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2015/01/29

耳嚢 巻之九 老媼奇談の事

 老媼奇談の事

 

 文化六年春のころ、牛込邊、境内に觀音ある寺院あり。〔寺號は追(おつ)て可申聞(まうしきくべく)、忘れたりと云々。〕老人の老尼、右寺へ來りて日々の樣に觀音堂へ參詣なしけるを、和尚見及びて、與風(ふと)右の老姥(らうぼ)へ、御身日々觀音堂へ參詣なすは何ぞ祈願の事ありやと尋(たづね)しに、老(おい)ぬる身、何か願ひ有(ある)べき、近頃夫(をつと)も身まかりし故、菩提の爲寺々へまかり、別(べつし)て觀音菩薩の埴過にて、夫の未來往生をも資(たすく)なりと申(まうし)ける故、奇特(きどく)の志なり、御身の夫ならば定(さだめ)て高年成(なる)べしと尋けるに、百三十六歳にて身まかりしといへる故、夫(それ)は珍數(めづらしき)壽なり、さるにても御身はいくつになるやと聞けるに、六十四なる由答へければ、和尚大きに笑ひて、夫婦の間かく年の違ふべきやうやある、覺え違ひならんと申けるに、夫(それ)にはおかしき咄の候、相違なき事なれば語り申さん、我身幼年の頃父母ともに身まかり、親類とてもさるべきなれば、五六歳のころなれば誠においたつべきやうなきを、我(わが)夫になりける者、其孤獨をあわれがりて引取(ひきとり)養ひ育てけるに、これも不仕合にて先妻も病死なし、子も有りけるが是も八十六の時、不殘(のこらず)不幸なりければ、わらはを杖柱(つゑはしら)と養育なして我身十五歳になりけるとき、彼(かの)老人申けるは、我身妻子にもわかれ誠の獨身(ひとりみ)なり、御身よくつかへて子の如くなれば、今は御身をのみ樂しみ家業をもなすなり、さるにても我身も心ぼそく、御身も便りなし、一向女房になりてんやと申けるゆゑ驚入(おどろきり)て、實事とも思はず笑ひければ、いやとよ、戲れ事にあらず、よくよく心得て見よとありしに、其後も度々此事申出(まうしいで)し、あながち交(まぢは)り等を押(おし)て求むるにあらず、さるにても不都合なる事ながら、幼年より海山の恩を請(うけ)し身の、むげに其心を破らむも悲しく、かくの給ふ上は我等も了簡なし、親族といふもなけれど、我をあわれむ人々もあれば、是にも心をさぐり相談なして答ふべしと、答へ置(おき)、信實なると思ふ人に物語りければ、いづれも、夫(それ)はとつけもなき事なり、斷(ことわり)て宜(よろし)からんといふ内、一人のいへるは、翁右のごとくいはゞ其望(のぞみ)に任せ給へ、翁此上活(いき)たればとていくばくをかへん、死して後は家財其外誰(たれ)もゆづる者なし、御身其讓りを請れ(うく)ば、生涯を安くおくらんといへるを、尤(もつとも)の事なり、殊に大恩受(うけ)し事なれば、其望みに任せ生涯を養育せんも、是天道の冥慮なりと會得(ゑとく)して、彼翁に向ひ、望(のぞみ)に隨(したがは)ん由を申ければ、翁も大きによろこび、夫より夫婦(めをと)となりてくらしけるが、我身十八の時、不思議にも今の伜を儲け、翁も隱居して此程身まかりし故、我身其跡を吊(とぶら)ふなり、始(はじめ)はにつかはしからぬ事と思ひしが、年をかさぬれば左も思はれず、生涯夫婦のちなみありしと語りぬと、彼(かの)住僧蒔田(まいた)某へ佛參(ほとけまゐり)のせつ、咄しけるとや。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。素直に話柄に従うなら、七十三歳違いの夫婦で、話者の彼女が満十四歳、男八十八歳の時に夫婦(めおと)となり、満十七(男九十一歳)で子(話柄時間内では四十六歳)をもうけ、娘が相談した相手は「翁此上活たればとていくばくをかへん」なんどと言っているが、実際には五十年近くこの爺さんは生きていたということになる。なんともはや、という奇談ではある。尼の語りで明らかにされる意外な事実、天涯孤独の少女が養父に迎えられ、そうして……というスキャンダル仕立ては、何か前の私の偏愛する一篇「不思議の尼懺解物語の事」を結末でポジティヴにしたインスパイア物という感が強い。同一の話者か、如何にもな都市伝説の様相からも、作者が同一人であるような気が、私にはかなりするのである。ちょっと面白くないのはこの老人の家業が書いてないことである。いや、下手に具体に書くとそれこそ百歳までそんな家業が勤まるかっ! と相手に叱られちゃうかもね。

・「老媼」は「らうあう(ろうおう)」。

・「老姥」「ろうも(ろうも)」とも読める。

・「文化六年春」「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏。

・「境内に觀音ある寺院」現存する幾つかの寺を調べて見たがよく分からない。識者の御教授を乞う。

・「埴過」底本には右に『(値遇)』と訂正注がある「値遇」は「ちぐ」と読み、縁あってめぐり逢う、特に仏縁あるものにめぐり逢うことを言う。「知遇」も同源。

・「資(たすく)なり」は底本のルビ。

・「とつけもなき」近世口語の形容詞。思いもよらない。途方もない。とんでもない。

・「蒔田某」底本鈴木氏注によれば、当時の江戸に三家ある由。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 一人の媼(おうな)の奇談の事

 

 文化六年春の頃、牛込辺りの、境内に観音のある寺院でのことであった――寺号山号は追って訊きおこうと思いながら、つい失念致いたという――老人の、これ、相当に老いたる比丘尼が、この寺へと毎日のように参っては観音堂へ参詣するを、和尚が見、ふと、この老姥(ろうも)へ、

「――御身、日々、観音堂へ参詣なすは、これ、何ぞ、祈願のあってのことで御座るか?」

と訊ねたところ、

「――老いぬるこの身――何んの願いの御座いましょうや。近頃、夫の身罷って御座いましたによって――菩提のため、寺々へと罷り越しまして――別して、こちらの観音菩薩さまの値遇(ちぐ)にて――夫の来世での極楽往生をも助けんものと存じましてのぅ……」

と申したによって、

「――それは奇特(きどく)なる志しじゃ。御身の夫とならば、これ、定めて御高齢の大往生であられたので御座ろうのぅ。」

と訊いてみたところが、

「――はい――百三十六歳にて身罷りまして御座います。」

と答えたによって、

「……それはまた! 珍らしき御長寿であられたものじゃ!……それにしても……御身は、これ、お幾つにならるるのか、のぅ?」

とさらに聴き返せば、

「――はい――妾(わらわ)は――六十四に――なりまする。」

と答えたによって、和尚は、これ、呵々大笑致いて、

「わっ、はっ! はっ! は!……幾らなんでも、夫婦(めおと)の間、かく、年の違(ちご)うべきはず、これ、御座ない!……失礼ながら、それは、何か覚え違いをなさってはおられぬか?」

と申したところが、

「……おほほほ!……それにつきましては、これ、可笑しきお話しの御座いまするのじゃ。――これ、決して間違いのなき、まことのことなれば、では、一つ、お話し申してさし上げましょう……」

    *

……妾(わらわ)は幼年の頃、父母ともに相次いで身罷り、親類とても、これといっておりませなんだによって、未だ頑是ない五、六歳の頃のことで御座いましたれば、これ、正直、独りで生い立つようもなき身で御座いましたを、後に妾(わらわ)の夫となりました赤の他人の男が、(わらわ)が孤弱を哀れがって下さり、引き取って、これ、養い育ててくれたので御座ます。

 この男も、不幸せなめぐり合わせの人生にて御座いまして……先妻も遙か昔に病死致いて、その間に生まれたる子らも御座いましたが、これも男が八十六の折りに、残らず――皆、流行病いのための聴いております――不幸にして死別なして御座いましたによって、妾(わらわ)を杖とも柱ともしつつ、養育なしてくれたので御座います。

 さて、妾(わらわ)が十五歳になりました折りのことで御座います。

 かの老人の申しますに、

「……我が身は……とうに妻子にも死に別れ……誠(まこと)の独り身じゃ。……御身は、このような老いぼれに、実によぅ仕えてくれ、あたかも我が子の如くなればこそ、今は、御身とともにおるをのみ、これ、楽しみとして、ささやかなる家業をも営んでおる。……それにても……かくも老いたれば……これ、我が身も心細く……そうして、御身もまた、血縁の者もこれおらず、生涯を支え得るような便りの者も、これ、おらぬ。……されば、いっそのこと――我らの女房に――なってはくれまいか?!……」

と、申しましたによって、妾(わらわ)も驚き入って、本気のこととも思われず、思わず声を挙げて笑(をろ)うてしまいましたが、

「……いや、とよ!……戯れ事にては、これ、ないのじゃ!……どうか一つ、よくよく考えてみてはもらえぬかのぅ?……」

と真顔にて申しましたので御座います。

 そうして、その後も、これ、たびたび婚姻のこと、申し出でて参りました。……

 

――あ? いいぇ!……御不審の思持ちながら、強(あなが)ち……その……雲雨(うんう)の交わりなんどを……これ……強いて求めんとするなどということは……これ、それまでにも……また、かく懇請し始めてからも……一度として御座いませなんだ。……

 

 それにしても曽祖父と玄孫(やしゃご)ほども離れた七十三違い――如何にも……で御座いますわね……まあ、世間体も悪(わる)きことにては御座いました。それでも、幼き頃より海の如くに深(ふこ)う、山の如くに高き御恩を受けて参りました身なれば、無下にその御心(みこころ)に背くと申しますも、これ、悲しく、妾(わらわ)も、一つ、決心致しまして、既に申し上げました通り、親族と申すべき者は、これ一人も御座いませなんだが、知れる御仁の中には、妾(わらわ)がことを時に気づかって下さる方々も御座いましたによって、

「……かくも仰せらるる上は……一つ、気心の知れたる妾(わらわ)の数少なき信頼のおける知音(ちいん)に……その誠実なるを改めて推し量った上にて――このこと、相談なして、これ、きっとお答え申し上げます。」

と、男へ答えおき、これはと思う、誠実と信じらるるお方に、有体(ありてい)に男の申し出につき、物語りまして意見を問うたので御座います。

 しかし大方、孰れのお人も、

 

――そ、そりゃ! とんでもねえことだぜ!……断って、これ、何の問題も、ありゃせんぜ!

 

と口を揃えて申しました。

 が、しかし、その中の一人の申しまするに、

 

――あの爺さんがそういう風に請い訴えて来たんなら、……こりゃ一つ、その望みに任せるのがよかねえかな?……そもそもがだ、爺さん、何でそんなことを言いだしたってえことだあな。……これはよ、そろそろお迎えが近くなった気のするんで、急に寂しくなったんじゃあねえかい?……とすれば、よ。あの爺さん、儂(あっし)が見ても……あん? 何だ?! もう、八十八かい?! それじゃ、なおのことよ! あの爺さん……この上、生き長らえたとしても……憚りながら、これ、あと、何年も生きられやしねえ。……こらあ、確かなこったぜ!……死んじまったら後は、あの家産家財その外一切合財! これ、誰(だあれ)も譲る者(もん)はいねえんだ。……お前さんが、それを、丸(まある)ごと、全部、譲り受ける、となればよ?!……これ……若い身空のあんたは、その後の永(なげー)え生涯を、まっこと、安穏に送ること、これ、出来ようってもんじゃ、ねえか!……

 

 これを聴きまして、妾(わらわ)は、

「……それはもっともなことにて御座いますね。……いえ、もしかするとあの方の命の短かいかも知れぬと申されたことです。……そうあって欲しゅうは御座いませねど、もし万が一、そうであるとするならば……妾(わらわ)、ことに大恩を受けまして御座いますればこそ、そのお望みに任せ、そのご生涯を養育し申し上ぐること、これもこれ、天道(てんどう)の冥慮(めいりょ)にて御座いましょう!」

と、得心致しまして、直ぐに家に戻りますと、かの老翁(ろうおう)に向い、

「――お望みに随いましょう。」

と申しましたところ、翁も大きに悦び、それより八十九と十四の夫婦(めおと)となって暮らすことと相い成ったので御座いまする。

 三年(みとせ)経った妾(わらわ)十八の折りには、不思議なことに、今の倅(せがれ)をもうくること、ここれ、叶い、それより十数年の後、夫は百歳も過ぎて、やっと倅に稼業も譲り、隠居致しまして御座いました。

 このほど身罷りましたによって、妾(わらわ)、その後生(ごしょう)を弔っておるので御座いまする。

 

――そうそう……始めのうちは七十三も違(ちご)うた夫婦(めおと)……これ、夫婦(めおと)には決して見えませぬ……如何にも似つかわしゅうない夫婦(めおと)連れ――と思うことのしばしば御座いましたが……されど、年を重ぬるうち、これ、さほど気にならずなりまして……

――はい?……ええ……生涯、これ……夫婦(めおと)の契りの、方も……御座いましたよ……

   *

 以上は、蒔田(まいた)某がその牛込の寺へ墓参に参った際、寺の住僧が話しくれたとのことで御座った。

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