澄江堂遺珠 本文Ⅱ
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梨花を盛る一村の風景暗し
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何かはふとも口ごもりし
えやは忘れむ入日空
せんすべなげに仰ぎつつ
何かはふとも口ごもりし
「思ふはとほき人の上」
船のサロンにただひとり
玫瑰の茶を畷りつつ
ふとつぶやきし寂しさは
[やぶちゃん注:「玫瑰」音は「まいくわい(まいかい)」訓じて「はまなす」と読むが、孰れとも考え得る。歌柄が芥川の中国行の際のイメージを思わせ、その場合は寧ろ、音「マイクワイ(マイカイ)」或いは中国音を音写した「メイクイ」の可能性が高いと思うからである(後者については芥川龍之介の「江南游記」の「六 西湖(一)」に『私は玫瑰(メイクイ)のはいつた茶碗を前に、ぼんやり頰杖をついた儘、ちよいと蔭甫(いんぽ)先生を輕蔑した』と出るからである。リンク先は孰れも私の注釈附テクスト)。中国原産のバラ亜綱バラ目バラ科バラ属ハマナス
Rosa rugosa は、あちらでは普通に花を乾燥させて茶や酒の香料とする。中国音「méigui」。]
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畫舫にひとをおもほへば
たがすて行きし薔薇の花
白きばかりぞうつつなる
[やぶちゃん注:「畫舫」は「ぐわばう(がぼう)」と読み、絵を描いたり、極彩色を施したりした中国の遊覧船をいう。中国音「huàfǎng」。]
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畫舫はゆるる水明り
はるけき人をおもほへば
わがかかぶれるヘルメツト
白きばかりぞうつつなる
右の一章の上欄には横書にて
Sois belle, sois triste. ト云フ
(美しかれ、悲しかれ)(?)と記入しあり。
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はるけき人を思ひつつ
わが急がする驢馬の上
穗麥がくれに朝燒けし
ひがしの空ぞ忘られね
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古き都は靑々と
穗麥ばかりぞ
なびきたる
朝燒け
[やぶちゃん注:底本では「なびきたる」で改頁となっており、その間に以下の蘇州の北寺の塔の前で撮られた驢馬に跨る芥川龍之介の写真が入る。撮影者は不詳であるが、恐らく案内者であった島津四十起(しまづよしき 明治四(一八七一)年~昭和二三(一九四八)年:俳人・歌人。明治三三(一九〇〇)年から上海に住み、金風社という出版社を経営、大正二(一九一四)年には「上海案内」「支那在留邦人々名録」等を刊行する傍ら、自由律俳誌『華彫』の編集人を務めたりした。戦後は生地兵庫に帰った。)と考えられ、とすれば写真の著作権は満了している(違う撮影者若しくはその著作権継承者からの要請があれば以下の画像は取り下げる)。]