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2015/01/11

耳嚢 巻之九 蝦夷の俗男女掟の事

 蝦夷の俗男女掟の事

 

 蝦夷の俗、男一人にて女四五人を妻妾になすあり。夫妻の約をなせば、イシマと唱(となへ)候紐を以(もつ)て腰の所を結(ゆ)ふ由。言名付(いひなづけ)あれば、幼女にても右紐にて腰を結べば、奸淫等を男吟味なす時も、右紐を不解(とかざる)をもつて誓ひとなすよし。若(もし)男より頻りに申(まうし)かけ女も得心なれば、右紐を解(とき)てわたし、本夫吟味の節、かくかくの事にて他の男に隨ふ由語りぬれば、本夫密夫を捕へ、罰銀錢を以て償ふ由。償ふ事ならざるは、何とか云ふ小さき棒を以(もつて)敲(たたき)候定例(じやうれい)の由。且出生(しゆつしゃう)の小兒、寒中にも單物(ひとへ)ひとつにて、平日は丸裸にて肌に負ひあるく由。暴風に不堪(たへざる)故や、小兒育生希也(まれなり)。しかれども、身をかく習はせざれば用に不立(たたざる)故の事の由、川尻肥州物語りなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。前半の「イシマ」は、一種の愛する男女の相手への信頼関係(それは他の男を愛した場合に於いてでも成立しているところが凄いと私は思う。相手を騙すことが当たりまえの現代にあって私はこれは凄いことだと思うのである。これこそ神への素朴な畏敬に基づく良心の現われであるからである)で成立するところの半ばは精神的な、文字通り、貞操「帯」である。なお、六つ後にやや内容が詳しい「イシマの事」が重出するが、これだけ近いと、根岸がこの「イシマ」の風習にいたく興味を持ち(かくいう私も実は感動した)、ダブりを厭わず、再記録をなしたと見るべきか。

・「イシマ」ウィキの「貞操帯 (アイヌ)」によれば、アイヌ語では「ポンクッ」(小さな帯)・「ウプソルクッ/ウプショルクッ」(肌帯)・「ラウンクッ」(懐帯)などと呼ばれる(クッは帯の意)とある。以下、全面的に引用させて戴く(下線部やぶちゃん)。これらは、『かつてアイヌの成人女性が下腹部に装着していたひも状の装身具、あるいはお守り』で、『イラクサやツルウメモドキの樹皮を雪の上に晒して取った繊維で編んだ紐で、端が』三~八本の『房状に分かれており、房の先には黒い布片を下げる場合もある初潮を迎えた女性、あるいは結婚を控えた女性は一人前の女になった印としてこの貞操帯を腰の周りに締める。この貞操帯を常に締めることで貞淑な女との証しが立ち、同時に神々の加護を得られるとされた』。『形状は締め方はその女性が属する女系によって千差万別である。そのためアイヌの貞操帯は、女系の家紋としての意味合いも果たす』。『アイヌの貞操帯はヨーロッパの貞操帯と異なり、物理的な意味で女性の「貞操」を保つ効果は無く、着脱も完全に女性本人の自由である。しかし女性が自身の貞操観念の証しとして締める精神的な意味での貞操帯である。更科源蔵や知里真志保は自身の著作物でこの装身具を「貞操帯」と表現しているが、ヨーロッパの貞操帯とは概念が全く異なるため、誤解を避ける為に「守り紐」「腰紐」などの表記を取る日本語文献も多い』。『アイヌの貞操帯は、同じ女系の女性のみの装身具である。本人か母親、母方の祖母、母方のおばが制作した貞操帯でなくては身に着けられない。この貞操帯を同じくする女系を「シネウプソル」という』。『結婚後に姑と同じ形状の貞操帯を締めることはせず、必ず実家の母親と同じ貞操帯の形状を貫き、娘が生まれれば彼女にシネウプソルを継いでいく。娘のいない女性は息子の嫁に自身のシネウプソルと同じ形状の貞操帯を継ぐよう頼み込む例もあるが、嫁は表向きには姑の女系の貞操帯を受け入れつつも、実際には実家の貞操帯を用いる』。『女性の死者を葬る場合は、シネウプソルに類する女性が死者の貞操帯その他、死に装束を着させる。従って、嫁は姑の葬儀には関知しない。自身の女系の正しい貞操帯を身に着けて葬られた女は、死後に来世で母親に』。逢えるとされる。『婿の母親と嫁のシネウプソルが同じ組み合わせの結婚は近親婚とされ、禁じられている。タブーを犯せば、子が生まれなかったり、障害児が生まれると』考えられた。『アイヌの貞操帯は、貞淑な女性として身の証しを立てる象徴である。これを締めていなければ神に対する不敬とされ、神を拝んだりカムイプヤラ』(チセ《アイヌの伝統的な住居建築で掘立柱を地面に直に立て、柱と梁を組んで屋根を支えた寄棟造。建築材は木材と茅。》の一番奥に設けられた神聖な窓でカムイ(神)のみが出入りする)『に近づいたりできない。さらにアペフチ(火の女神)に失礼だとして火を焚けず、食事の支度もできない。また、狩りに出た夫の留守に貞操帯を外していれば、夫は猟運を失って不猟に見舞われるともいう』。『一方、常に身に着けていることで神の加護を得ることができる。コタン』(アイヌの「部落」)『に火事が迫ってきた折は、自身と同じく女性である火の女神に向けて貞操帯を振り回し、「女の帯ですよ神様。それに向かってくるのですか」と唱えることで火伏せをする』。『山中で野営する際、周囲に貞操帯を張り巡らしておくことで害獣の侵入を避けられる。また、ヒグマに遭遇した場合は素早く貞操帯を振り回し、以下のような呪文を唱える。

アイヌ語

メノコウプソロウ、メノコウプソロウ、メノコネネー。カッケマツクウプソロウネネー。メノコウプソロウ、カッケマツクウプソロウ、オウイカラカムイ。アイヌモシリカタ、パツクヌプルカムイ、イサンベネナ。エイチヤウレイシツク、エンロンノ。エンロンノチカラネコンヌプルカムイエネヤヤツカイ、エカシカムイワノ、エペタイサム、ナコンナ。

―日本語訳

これは女の懐にあるもので、火の神から授かった女の一番大事なものだ。女の大事な守り神で、これほど偉大な神様にはどこにもおらぬ。それが嘘だと思うならばこの俺を殺してみれ。いかにお前が偉くとも、魂が解けて消えるぞ。

火の女神と同じ貞操帯を持つ身であることを誇れば、熊でも退散するという。アイヌの伝承では「熊は蛇を嫌う」とされているため、細長い貞操帯を見た熊が蛇だと誤解して恐れるとも考えられる』。『また、どうしても勝たなければならないチャランケ(談判、裁判)に出る男は、妻の貞操帯を持って行く。貞操帯を振れば敵は悶絶し、波風も立たず丸く収まるという』。貞操帯の端は三本以上の『房状に分かれているが、位の高い女性が使用するものほど房の数が多くなり、最高は』八本とある。『そのため、「天上界の女神が地上に残した貞操帯が命を持ったものが、蛸である」との伝説がある』。『成長を経て貞操帯を身に締めた女性は、それを常に帯びていることが要求される。締めていない女性はだらしない女として非難の対象となり、嫁に出せば婚家から抗議される』。『アイヌ社会で姦通が発生した折は、男性が貞操帯を無理に外したか、女性が自ら外したかで強姦か和姦か判断する。貞操帯を締めていなければ女に落ち度があるとされ、事実上の強姦であっても男は罰せられない。しかし貞操帯を締めていた未婚女性や人妻と交わった男性は、一生にかかわるほどの制裁を受ける』。『なお、アイヌ社会において姦通を犯した者には、耳削ぎ、鼻削ぎ、あるいはアキレス腱切断の刑が執行される』。『貞操帯は決して他人に見せるものではない。男はもとより女に見せることも、話題にすることも憚られる。たとえ夫であっても外すには妻の許可がいる。また、山中で卒倒していた女を夫以外の男が介抱した際、蘇生した女は男に貞操帯を見られたものと理解し、男に正式な妻がいる場合でもその男の妻になる場合があったという』。『常時締めていることが要求される貞操帯だが、自身の出産の折は血のケガレを避ける為に貞操帯を外し、火の傍に近づかない夫が死んだ折はしばらく喪服で暮らすと共に、貞操帯を逆に締めるか新しく作り直す』。『村上島之丞の『蝦夷島奇観』には「女は腰に細き緒を六重結ぶ。いやしき者は三重結べり。成長の後もおなし」。との記載があり』、十八世紀半ばには『すでに貞操帯を締める風習があったことがうかがえる』。『しかし北海道の開拓の歴史と共に締める習慣もすたれ、昭和の中期には』八十歳代以上の女性のみが使用している状況だったとある。この下線部を総合すると、信義の中にあっては緊急避難としてこの紐を解くことがかなり自由に許されていることが分かる。また、本文では不法な姦淫であった場合の相手の男への罰が思いの外、「罰銀錢を以て償ふ由。償ふ事ならざるは、何とか云ふ小さき棒を以敲」とソフトであるが、本来(は相当な肉体刑が下されることになっていたことも分かる但し、これも建前とすべきかとも思われる。アイヌは闘争を好まない民族であったことは、よく知られる)。神聖にして秘具であるだけになかなか見出せなかったが、グーグル画像検索「ラウンクッ」に数枚それらを見出せるようだ。……私も神聖な領域に足を踏み入れることを嫌う人間である……御自身の目でどれがそれかは発見なさるがよかろう……

・「男一人にて女四五人を妻妾になすあり」ネットジャーナリスト協会公式サイト内の「北の国からのエッセイ」の「女1人 未開の地を行く(4)」によれば、明治一一(一八七八)年に北海道を旅した知られたイギリス人女性旅行家イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird 一八三一年~一九〇四年)は瞥見したアイヌたちを「海岸アイヌ」と「山アイヌ」に区別し、「山アイヌ」は一夫多妻制であるのに対し、「海岸アイヌ」は一夫一婦制であること、言語は発音が少し違うのを除けば、ほとんど変わらないと書いている、とある。ネット上を見ると、死んでも治らぬ馬鹿な差別主義どもがアイヌが一夫多妻だったことを知っているかなどと鬼の首を獲ったように書き込んでいるのを見かける。しかし、ネット上の信頼し得る複数の記載によれば、江戸時代までアイヌではコタンの有力者が二人以上の妻を持つことを許す文化もあったとされるが、近代以降は制度・習慣としてはなく、いわゆる妾を持つケースはあるものの、それは和人の世界でも全く変わらないとあり、私も全く以ってその通りだと思うのである。因みに、私はアイヌ民族は原日本人の一民族であり、我々の祖先こそが実に侵略者であったと考ている人間である。不倫やそれに基づく殺人が横行してそうしたゴシップを消費して面白がっている現代人の方が、自然の神への畏敬を忘れ、おぞましい科学技術を辛抱して自身を近親相姦するに等しいクローン技術を待望している文明人の方が、遙かに救われず、愚劣且つ野蛮である

・「若(もし)」は底本の編者によるルビ。

・「川尻肥州」底本の鈴木氏注で、松前奉行の河尻肥後守春之(はるの)とする。現代語訳では訂した。彼については既に耳嚢 巻之六 古佛畫の事で注したが、原話を語った責任者として再掲しておきたい。しかし、この河尻春之という人物はなかなか魅力的な人物である。ウェブサイト「定有堂書店」のブック・レビューにある岩田直樹氏の「今月読んだ本」の一二〇回「近世日本における自然と異者理解-渡辺京二『逝きし世の面影』『黒船前夜』を読む-(下)」によれば、文化四(一八〇七)年、幕府は蝦夷地全体を直轄地としたが、その際、函館奉行は松前奉行と改称され四人制となり、翌年に河尻春之・村垣定行・荒尾成章の三人制となった。翌文化五(一八〇八)年、河尻春之は荒尾成章とともに、蝦夷地警衛について老中から諮問を受けた際、二人は次のような意見を上申したという。文化三(一八〇六)年と翌年にかけて樺太のクシュンコタンや択捉島のシャナを襲撃した『フヴォストフらの「不束」(暴行)を正式に謝罪すれば、交易を許してもよい。レザーノフを長崎で軟禁状態にして半年も待たせ、揚げ句の果て通商を拒否したのは、国家使節を迎える上で「不行届の義」であった』。『むろん交易は国法に叛くものである。しかし、ロシアの辺境と松前付属の土地との間であれば、すなわち国同士ではなく辺土同士であれば、交易をしても「軽き事」と見なすことが出来よう。ロシア極東領の食糧難を鑑みて許可すべきである』。『蝦夷地全域の警護がどれだけ非現実的か』。『今年の警護役の仙台・会津両藩は併せて』八十万石もの大藩であるのに、僅か三千人の兵を出すだけで『財政破綻の危機に瀕している。「ロシアなど恐るるに足らぬ」などと主張するのは、民の命を損なうことではないか』。『河尻と荒尾は、天命・天道に言及する。心を平静に保ち、ロシアと日本の「理非如何と糺し、…明白にその理を尽すべく候。もし、非なる処これありと存じ候ても、これを取りかざりて理を尽さず、命にかかわり候に及び候ては、国の大事を挙げ候とも、天より何と評判申すべきや」』(二七六頁)。『老中たちは、松前奉行の大胆な上申書を咎めるどころか、再来が予想されるフヴォストフに与える返書にその趣旨を取り入れた』という(以下はリンク先をお読みあれ)。河尻春之はあの幕末の動乱に向けて、自ら開国への水掻き役たらんとしたのである。そういう意味で、この驚くべき上申書はもっと知られてよいであろうと私は思うのである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 蝦夷(えぞ)の男女の掟(おきて)についての習俗の事

 

 蝦夷の習俗にては、男一人にて女四、五人を妻や妾とするという。夫婦の契りを成すと、「イシマ」と呼び慣わすところの、紐を以って、腰の所を結ぶという。

 許嫁(いいなづけ)があれば、幼女であっても、この紐を以って腰を結べば、姦淫など男がもちかけんとした際にても、この紐を決して解かぬことを以って、夫への貞節の誓い、証しと成すと申す。

 もし、男より頻りに不義をもちかけられ、またその既婚女性の側も、それを受け入れんとする場合には、この紐を解いて密夫(みっぷ)へと渡し、妻は本来の夫に、その有体の事実を正直に告白した上、これこれの事情を以って、その男に随うこととしたる旨を語るという。

 それを受けて、本来の夫の方は、その密夫を探し出して捕え、罰としての銀銭を以って妻を奪わるることへの代償と成す、とのことで御座る。

 万一、密夫がその罰銭(ばつせん)を償(つぐの)うことが出来なんだり、しようとしせぬ場合には、何とかと申すところの――名を失念致いた――小さき棒を以って、密夫をしたたかに打擲して罰するを、これ、定例(じょうれい)と成す、と申す。

   *

 かつまた、別の習俗にて、誕生したばかりの乳児は、寒中にあっても単衣(ひとへ)一枚を纏わするだけにて、普段家内にあっては丸裸(まるはだか)にて、母が直接、肌に背負うて立ち働く、と申す。

 されば、厳しき寒風に堪えざることの多きが故か、小児が健やかに育つこと、これ、アイヌにては稀なる由。

 しかれども、身をこのように馴れさせねば、極寒の地に於いては、生くるに若かず、育ったとしても役立たずと相い成ればこそ、かく仕儀致す、とのこと。

 松前奉行を勤められたる、川尻肥後守春之(はるの)殿が、物語られたことで御座る。

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