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2015/01/10

耳嚢 巻之九 不思議に神像を得し事

 不思議に神像を得し事

 

 武州府中に西念寺といへる寺院あり。同所國分寺の末院にありけるや、當住職は本所羅漢寺の隱居にて、西念寺へ請招せしや當時住職せし由。羅漢寺を隱居の後、右寺より拾町餘りも隔(へだた)りし場所に庵室(あんじつ)ありし故、右庵に二三年も住居(すまゐ)せしが、西念寺住職後文化五辰年の六七月の頃、夢に右庵持佛堂の内に大神宮の神像あり。右像を此所(このところ)へ持來(もちきた)りて安置可致(いたすべし)と見しが、取用(とりもちふ)べきにもあらずと其儘に成(な)し置(おき)しに、引續(ひきつづき)同樣の夢を見し故、もしや神の告(つげ)給ふ所無相違(さうゐなき)やと彼(かの)庵室に至り案内を申入(まうしいれ)けるに、山の手より尋來(たづねきた)り給ふ人にや、こなたへ入らせ給へと答へける故、我等は御身に尋(たづぬ)べき事ありて來れり、當所に大神宮の神像有之哉(これあるや)と尋ければ、されば其事にて御身の尋給ふを待居(まちゐ)たりと云ふ故、大きに驚きて、我はかくかくの夢を打續(うちつづき)見し故、もしおん心當り有(あり)やとまかりし旨申(まうし)ければ、彼者も此程打續御身尋來らば右像を可讓(ゆづるべし)との告なりとて、右の木像を取出(とりいだ)し與へける故、懷中の南鐐銀(なんりやうぎん)を取出し、報恩にもあらざれども聊(いささか)是を佛前へ奉納と申(まうし)ければ、神佛の告にて讓り申上(まうすうへ)は何歟(か)禮謝に及ぶべきと斷(ことわり)、不請(うけざれ)ども、左にあらず、行脚の路費(ろひ)たし合(あひ)にもなし給へと、せちに申越(まうしこし)てあたへ持歸(もちかへ)り安置なせしを、其土老(どらう)の案内にて、我知れる小野某まのあたり見しに、甚だ古く、岩屈(ぐわんくつ)の間(あいだ)束帶にてたち給ふ銅像の由、右小野氏語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特にないが、やはり神仏像の霊験譚で噂話の流水感が心地よく、また、夢が重要な契機となる点では、三つ前の「夢に見て關羽の像を得し事」と連関する。

・「西念寺」底本の鈴木氏注に、『不詳。府中附近には同名寺院を見ない。大日本寺院始真によれば、元八王子村に時宗の西念寺があるが、昭和三十八年発行の宗教法人名簿には記載がない。また小金井市に本願寺派の西念寺があるが、羅漢寺の末寺とするといずれも宗旨違い』とある。

・「羅漢寺」底本の鈴木氏注に、『黄檗宗。もと本所五つ目通り大島村にあった。いま下目黒三丁目。宗教法人名簿では独立寺院となっている。(なお国分寺は新義真言宗)』とある。私は大学二年から三年の間、目黒区東山に下宿していたので、この寺は馴染み深い。五百羅漢の中のおどろおどろしい貘像が大好きで、何度も夕暮れに見に行ったものである。

・「拾町」約一・一キロメートル。

・「文化五辰年」西暦一八〇八年。「卷之九」の執筆推定下限は文化六年夏。ホットな噂話である。

・「大神宮」天照大神(あまてらすおおみかみ)。言わずもがな、当時は神仏習合である。

・「南鐐銀」南鐐二朱銀のこと。以下に記す通り、一両の八分の一。『江戸時代に流通した銀貨の一種で、初期に発行された良質の二朱銀を指す。形状は長方形で、表面には「以南鐐八片換小判一兩」と明記されている。「南鐐」とは「南挺」とも呼ばれ、良質の灰吹銀、すなわち純銀という意味であり、実際に南鐐二朱銀の純度は』九十八パーセントと『当時としては極めて高いものであった』。明和九(一七七二)年、『田沼意次の命を受けた勘定奉行の川井久敬の建策により創鋳される。寛政の改革時に一旦鋳造禁止されたが、程なく発行』再開されている(以上、ウィキの「南鐐二朱銀」を参照した)。

・「報恩」特に仏家では、仏や祖師などの恩に報いるために法事などを行うことをかく言うが、ここは本来の恩返し、謝礼の意である。

・「小野某」小野姓の人物は以前にも出るが「某」と濁した人物はない。

・「岩屈」底本には「屈」の右に『(窟)』と訂正注する。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 不思議に神像を得たる事

 

 武蔵国府中に西念寺と申す寺院がある。同所国分寺の末院ででもあったものか、当住職は、これ、本所にある羅漢寺元住持で御座られた隠居で、西念寺へ招聘せられたものか、当時は、その西念寺の住職を致いて御座られた由。

 羅漢寺を隠居の後、かの寺より十町あまりも隔たった場所に庵室(あんじつ)のあって、その庵に二、三年も住まいなさっておられたとか申す。

 さてもその後(ご)、西念寺の住持となられて後(のち)、文化五年辰年の六、七月の頃合い、

「……かの貴僧がおられたる庵(いおり)の……持仏堂の内に……大神宮(だいじんぐう)の神像……これ……ある……この像を……この西念寺へ持ち来たって……安置致さるるように……」

という、声のみが響き渡る夢をがご覧になられた。

 されど、流石に夢のことなれば、

「……まず……どうこうすること、これ、憚らるることか。……」

と、そのままに、うちやっておられた。

 ところが、それからも、引き続き、毎日のように、同じ様なる夢を、これ、ご覧になられたによって、

「……これは……もしや……まっこと、神のお告げになられておらるるに……そうじゃ! これ! 相違あるまい!」

と、お思いになられ、遂に意を決せられ、かの旧知の庵室(あんじつ)へと参って、案内(あない)を乞われたところ、

「――山の手より尋ね来られたるお人では御座いませぬか?――どうぞ! どうぞ! こなたへお入りなされませ――」

と相手があたかも自分の来るのを既にして知っておるように答えたによって、不審に思いつつも、

「……実は拙僧、御身にお訊ね致したきことの御座って参った。こちらに大神宮天照大神(あまてらすおおみかみ)の神像――これ――あらせらるるか?」

と訊ねたところが、庵主(あんじゅ)は、

「――されば! まさにそのことにて、御身のお尋ね下さるるを心待ちに待っておりましたのじゃ。」

と応えたによって、大きに驚き、

「……拙僧、かくかくの夢をうち続きに見申したによって……もしや、こちらにお心当たりの儀、これあるやなしやと、かくも罷り越したる次第……」

といったことを申し述べたところ、かの庵主も、

「――我ら儀も、このほど、うち続いて、『……御身の訪ね来たらば……この像を譲るように……』との夢の告げを、日々受けて御座いました……」

と申しつつ、その大神宮の木像を取り出だし、かの僧へとさし出だいた。

 されば、西念寺住持、懐中致いて御座った南鐐銀(なんりょうぎん)一枚を取り出だし、

「……これは、その……報恩……いや、謝礼と申すほどのものにては御座らねど……いささかでは御座いまするが……一つ、当庵の仏前への奉納となしたく、存じまする……」

と、さし出だいた。

 しかし庵主は、

「――神仏のお告げによって、譲るべき方へと譲り申した上は、何をか、謝礼に及ぶべきことの御座いましょうや。」

と断って、受けようとは致さなんだ。そこで住持は、

「――さにあらず。憚り乍ら、僅かでは御座るが、御貴殿の、これよりの行脚(あんぎゃ)路銀の、足し加えにも、なして下さるれば本望。」

と、切(せち)に言い説いて受け取らせた上、大神宮の尊像を西念寺へと持ち帰って安置申し上げられたと申す。

 

 私の知れる小野某(なにがし)殿が、かの府中の地の古老の案内(あない)にて、目の当たりに、その大神宮の尊像を見て御座ったが、はなはだ古いものにして、まさに天の岩戸の如き、岩窟の間に衣冠束帯の出で立ちにて、お立ち遊ばされておらるるところの、銅製の、神々しき像で御座った由。その小野氏当人よりの聞き書きで御座る。

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