や個体であっても、女性の膣(ちつ)より奧へは這い入ることは出来ない、と別な御仁より聴いている。以上はその御仁に言わせれば、とんでもない虚言であるとのことである。

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