耳囊 卷之九 頭痛の神の事
頭痛の神の事
淺草田甫(たんぼ)幸龍寺といふ寺に、柏原明神といふ神社あり。頭痛を憂(うれへ)る者是をいのるに、其祈願不叶(かなはざる)事なし。御徒(おかち)を勤(つとむ)る某(なにがし)、頭痛を憂ふる事多年なり。或日强く起りて惱みける折節、知音(ちいん)の者來りて、頭痛には右の神社へ祈願すべし、御身かくなやみぬれば、參詣はなるまじ、我等代參して願ひをかくべき間、信心あれと、さとして立出(たちいで)けるが、頭痛を憂ふるおの子、絶(たえ)がたさに枕をとりて轉寐(まろね)なしけるが、思わず眠りしに、小猿二疋來りて頭痛を打(うち)もみなどせし、其心もちよき事いふ斗(ばかり)なしと、夢に思ひしが、頭痛全快して目覺(めざめ)ける頃、彼(かの)代參を賴みし男來りけるゆゑ、起出(おきいで)て其禮を述(のべ)ければ、厚く願かけぬれば快(こころよ)かるべしと云(いひ)し故、夢中の譯をかたりみるに、彼男大きに驚き、不思議なるかな、是までは我等も心付(こころづか)ざりしが、社頭に夥數(おびただしき)猿の額有(あれ)ば、全(まつたく)神使(しんし)の來りて御身の病(やまひ)をいやせしならんと、俱に驚嘆なしけるとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。
・「幸龍寺」底本鈴木氏注に、『もと湯島にあったが、寛永年間浅草へ移った。日蓮宗』とあり、岩波版長谷川氏注も、『妙祐山。日蓮宗。浅草寺の西』とする。ところが調べて見ても、現在、浅草寺の西方にはこんな寺はない。プラニクス株式会社製作になる東京都の寺社案内サイト「猫のあしあと」のこちらに、世田谷区北烏山にある日蓮宗寺院として幸龍寺があり、『妙祐山と号し、玄龍院日春上人によって、徳川家康の祖母正心院殿日幸の帰依により、浜松城外に開山』したが、後、『徳川家康の江戸入府に従い』、天正一九(一五九一)年、『湯島へ移転、後浅草へ再転』したとあり、『江戸時代には百五十石の寺領を拝領した御朱印寺』(御朱印の発行を幕府から公認されていた寺をいうか)『で、谷中宗林寺、本所法恩寺とともに京本国寺末触頭を勤めたほか』、八つの『塔頭を擁し、江戸十祖師』(江戸にある十ヶ寺の日蓮宗寺院を参拝することにより祖師日蓮の御利益にあずかろうとする民間信仰及び当該の寺を指す。江戸時代は盛んであったが、現在は大掛かりには行われていない、とウィキの「江戸十大祖師」にある)『の一つ』でもあったが、『関東大震災で焼失』した後、昭和二(一九二七)年に当地へ移転したとある。ここに出るように、通称を「たんぼの幸龍寺」と称する。これは昔、浅草寺裏の一帯には水田が広がっており、これを「浅草田甫」と称していたことに由来する(最後の部分は個人サイト「古今宗教研究所」の同寺の記載に拠った)。
・「柏原明神」上記の「古今宗教研究所」の同寺の記載に、『山門をくぐると、右手に柏原大明神と清正公大神祇(加藤清正)を祀るお堂がある。柏原大明神は、江戸時代、頭痛に霊験があるとして信仰を集めたという』とまさに本話柄の事実を裏打ちする記述があって、世田谷区北烏山の当寺内に今も現存していることが分かる。これは清正が頭痛持ちであったというのではあるまい。所謂、虎退治をした剛勇なれば、その御霊信仰から、頭痛を齎す疫病神を退治するというコンセプトであろうと思われる。
・「御徒」幕府・諸藩ともに御目見得以下で騎馬を許されぬ軽輩の武士を指す。
・「猿」知られた日蓮の松葉ケ谷法難の際、日蓮を助けたという白猿伝説は有名。しかもここに祀られてある加藤清正の墓所は現在の熊本市花園にある発星山(ほっしょうざん)本妙寺にあり、清正が日蓮宗を信仰していたことも分かる。また、ウィキの「加藤清正」の「逸話」によれば、清正は猿を飼っていたという記載も見出せる。以下に引く。『晩年は豊臣家への恩義と自家の徳川政権での存続に心を悩ませた。そのためか、論語に朱で書き込みをして読み込むほどであった。徳川と豊臣の雲行きが怪しいなか、大坂からの船旅の中、清正の飼っていた猿が真似をして彼の論語の本に朱筆で落書きをしたのを見て「お前も聖人の教えが知りたいか」と嘆じたという』。猿は神の使いであると同時に、清正の家来でもあったわけで、目から鱗である。
■やぶちゃん現代語訳
頭痛の神の事
浅草田圃(あさくさたんぼ)の幸龍寺と申す寺に、加藤清正公を祀る柏原明神(かしはらみょうじん)と申す神社の御座る。
頭痛に憂えておる者は、ここに祈らば、その祈願、これ、叶わざることはない。
さる御徒(おかち)を勤むるところの男が、これ、常日頃より頭痛に悩まされて御座った。
ある日のこと、普段に増して激しき頭痛の起って、苦しんで御座ったところに、たまたま、知音(ちいん)の者が訪ねて参った。そうして、かの男の苦しみようを見かね、
「――頭痛には、かの神社へ祈願致すに若くはないぞ!……されど……貴殿、今日の様子にては……これ、参詣出来そうにも、ないのぅ。……されば一つ、我らが、代参致いて、これ、願(がん)をかけて参ろうぞ! なればこそ、ここにて、かの明神さまを心にて信心なされよ。」
と諭したによって、頭痛持ちの男は、この知音に頼み、柏原明神へと向かって貰(もろ)うたと申す。
それから暫く致いて、頭痛に苦しんだるその男は、これ、あまりに痛さに耐えかねて、枕をとって横になって御座ったところ、痛さもあったれど、あまりの心痛に心気も疲れたものか、そのまま、うとうとと、眠りに落ちた。
……と……
……その夢に……
……小猿の二疋参って……
……男の頭の痛むところを……
……これ……しきりに……うち揉む……
……『……いやぁ……なんとも……まぁ……よき心持ちじゃ!……』……
と夢心地にも思うて御座ったところが……
――ぱっと
――眼(めえ)が醒めた。醒めたと思うたところが――あれだけしつこき頭痛の――これ――すっかりすっきり――消えて御座ったと申す。……
ちょうど、そこへ、かの代参を頼んだる男が帰って参ったによって、やおら起き出だいて、
「いや! すっかりようなって御座る!」
と、礼を述べた。知音は、
「厚うに祈願致いて参ったによって、さぞ、快うなったことで御座ろう!」
と悦んだ。
さてもそこで、先ほどの猿の夢に就きて、この知音に話しを致いたところが、それを聴くや、知音、これ、大きに驚き、
「……そ、それは!……不思議なることじゃ!……実は、の! 我らもこれまで気がつかなんだが……今日、祈願致しつつ、ふと、お社(やしろ)を見上げてみたところが……社頭には夥しき猿を描いた額絵が、これ、飾って御座ったじゃ!……これは、全く……神の御使(みつか)いが、ここへと参り、貴殿が病いを癒いたに相違あるまい!!……」
と申したによって、二人ともに驚嘆致すこと頻りで御座った、という。
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