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2015/01/09

耳嚢 巻之九 夢に見て關羽の像を得事

 夢に見て關羽の像を得事

 

 近き頃番頭勤(つとめ)し坪内美濃守内分(うちわけ)ケの坪内嘉兵衞と云る男ありしが、いかなる事にや、蜀の關羽の像を需度(もとめたし)と人にも語り、其身も尋(たづね)しが、或夜の夢に、小日向(こびなた)邊の道にて右像を拾ひしと夢見たりしが、取用(とりもち)ひもせで日數へしに、或日小日向中の橋邊を通りて、先頃夢見しはか樣成(やうなる)所なりしと其邊へ眼を配りけるに、塵埃(じんあい)の内に何歟(か)所々缺け損ぜし人形ありしゆゑ、拾ひ歸りて水に淸め見しが、關羽の像にもあるべきと思はれけるゆゑ、物知る人に見せければ、損じあれども容貌衣紋(えもん)關羽の像に疑ひなしといふゆゑ、段々莊嚴(しやうごん)等なして全備(まつたきそなへ)の像に成りしを、我許へ來れる人、まのあたり見しと語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:夢が重要な意味を持つ点で直連関。都市伝説としてもスムースに繋がる。ここにも底本の鈴木注は三村翁の注を長く引用する。全条同様に恣意的に正字化して当該部を示す。

   *

寫本阿漕雲雀、古人朝山善右衞門、今より三代之祖、名は元嵩、俳名漕浦と云、此翁が語りしは、我壯年之比、或夜の夢に、とある古道具の店に古き刀あり、見るに正宗の銘あり、さて何となく打過しに、再び三度みる事始にかはらず、不思議のまゝ、井野淸左衞門に語り試るに、世に靈夢といひ、正夢と云事あり、疑べきに非ず、試に尋べしと云に、さらばと、ともに出たつに、そも方角はいづくをさすべきと云、夢心に北の方と思ふと云に、先岩田橋より北を搜し求るに、似たるものもあらず、夫より橋商うら町、津中殘りなく家々覗歩けども、見當らず、さらば北を見せとて、部田に到るに、ある家、店のつき夢心に似たりとて、入りて見るに、果して刀かけにある古鞘の刀、恰好似たりとて、主に問へば、これ正宗にて候といふにぞ、先づ胸おどり嬉しき事限りなし、乞ひ取て中子を見るに、實にも正宗と銘あり、何とてかく打すてあるぞといへば、これ相州正宗にては侍らず、達磨正宗なれば、さして人賞翫せず、年久敷持傳へて侍りと云、何まれ靈夢感應の物なりとて、價を不論買得、鍳刀家に質すに、達磨正宗正眞なるよし也、いかなる因緣ありて、あまたゝび夢にも見えて、我が手に落たり、不可思議の事ならずや、といひき。

   *

これに続けて、鈴木氏は『關羽像を夢に見て拾う話は、巻五関羽の像奇談の事も同様。靈像感得の紋切り型ともいえるが、仏像でなく関羽なのが近世的である』と評されている。この「巻五 關羽の像奇談の事」は、かなりシチュエーションは異なるものの、何より、主人公の名が「坪内善兵衞」で、本話の「坪内嘉兵衞」と偶然とは思えぬほどにクリソツなれば、これはもう、類話ではなく、全くの同源話のヴァリエーションでしかないと断言出来る。まあ、前の話よりは有意に違う。しかし、面白うない。

・「坪内美濃守」底本の鈴木氏注に、『定系(サダツグ)。寛政五年小普請組支配より御小性組番頭、従五位下美濃守。同八年没、五十五』とある。下野壬生藩第三代藩主・壬生藩鳥居家第七代の鳥居忠意だおき 享保二(一七一七寛政六(一七九四)ウィキのデータ中に、次男と思しい位置に坪内定系の名を見出せる。継嗣(忠意の長男は早世、世子は四男に飛んでいる)から見ると側室の子であったか。
 
・「内分ケ」「巻五 關羽の像奇談の事」では「御朱印の内へ御書加(かきくは)への同苗(どうめう)家來」とある。これは恐らく江戸時代の武家(特に大名・旗本)の公的な分家形態の一つである「内分分知」(ないぶんぶんち)の、私的なケースであろう。内分分知は分家の創設の際に、主君から与えられた領知の表高を減らすことなく、新規に分家を興す形態を指す。ウィキの「内分分知」によると、公的なものは(アラビア数字を漢数字に代えた)、『本来、新規に分家を創出するには本家の領知を分知し、表高を減じて行われてきたが、分知の結果、大名で表高一万石を下回ると旗本に、旗本(寄合)で表高三千石を下回ると小普請役に家格を低下させることになる。家格低下は、軍役や役職就任に大きく影響するため、本家の領知内で分家に分知する形態が考案された』。『内分分知によって創出された分家は本家に強く依存し、家督相続、婚姻、嫡子嗣立など家庭内での事柄のみならず、幕府内での役職就任などにも影響を持つ。また、本家は内分分家を親族として自家内に留めることになり、しばしば、内分分家当主が本家当主の代理の立場をとる場合があった』とあるものの、広く武家に於いて、專ら継嗣の予備や、文字通りの表向きの名の名誉を目指したような、家来に与えることが許されたところのプライベートな改姓仕儀ではなかろうか。実際、この主人公、どう見ても、そんなに地位が高いようには見えぬ。

・「需度(もとめたし)」は底本のルビ。

・「小日向中の橋」岩波版長谷川氏注に、『文京区水道一丁目と新宿区新小石川二丁目を結ぶ橋』とある。神田川(旧江戸川)に架橋。現存。

・「全備(まつたきそなへ)」は私の全くの趣向から訓じた。「ぜんび」では如何にも響きが荘厳でない。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 関羽の像を拾う夢を見て、実際に関羽の像を拾い得たという事

 

 最近のことである。

 番頭を勤めておられた坪内美濃守殿の内分(うちわ)けの御家来衆に、坪内嘉兵衛と名乗る男があった。

 何の趣味か酔狂かは存ぜねど、蜀の名将関羽の像を何としても手に入れたいと人にも語り、自身もあちこちを訪ね歩いて捜してはみたものの、なかなか入手出来ずにおった。

 ところがある夜(よ)の夢に、

……嘉兵衛……

……どうも小日向(こびなた)辺りの道を歩いておる……

……すると……

……かの関羽像の像が落ちておる……

……それを拾うた……と思うた――と――

 そこで、夢が醒めた。

 嘉兵衛は、日々求めあぐんでおることなれば、たわいないなき己れが望みの夢に出たものと、これといって気にすることもなく、数日が経ったと申す。

 ところが、そんなある日のこと、用事のあって、たまたま小日向(こびなた)の中ノ橋辺りを通った。と、

「……そういえば……先んだって夢に見たは、かようなる場所であったが。……」

と、夢の景色を思い出したによって、その辺りへ眼を配って御座ったところが、川っ端(ぱた)の塵埃(じんあい)の積もる中に、これ、何やらん、ところどころ、欠け損じたる人形のようなるものがあったによって、拾うて帰り、水で洗い清め、つくづく眺めてみたところが、

「……こ、これは! 関羽の像にては、あ、あるまいかッ?!……」

と思われた。

 されば、物知れる知人のもとへ急き持ち行き、見せてみたところが、

「……多少の損じはあれども――容貌や衣紋(えもん)――これ、関羽の像に疑い御座らぬ。」

と太鼓判を貰(もろ)うたによって、欠け損じたるところを直し、また、衣服の剝げをも塗り、持ち物や台座に至るまで、これ、自ずと調え、荘厳(しょうごん)など成し、遂には、全き備えの、偉丈夫関羽像と成し上げたと申す。

 私のもとへ来たれる、さる御仁が、目の当たりにその立派なる関羽像を嘉兵衛本人に見せて貰(もろ)うたと語って御座った。

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