橋本多佳子句集「命終」 昭和三十一年 信濃の旅(Ⅰ)
橋本多佳子句集「命終」
[やぶちゃん注:昭和四〇(一九六五)年三月二十九日角川書店刊。「命終」は「みやうじゆう(みょうじゅう)」と読む(本句集第十三句目「この雪嶺わが命終に顕ちて来よ」の私の注を参照されたい)。第五句集にして遺句集。橋本多佳子はこの二年前の昭和三八(一九六三)年五月二十九日、肝臓癌と胆嚢癌及び周囲淋巴腺部への転移により午前零時五十一分に死去している。昭和三一(一九五六)年五月から同三十八年三月(多佳子五十七歳~六十四歳)までの作品七百四十一句を収録する。序文と題字は山口誓子、あとがきは橋本美代子。誓子・美代子の序文は著作権存続中のため、省略する。]
昭和三十一年
信濃の旅
八ケ嶽高原
花しどみ老いしにあらず曇るなり
[やぶちゃん注:「花しどみ」バラ目バラ科サクラ亜科リンゴ連ボケ属 Chaenomeles ボケ Chaenomeles speciosa の近縁種で本邦固有種であるクサボケ(草木瓜)Chaenomeles japonica 。ボケは中国原産で観賞用に栽培されており自生はないのに対し、クサボケは本邦の本州関東地方以西・四国・九州に自生する。樹高は五十センチメートルほどで、『実や枝も小振り。本州や四国の日当たりの良い斜面などに分布。シドミ、ジナシとも呼ばれる。花は朱赤色だが、白い花のものを白花草ボケと呼ぶ場合もある。果実はボケやカリン同様に良い香りを放ち、果実酒の材料として人気がある。減少傾向にある』とウィキの「ボケ」にあり、この場合、特に多佳子が「花」を冠しているところをみると、この白い花の『白花草ボケ』なのかも知れないとも思ったが、とすれば二句後の「草木瓜は紅きがゆゑに狐寄らず」を差別化せずに出すことは考え難い。やはりこれも紅い花であろうと思われる。因みにグーグル画像検索「Chaenomeles
japonica」の中に桃色のものや白化したものが少し見られる(但し、これが Chaenomeles japonica 白色花タイプである保証はない。必ず当該頁を開いて確認されたい。例えば、最初にピンク色で出るものは、そのページに「Chaenomeles japonica Madame
Butterfly 」とキャプションする。]
入りゆくや落葉松(からまつ)未知の青籠めて
草木瓜は紅きがゆゑに狐寄らず
旅ゆく肩落葉松の風草の風
背を凭せて風がひびける芽落葉松
五月白き八ケ嶽(やつ)聳つを日常にて
天界に雪溪として尾をわかつ
双眼鏡天上界に白嶺混み
双眼鏡いつぱいの白嶽にて遠し
伊藤淳子さん
欲れば手に五月の雪嶺母の傍(そば)
[やぶちゃん注:「伊藤淳子」不詳。しかしこれ、「伊藤」は「伊東」の誤りで、前出の諏訪の伊東総子の娘か孫ではなかろうか? そう私が思う理由は、後の「この雪嶺わが命終に顕ちて来よ」の私の注を参照されたい。]
孤(ひと)つ身のいよよ孤つに白穂高
五月白嶺恋ひ近づけば嶺も寄る
この雪嶺わが命終に顕ちて来よ
[やぶちゃん注:「命終」は「みやうじゆう(みょうじゅう)」と読む。底本年譜の昭和三一(一九五六)年五月の条に、『二十日、長野県「七曜」俳句大会に誓子と出席』し、その『大会の帰途、伊東総子の案内で、誓子と八ヶ岳に遊ぶ』とある(下線やぶちゃん)。年譜にも、多佳子の死後の遺句集「命終」の書名の由来となるとする本句が引かれており、そこにははっきりと「みやうじゆう」のルビが振られているからである。さらに『句帳に、「五月雪嶺に涙する」と前書がある』と記す。「顕ちて」は「たちて」と読む(これも同年譜にルビがある)。目前にかつて見たものの記憶が鮮やかに蘇る(他にも、季節の気配などがたち現われる或いはそうした雰囲気が濃厚に漂ってくるといった意味も持つ。いずれにせよ、一種の歌語で日常的な語彙とは言い難い)謂いである。]