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2015/01/21

耳嚢 巻之九 痘瘡咽に多く生し時呪の事

 痘瘡咽に多く生し時呪の事

 

 痘瘡咽(のど)に多く生じぬれば、小兒乳を飮(のみ)、又は食事等に難儀をなすとき、字津(うつ)の屋の十團子に を黑燒にして用(もちふ)れば、奇妙に食乳(しよくにゆう)を通ずと、小田切かたりけるなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:民間伝承記録で連関。民間療法・呪(まじな)いシリーズ。

・「疱瘡」天然痘。既注

・「字津の屋の十團子」「駿河の字津谷峠の茶店で売っていた名物団子。一串に小粒の団子十箇をさしてあった』とあり、岩波版の長谷川氏注には、『静岡県宇津ノ谷。東海道の岡部宿と丸子宿の間に位置し、豆粒ほどの団子を麻糸で十づつ貫いた十団子が名物』とある。宇津ノ谷(うつのや)峠は静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町岡部坂下の境にある峠で、中世以来の東海道の要衝として和歌にも詠まれ、現在も国道一号線が通る。標高は百七十メートル。しかし大事なのは、これは食べるものではなく、お守りであるという点である。その辺を二人の注釈は落している。分かり切ったことだったからなのか? しかしその結果として、全く「十団子」を知らない人間がこれを読んで注を見ても、「これって? 根岸のタイアップ広告?」などと勘違いをしてしまうことにもなるのである(事実、かつて初読時、私はまさにそう思って、いやな印象をずっと持っていた)。グラフィック・デザイナー溝口政子氏のサイト「le studio」の「宇津ノ谷の十団子」が画像も豊富で、独特の団子の形状――これが食べるものではなくお守りであること――もよく分かる。しかし今度は、何故、この団子にこの小児の天然痘のこの咽喉に特化した箇所に呪いとしての治療効果があるのかが気になってくる。そこでこの「十団子」のお守りの由来を調べて見たところ、非常に興味深い事実が分かってきたのである。それは実は、頑是ない童子が食人鬼と化したという、如何にも私好みの哀しい怪異譚が元だからである。その伝承は「藤枝市郷土博物館・文学館」公式サイト内の食人鬼供養の十団子に詳しくその文章も相応に長いであるが、それ自体が『岡部のむかし話」(平成10年・旧岡部町教育委員会発行)より転載』とあり、私としてはどうしても引く必要性を感じさせるものでもあり、以下に例外的に全文を引用させて戴く。

   《引用開始》

いつ頃のことだったのか宇津ノ谷峠の北側に深い谷があり、その下に梅林院というお寺があった。そこの住職は原因不明の難病にかかり、その痛みがとてもがまんできず、仕方なしに時々小僧にその血膿(ちうみ)を吸い出してもらっていた。血膿を吸ってもらうとしばらくは痛みも止まったのである。

ところがこの小僧、血膿を吸うことが重なって自然に人肉の味を覚えてしまい、ついに人を食べる鬼となってしまった。そうしてこの峠を住居として住み、峠を行き来する旅人を捕えてたべたりして困らせた。そのためにこの峠はおそれられて人が通らなくなり、宿場もさびれてしまった。どのくらい年代が過ぎた時のことだろうか、京都の在原業平(ありはらのなりひら)が時の天皇の命令で東国(とうごく)へ出かけ、この峠(蔦の細道)へさしかかるにあたって地蔵菩薩に祈願をした。

「今駿河の宇津ノ谷に峠に鬼神がいて村人たちを悩まし、通路も絶えてしまった。どうか、菩薩の神通力(じんつうりき)で村人の苦難を救って欲しい。」すると菩薩は旅の僧となってたちまち消えた。

それからしばらくたって一人の旅の僧が宇津ノ谷峠にさしかかった。その僧の前にかわいらしい子供があらわれたので、僧はこのただならぬ子供をじっと見つめた。そうして子供に話しかけたら、子供は

「私は祥白童子(しょうはくどうじ)というものです。あなたこそこの夕方どこにお出かけですか」

と。僧はすかさず、

「お前は、祥白童子などとはまっかなうそ、この村人や通行の旅人を食(く)い殺す鬼だろう。わしはお前を迷いから救うためにやってきたのだ。早く正体をあらわせ」

と大声でさけんだ。

怒りをふくんだ僧の一声は静かな山々にこだました。この一声に子供の姿は消えて、見るもおそろしい六メートルあまりの大鬼が目を光らし、今にもとびかからんばかりだった。僧は少しもあわてずに言った。

「なる程お前は神通力(じんつうりき)が自由自在だな。わしはもうお前にたべられてもしかたがない。しかし、死出(しで)の土産(みやげ)にお前のその力をもっと見せてくれないか」

鬼は得意になっていろいろな形に身をかえてみせた。僧はまた話しかけた。

「思い切り小さくなってわしの手の平の上に乗ることができるか」

得意になって鬼は一粒の小さい玉となって僧の手のひらに乗った。この時僧は持っていた杖で、手の平の玉を打った。すると不思議なことに空が急にくもり百雷が一時に落ちるような音がしたかと思うと、玉はくだけて十個の粒となった。

僧は、

「お前が将来里人を困らせることがないように迷いから救ってやろう」

と、一口にのみこんでしまった。

その後、この峠には鬼の姿があらわれなくなった。村人はもちろん旅人も大助かりをしたのである。

旅の僧が誰であったかは村人は知らない。ここのお地蔵様だろうと、お地蔵様の参けいはより盛んになった。

また、十の団子にわれた鬼のたたりを心配した村人は、玉を型どった十個の小さい団子を作って供養した。この供養は先の地蔵菩薩が夢の中のお告げで

「十団子を作ってわしに供え、固く信心してこれを食べれば旅も安全。願いごともうまくはかどる」

といったということからだという。

梅林院はいま桂島の谷川(やかわ)に移されて、院号も谷川山梅林院と言われ、十団子の伝えを残して居り、十団子は宇津ノ谷の慶竜寺のほうでつくっている。

   《引用終了》

ここで大事なことは二つ。一つは、この痘瘡神にダブる悪鬼がカニバリズムに陥って変じた童子であること。今一つは、地蔵菩薩の変じた僧が、その元童子の悪鬼を小さな粒のような団子(これは痘瘡の膿疱にすこぶる形状が似る対象物である点で類感的呪物であると考えてよかろう)に変えた上、呑み込む(咽喉と直連関)ことによって、迷妄が解けて悪鬼は消え去ってやすらかに往生する(治癒のイメージ)というシンボライズの重層性である。少なくとも私はここまで調べて初めて、「十団子」がここで呪物(まじもの)として登場し、相応の効果を持つということに、心底、納得出来たのである。だからこそ、私としても先の異例の全文引用が必要だったのだと御理解戴きたいのである。

・「 を黑燒にして」底本は二字分の空白で、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版でも空白(長谷川氏は三、四字分と注されておられる)である。総ての伝本がここを空白とすることはかなり不審である。不審の背後に特に何かを感じているという訳ではないが、やっぱり不審である。これは単に後で書こうとして忘れたといった感じではない。そもそもが、この黒焼きにした添加物だけを忘れるというのもおかしな話だと私は思うのである。実は確信犯で根岸は書かなかったのではないか? それは実は文字にはし難い、破廉恥なものだったのではないか? しかも当時、読む人の多くは「あれか!」と大方、分かったのではないか? だから空欄でも十分に意が伝わる記載だったのではないか?……などと関係妄想的に考えが広がってしまう……つまらないことが気になる……僕の、悪い癖――である。何か、お気づきの方は是非、御教授戴きたいものである。

・「小田切」「耳嚢 巻之四 怪刀の事 その二」及び「耳嚢 巻之五 蘇生の人の事」に登場する北町奉行小田切直年。リンク先の私の注を参照されたいが、この根岸の呼び捨てが、寧ろ逆に、根岸にとって彼がよきライバルにして知音でもあったことを伝えるように私には思われる。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 痘瘡(とうそう)にて膿疱(のうほう)の咽喉(のど)に多く発症したる際の呪(まじな)いの事

 

 痘瘡に罹患し、咽喉(のんど)の内側に膿疱(のうほう)が、これ、多く生ずると、小児は乳を飲んだり、食を摂ったりすること、これ、はなはだ困難となって、そのために滋養を摂ることの出来ずなって、衰弱し、死に至る虞れの増すこと、これ、ままある。

 このような折りには、知られた駿河は字津(うづ)の屋の例の「十(とを)団子」御守りに、×××を黒焼きにして、併せて服用さすれば、これ驚くばかりに食事や授乳、これ、進むように、なる――

とは、これ、盟友小田切の語っておったことで御座る。

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